70:いつになく
ざわりと周囲に動揺が走る。
けれどそんなことも気にならないほど、私は目の前の人達への怒りに燃えていた。
「魔術を使えるようになった私に、使えないあなたが決闘で勝つことなどできないでしょう。つまり初めから、あなたが私を利用できる可能性などありはしないのです。それでもまだ、絶縁宣言の撤回などと道理の通らない主張を続けるというのですか!」
私の言葉を受けて、叔父が怯んだように一歩下がる。その視線が救いを求めるようにスプレイグ当主へと向かうけれど、視線の先の彼の表情も、また険しい。
あなたがうちの孫を気に入ってくださって幸いでした、なんて言葉を発していた時に漂わせていた自信は、今やすっかりなりを潜めている。けれどまた同じような迷惑をかけられないためにも、きちんと釘を刺しておく方がいいだろう。
「スプレイグ魔侯爵、あなたのご令孫との縁談など私は考えたことすらありません。アーネスト様を悪者にしようとしても無駄です。私は心からアーネスト様をお慕いしていますし、アーネスト様以外を選ぶことなど、絶対にありません!」
紺碧の瞳が鋭く私を映す。
負けてなるものかと視線を逸らさずにいると、不意に相手の視線が私の後ろへと向けられた。
「……デュアン、貴様っ!」
憎々しげなスプレイグ当主の呟きに釣られて振り返ると、ナイシェルト殿下と共に、何故かデュアン卿の姿があった。どういうことかと訝しんでいると、ナイシェルト殿下の空色の双眸が驚くべきものを見たとでもいうように私を凝視していることに気がついて、はたと我に返る。
サッと周囲を見回すと、殿下と同じような目で私を見つめるたくさんの瞳。
それに意識が及んだ途端、頭に上っていた血が瞬く間に引いていった。な、なんだか眩暈までする。
自分の中の急激な温度変化によろめいた私を、アーネスト様が後ろから引き寄せて支えてくれた。それに縋りながら、ぐるぐると自分の行動を振り返る。
どうしようどうしよう。こんな人目のある場所で叔父や魔侯爵を怒鳴りつけるだなんて、淑女にあるまじき醜態を晒してしまった。これほど派手にやらかしてしまっては、間違いなく話は広まってしまうだろう。無作法な田舎者とか言われてしまうかもしれない。もっと冷静に反論すれば良かった。アーネスト様に呆れられていたらどうしよう。
そんな後悔と羞恥に苛まれている私を片腕に、アーネスト様は殿下に言葉を向けた。
「遅い」
「い、いや、これでも急いで会議を抜けて来たんだが」
そう言って気を取りなおすように小さく咳払いした殿下が、私達の前へと足を進める。
そして王族の風格を漂わせながら、高らかに声を上げた。
「スプレイグ、サバスティ両当主。そなたらには天人の瞳の所有者の掠取を目論んでいるとの証言が寄せられている。実際王宮前でこのような騒ぎを起こしたことも含め、一度詳しく話を聞かせてもらおう。大人しく私についてこい」
「な、なぜ」
動揺する叔父とは対照的に、スプレイグ当主はデュアン卿に鋭い視線を向けたままだった。けれどやがて、観念したかのように視線を落とす。
「御意のままに」
その言葉を受けて王宮へと歩き出した殿下と、背筋を伸ばしてその後に続くスプレイグ当主。オドオドしながらそれに続く叔父と警護の人達を、呆然と見送る。
急な展開で理解が追いつかないけれど、騒ぎは無事収まったらしい。
そう思った途端、張り詰めていた糸がプツリと切れた。
どっと疲れが押し寄せて、何故か視界まで揺らいでくる。ちょっとまずいかもしれない。
「っ、セリーナ!」
私の様子がおかしいことに気がついたアーネスト様が、素早く身体を支え直してくれる。私の名前を呼ぶ声に応えなければと思いながらも、急激に遠のく意識に抗えず、結局そのまま何も分からなくなってしまった。
ふっと意識が浮上して、おもむろに瞼を上げる。
そのままぼんやりと見慣れない天井に疑問を抱いていると、すぐ近くで人の気配がした。
「起きたか?」
声と同時に優しく頭に触れられて視線を動かすと、穏やかな赤の双眸が私を見下ろしていた。一瞬深く安堵したけれど、すぐさま『寝ている場合ではないのでは!?』という猛烈な焦りと疑問が襲いかかり、パッと半身を起こす。
「ア、アーネストさま!? わ、わたしは、叔父は? ここは、なんッ、コホッ」
「落ち着け」
勢い込んでむせた私に、アーネスト様が水をグラスに注いで手渡してくれる。とりあえず有り難くそれをいただくと、ほんの少しだけ気分も落ち着いてきた。
「気分はどうだ? 目眩や吐き気は?」
「えっと、大丈夫です。お騒がせして申し訳ございませんでした」
「いや。……それにしても、君の突拍子のなさは知っているつもりだったが、今回の件は流石に驚かされた」
くっとアーネスト様が笑って、蘇ってきた記憶に羞恥が込み上げてくる。
「わ、私っ」
「だがまぁ、痛快だったよ。最後に倒れたこと以外は満点だ。とりあえず一度、医者に診てもらえ。話はそれからだ」
そう言ったアーネスト様が、部屋の外に待機していた人に医者を呼びに行かせた。聞くと、ここは王宮の一室とのことだった。さほど待つこともなく医者が現れ、問題ないでしょうとお墨付きをもらう。
どうやら興奮と緊張に身体が追いつかなかっただけらしい。なんだか情けなくなって項垂れていると、医者を見送ったアーネスト様がベッドに座った私のすぐ隣に腰掛けた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「倒れるまでのことは、覚えているか?」
「はい。殿下があの2人を連れて行かれたことまでは、覚えています」
顔を上げると、アーネスト様と目が合う。その表情に私への呆れは浮かんでいなくて、密かに胸を撫で下ろした。
「あの2人はまだ取り調べ中だ。だがスプレイグの後継であるデュアンの証言と今日の出来事で、君や僕に対する害意は明白。こうして騒がせた責任をとることを要求されるだろう」
「責任……」
貴族の犯した罪は、その身分や罪状にもよるが、王家直々に対処することが多い。今回は高位貴族でしかも当主となれば、ほぼ確実に王家預かりになると思われた。
「未遂で終わったことから、当主の座を手放し王都外での謹慎を言い渡される程度に収まるとは思う。だがスプレイグについては現当主と考えを異にするデュアンが当主を継ぎ、サバスティについては殿下が用意していたギルソードに家督を継がせるよう要求されるはずだ」
「ならもう、今日のようなことは起こらないと思って良いのでしょうか」
「そうだな、あのスプレイグが失敗したことで、君を狙って策略を練ろうとする者が再度現れるとも考えにくい。警戒を完全に解くことはないが、今ほど心配する必要もないだろう。君の宣言も話題になるだろうしね」
アーネスト様に揶揄うように言われて、思わず赤面する。アーネスト様以外を選ぶことはないのは本心だけれど、なんだか無性に照れ臭い。耐えかねてアーネスト様から逸らした顔は、けれど伸びてきた手によって再びそちらへと向けさせられる。
目の前の赤の双眸は、優しく私を見つめていた。
その瞳がいつになく甘い気がして魅入られていると、美しい顔が近づいてきて、自然に目を閉じる。
そっと触れた唇は、一度離れて、またすぐに優しく重なった。ゆっくりと愛情を注ぐようなキスに、胸がいっぱいになる。これはなんのご褒美だろう。すごく幸せな気分になってしまう。
「君は本当に、僕の予想通りにいかないな」
やがて身を離したアーネスト様に、褒められているのか呆れられているのか判断し難い言葉をもらうけれど、その柔らかな表情を見るとどちらでもいいやという気になってくる。
ふわふわと幸せに浸っていると、急にノックの音が部屋に響いた。
「アーネスト、私だ」
ドアの外から聞こえたのはナイシェルト殿下の声で、はっと身が引き締まる。思わず立ち上がると、同じく立ち上がったアーネスト様にソファとテーブルがある方向へと誘導された。
「どうぞ?」
そしてアーネスト様が声をかけると、ナイシェルト殿下が1人で部屋へと入ってこられた。
そして私をその空色の目に映すと、柔らかな微笑みがその顔に浮かぶ。
「もう体調は問題ないか?」
「は、はい。その、先程は無作法をお見せして申し訳ございませんでした」
「いや、なかなか愉快なものを見せてもらった」
笑いを含んだ言葉に、頬が熱くなる。本当に殿下には、妙な格好で床に倒れていたり、話し合いの場で泣き出したりと変なところばかりお見せしてしまっている。相当おかしなやつだと思われているのではないだろうか。居た堪れない。
「まだ戻られたばかりの陛下が対応中ではあるが、王家としての方針を共有しておこうと思って来たんだ。エディリナも待っているから、場所を移そう」
そして殿下に誘われるまま、一旦部屋を後にする。そういえば王宮へ向かう馬車の中で、ミリアーナが美味しいものが待っていると言っていた。それが遠い昔のように思えて不思議な気分になりながら、アーネスト様と一緒に殿下の後にと続いた。




