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69:この場で私だけ

 全く予期せぬ再会に、言葉が出てこなくなる。

 絶句する私をよそに、スプレイグ当主の隣に並んだ叔父は、不気味な笑みを浮かべながら私を見つめた。


「いやぁ、またこうして会えて嬉しいよ。あの恐ろしい魔公爵に睨まれてお前との縁を切らされてしまったが、それは私の本意ではなかったんだ。わかるだろう? だが幸いなことに、こちらのスプレイグ魔侯爵がお助けくださることになったんだ。絶縁は撤回だ。だからセリーナ、安心してうちに戻ってきなさい」


 頭が、真っ白になった。

 絶縁は、撤回?

 何を言われているのか理解できない。言葉が出てこない。固まった私に、叔父が手を伸ばす。


「さあ、早く行くぞ」


 だがその手が私に触れる前に、ミリアーナがさっと割って入ってくれた。


「大変申し訳ございませんが、セリーナ様はこの後王家の方と予定がございます。今日のところはお引き取りを」


 そう告げたミリアーナに、叔父の顔から貼り付けたような不気味な笑みが消え、代わりに見慣れた苛立たしげな表情が浮かんでくる。


「今日のところは? そう言って、またセリーナを奪う気だろう! セリーナはサバスティ伯爵家の娘だぞ。なんの権利があって、君がサバスティ家のことに口を出すんだ。あの魔公爵の差金か?」

「私は王家からの命を受けてセリーナ様のお側におります。逆に問いますが、あなたに王家の方の予定を変更する権利がおありだと?」


 叔父とミリアーナの間にピリッとした空気が走る。

 その空気を宥めるように、スプレイグ当主がまぁまぁと声を上げた。


「娘同然に思う彼女を魔公爵閣下に強引に奪われて、伯爵も心配でならないのだ。そのうえ勝手に婚約者にまでされて……」


 なんて酷い言い草だろう。

 そもそも娘同然に扱われたことなんてないし、私に濡れ衣を着せて身勝手に絶縁宣言をしたのは叔父なのに。なぜ救ってくれたアーネスト様を、悪者にされなければいけないのだろう。

 このまま言われっぱなしではいけないと、硬直していた身体をなんとか動かす。


「あ、あのっ」

「ああ、セリーナ嬢ご安心ください。伯爵と話をしましてね、あなたをデュアンの婚約者として迎え入れる用意は整っております。きっと王家の方も、事情を話せばご納得いただけるでしょう。今日のことについては、当家から謝罪のご連絡を入れておきます」

「な、」

「本当に、あなたがうちの孫を気に入ってくださって幸いでした。デュアンはあなたに良く尽くすはずです。きっと幸せになれましょう」

「おお、良かったなセリーナ。スプレイグ魔侯爵家になら、お前をお任せできる。幸せにな」


 勝手な言い分に、ゾッとする。

 私の意思などまるで気にすることのない様子に、安心できる要素なんてどこにもない。言いようのない恐怖が込み上げてくる。

 目の前のスプレイグ当主の、何もかもわかっているとでもいうような自信に溢れた眼差しが、不気味で仕方がない。


 思わず後ずさる。どうしたらいいのだろう。混乱した頭には、何もいい案が浮かばない。

 でもこのままなんの反論もしなければ、翌日には私が伯爵家に戻ったとか、婚約破棄してスプレイグ家の後継と再度婚約予定だとか、そんな噂が広まってしまうだろう。

 もともと目立つ場所だ。いつの間にか何事かとこちらを窺う人の目が増えている。


 でも反論したところで、効果があるだろうか。そもそも反論の隙さえろくに与えてもらえない。


「さあ、早く。スプレイグ魔侯爵をお待たせするんじゃないっ」


 苛立ったように私に命じる叔父に、思わずビクッと身体が跳ねた。でも2人の前に立ちはだかってくれているミリアーナの姿が、いつの間にか私を守るようにぴたりと横についてくれている護衛の魔術師の存在が、なんとか踏みとどまる勇気をくれる。


「わ、私は、アーネスト様のもとを離れる気はありませんっ」

「我儘を……!」

「いやいや、ご心配は不要ですよ」


 私の言葉に苛立って怒鳴りつけようとした叔父を、スプレイグ当主が素早く抑えて、私に笑みを向ける。


「セリーナ嬢、サバスティ伯爵の絶縁宣言は不当な圧力下で行われたもの。魔公爵の地位を持つとしても、天人の瞳を目的としたそのような暴挙は許されるべきではありません。我がスプレイグ家で、必ずやあなたを、あの者の手からお守りしてみせましょう。それに……」


 スプレイグ当主がちらりと叔父に視線を向ける。


「サバスティ家との絶縁の無効を申し立てるつもりではありますが、デュアンの婚約者として、あなたにはこのまま我が邸で何不自由なくお過ごしいただく予定です。どうか安心して、全てをお任せください」


 その言葉に泣きそうになる。一応叔父との確執には気がついて遠ざけようとする意思はあるのだろうが、そもそも私はアーネスト様にこの上なく大切にしていただいているのだ。何故急に出てきた下心しかない見知らぬ他人に、安心して全てを任せるなんて酔狂なことができるだろう。


 もう、いや。言葉が通じる気がしない。

 彼らにとって、私の意思なんて本当に取るに足らないものなのだ。親切を装って、私の幸せを土足で踏み躙ろうとしている。それに対抗できない自分の無力さが情けなくて、苦しくて、涙が滲んでくる。


 スプレイグ当主の、自信が怖い。

 アーネスト様に濡れ衣を着せ、絶縁の無効を成立させ得る算段があるからこそ、きっと王宮の目の前でここまで派手な振舞いができるのだ。

 もし本当に、アーネスト様にご迷惑をかけてしまう事態になったらどうしよう。恩を仇で返すようなことになってしまったら、悔やんでも悔やみきれない。

 追い詰められた心が悲鳴を上げる。


「……っ」


 迷惑なんて、かけたくない。でも救いを求める脳裏に浮かぶのは、美しい赤の双眸だった。

 苦しさに涙さえ滲みそうになった、その時。


「おやおや。これはいったい何事かな?」


 待ち望んだ声がすぐ後ろから響いて、ハッと振り返った。

 滲んだ視界の先。何より愛しい宝石のような瞳が、鋭い視線を問題の2人に向けた後、私を映す。


「アーネスト様……」


 その手が誘うように私へと伸びた途端、途方もない安堵が身体中に満ちて、何を考えるより前に、その胸に飛び込んでいた。








「おっと」

 勢いよく胸に飛び込んだ私を、アーネスト様は当たり前のように受け止め、そして宥めるように優しく背中を叩いてくれた。現金なもので、それだけでもう怖いものなんて何もない気になってくる。


 ほっと息をついていると、アーネスト様も小さくため息をついた。


「まったく。何故君は王宮のすぐ手前で、わざわざアレらの相手をしているんだ。嫌な思いをする前にさっさと逃げろ」


 呆れたように言われて、確かにそうだと思ってしまう。

 虐げられ癖のせいで大人しく2人の話を聞いてしまっていたけれど、先に失礼で身勝手な態度をとってきたのはあちらの方だ。無視して王宮に逃げ込んでしまえばよかった。


 私1人では力及ばずとも、護衛の人たちもいるし、最高権力者である王家まで味方についているのだ。変な噂を立てられても、王家に依頼して真実を公表してもらうことだってできるだろう。こちらにやましいことなどない以上、理不尽を恐れる必要など全くなかった。


「申し訳ございません。すごく動揺してしまっていたようです」


 顔を上げてアーネスト様を見ると、その目が微かに和らいだ。


「まぁ、無事ならいい。それに僕の方も面倒事に巻き込まれて遅くなった。すぐに行くと言っていたのに、悪かった」

「いいえ。来てくださって、とても嬉しいです」


 本当に嬉しい。真っ黒に塗りつぶされていた胸の内が、今は優しい輝きに満ちている。にこにこしている私に、アーネスト様が苦笑を浮かべた。


「まぁ、まとめて片付けられるのは良かったかもしれない」

「?」


 良かったとはなんだろう。不思議に思っていると、叔父の焦ったような声が後ろから響いた。


「セ、セリーナ! 何をしているっ」


 はっとして振り返ると、こちらを睨みつける叔父と、微かに表情を険しくしたスプレイグ当主の姿が目に入った。スプレイグ当主から感じられていた不気味なほどの自信が掻き消えていて、こちらとしては少し不安が和らぐ。


「おや。誰かと思えば、祝賀会で王子殿下の不興を買った礼儀知らずか。まさか王宮前でも騒ぎを起こすとはね。こんな愚物と肩を並べるだなんて、スプレイグ家も堕ちたものだ」

「ぐ、う……」


 冷たく嘲笑うアーネスト様に、以前カエルにされた叔父が怯んだ。スプレイグ当主の目には一瞬仄暗い怒りが垣間見えたが、すぐにその顔には笑顔の仮面が張り付く。


「ご機嫌麗しゅう、閣下。私はただ、天人の瞳の所有者に関する不正について、独自に調査を行っているだけですよ」

「へぇ? まさか昨日のくだらない三流新聞社の記事を検証でもしていると? スプレイグ家のご当主は、随分と暇を持て余されているようだ」

「火のないところに煙は立たぬと申しますからね。ですが閣下としましても、潔白であるならばそれが明らかにされる方がよろしいでしょう?」

「ああ、僕の潔白を証明してくれると言うのなら歓迎するよ。でもこんなお粗末な手法では、証明してくれるのはいつのことになるのかと、心配になってしまうけどね?」


 バチっと火花が散りそうなほどの応酬に、思わず息を呑む。けれどやられっぱなしだった私とは違い、アーネスト様からは余裕すら感じられて、心強く思えた。

 内心で応援していると、急にアーネスト様が2人に見せつけるように、私を抱き寄せた。


「でも不正の調査とは、僕の婚約者を無理やり連れ去る必要があるものなのかな? 誘拐なんて目論もうものなら、今度こそ、カエルにするだけでは済まなくなるけどねぇ?」


 アーネスト様の鋭い視線が、余裕をなくした叔父を貫く。だがあからさまに狼狽えた叔父とは異なり、スプレイグ当主はアーネスト様の言葉を鼻で笑った。


「無理やりなどとは。ただセリーナ嬢のお気持ちをお伺いしていただけですよ。どう扱っても良いからなどと嘯いて、強引に彼女を連れ去ったのは閣下の方ではありませんか。セリーナ嬢は、さぞや恐ろしい思いをなさったでしょう。その点、我が孫は大変紳士的に育って心から安堵しておりますよ」

「そ、そうだ!」


 スプレイグ当主の言葉に励まされたかのように、急に叔父も生き生きと反論を始める。


「セリーナだって、スプレイグ魔侯爵家に嫁いだ方が幸せに決まっている! 肉親から力ずくで爵位を奪うような野蛮な男になど、誰が好んで嫁ぐものか。不幸になるのが目に見えているじゃないか。ほらセリーナ、どうせ虐げられて辛い思いをしていたんだろう? 絶縁を撤回して最高の縁談も整えてやったんだ。早くこちらへ来い。おまえさえ戻れば、全てがうまくいくんだ」


 一瞬。私に触れていたアーネスト様の腕に、力がこもった気がした。


「おい」


 調子に乗って喋る叔父を、スプレイグ当主が短く制する。


 でもそれが耳に入らないほど、胸の内にめらめらとした怒りが湧き上がってきた。

 肉親から力ずくで爵位を奪うような野蛮な男? 不幸になるのが目に見えている? どうせ虐げられて辛い思いをしていた?

 私を救って優しくしてくれたアーネスト様に、アーネスト様本人がいる前で、なんて酷い言葉を向けるのだ。


 大切な人を傷つける材料にされていることが悔しくて、腹立たしくて、そしてこのままではいけないという思いが胸に溢れてくる。


 2人の言葉を否定できるのは、この場で私だけだ。

 大人しく黙ってなんていられない。こんな身勝手な人達にアーネスト様を貶められるのも、それに利用されるのも、絶対に許せるはずがなかった。


「わけの分からないことを仰らないで!!」


 込み上げてくる衝動のまま叔父の言葉を切り捨てて、アーネスト様を背に叔父へと向き直る。


「アーネスト様は、ずっと私に優しくしてくださいました。その事実を知りもしないで、何故そのような的外れなことが口にできるのです。第一、私を虐げていたのはあなたの方ではありませんか! 罪を被せるために絶縁を突きつけておきながら、行き場のなくなった私を助けてくださったアーネスト様を侮辱するなど、本当に信じられません! 今すぐ、アーネスト様に謝罪なさいませ!!」

「な、なんだと!?」


 私の予期せぬ反抗を受けて頭に血が上ったのか、叔父が一歩前に出る。その足元に手を向けて、魔力を走らせた。

 バチバチバチっと派手な音を立てて、地面に火花が散る。簡単な子供騙しの火魔術だけれど、叔父には十分な効果があったらしい。慌てて飛び退いて私を見た顔には、愕然とした表情が浮かんでいた。


「そもそも王子殿下に対して行った絶縁宣言の撤回も無効の申し立ても、今更認められるはずがありません。仮に認められたとしても、私はあなたに従いません。もしあなたが当主の立場を利用して、私にアーネスト様の元を離れろと命じるのなら」


 キッと精一杯、叔父を睨みつける。


「私も、()()()()()()()()に、当主の座をかけた決闘を申し入れます!!」


 私の宣言が、その場に大きく響いた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] よっし、良い啖呵! かわいいのに格好いい、最高ですね! [気になる点] 虐待状況知っているだろうに、よくもまあ、おじを連れて来ましたね、火に油を注ぐような真似じゃないかな。恐怖によって従え…
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