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6:僕の妻

 静まり返ったエントランスホールは、さすが公爵家と言うべき荘厳さだった。


 魔術に特化した家系が継承する魔爵位は、治める土地を持たない。その代わりに魔物から国を守る対価として、国から巨額の報酬が支払われるのだ。


 当代の活躍により爵位の変動も起こりうるらしいが、ファンセル魔公爵家は少なくとも100年以上経ってもその活躍が語り継がれる炎の大魔術師の代から、公爵位のままのはず。

 絶縁を宣告され、貴族としての身分を失ってしまった自分との格差に眩暈がした。


「マリア! マリアはどこだ」


 力なく床に座り込んだままの私をよそに、魔公爵は誰かの名を呼んだ。その声に数人の使用人がホールに現れて、少し遅れて優しそうな面持ちの年配の使用人女性もその場に現れた。


「アーネスト様? 随分とお早い……」


 おそらくその女性がマリアさんなのだろう。魔公爵に言葉を返そうとして、その足元にへたり込む私に気がついた。驚きにその目が丸くなる。


「世話をしておけ」


 その彼女に一言告げると、魔公爵は屋敷の奥へと足を進めた。その後ろに、いつの間にか現れた数匹の猫たちがお行儀よくついていく。


 呆然とその後ろ姿を見ていると、同じく呆然としていたマリアさんが我に返り、慌てて魔公爵へ声を変えた。


「アーネスト様! あの、こちらのお方は……?」

「ああ」


 忘れていた、とでも言うように振り返った魔公爵は、皮肉っぽい笑みを浮かべて言葉を発した。


「僕の妻だ」

「つ、ま……?」


 マリアさんをはじめホールに集まった使用人達は、信じられないものを見るかのような視線を私と魔公爵の間で往復させている。

 そんな戸惑いを気にも止めずに、魔公爵は猫達を引き連れて屋敷の奥へと消えてしまった。

 しんと静まり返るホール。


 使用人達が戸惑うのも無理はない。こんな棒切れのように痩せ細り、似合わないドレスを不恰好に着ているパサパサ髪の女を、急に妻だと紹介されたとて受け入れられるはずがない。

 困惑させているのが申し訳なくて、何か言おうと口を開く。でも、何も言葉が出てこない。


 そもそも妻とはなんだろう。何を求められているのだろう。私自身、ここで何をすればいいのかさえ分からない。


 なんだか泣きそうになって、床に視線を落とした。ピカピカに磨き上げられた床が眩しい。伯爵家にいた時のように、床を磨けばいいのだろうか。それとも魔術の実験台にされる? どう扱われるのか分からなくて、ただただ怖い。


 震えるしかできない私の前に、不意に誰かが膝を折った。

 恐る恐る顔を上げると、マリアさんの優しそうな茶色の瞳と目が合う。安心させるような穏やかな笑み。纏う雰囲気も表情も優しくて、少しだけ緊張が薄れた。


「大変失礼致しました、奥様。私は家政婦長を務めておりますマリア・リノーと申します。お部屋にご案内させていただきますので、どうぞこちらへ」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。奥様? お部屋にご案内?

 こんな不審な女を、魔公爵の「世話をしておけ」という発言のみで丁重に迎えようとするプロ意識。これが公爵家の使用人なのかと、こんな場合でもないのに感動してしまう。


 マリアさんを見つめる私をよそに、固まっていた他の使用人達もササっと動きだした。


「さぁ、どうぞお手を」


 そう言って差し出されたマリアさんの手。いつまでもここに座っているわけにもいかないので、恐る恐るその手をとって立ち上がる。

 握った手はとても温かくて、冷え切った心に少しだけ温度が戻った気がした。







 あったかくて、いい匂いで、気持ちいい。

 客間に通された私は、少しして湯浴みへと誘導された。時間的にも妙なドレスを脱がす意味でも妥当な流れだが、痩せ細った体や背中の火傷の跡を見られるのが不安で、最初は抵抗した。


 けれどマリアさんを含む数人の使用人達にあれよあれよとドレスを剥ぎ取られ、驚かれたものの騒ぎ立てられることはなくバスルームへと連行された。


 そして今。

 おおよそ4年ぶりとも言える温かい湯に浸かり、髪や顔にいい匂いのクリームのようなものをたっぷりつけてもらっている。お湯も何かが入っているようで、柔らかい肌触りだ。

 とにかく、気持ちがいい。


「そろそろ髪につけるものを変えますね」

「はい……」


 使用人の皆さんは、私のパサパサの髪や肌をどうにかしようとあれこれ頑張ってくれている。

 けれど思った以上に心身共に疲れ切った私には、寝落ちしないでいるだけで精一杯だ。もう何も考えずに、この気持ちよさに浸っていたい。


 もし明日、魔公爵が世話をしておけ発言を翻したら、こんな至れり尽くせりは二度と味わえないだろう。今だけは辛いことを考えたくない。


「はい、お疲れ様でございました」


 でも、夢のような時間は終わりがやってきた。名残惜しさを感じながらお湯から出ると、マリアさんが優しく背中や髪を拭いてくれる。


「お背中、痛みなどはございませんか?」

「……はい、4年ほど前のものなので」


 答えながら、すぅっと現実が戻ってくる。本当は時折痛むし、体を動かすたびに違和感もある。


 広範囲の火傷を負い、通常の治療では治すことが難しいと判断された私に、叔父達が手配したのは平民の魔術師だった。貴族であれば大怪我を負った場合、光魔術を扱える魔爵家へと治療を依頼するのが普通だ。


 だが事件を隠蔽したい叔父達は、わざわざ平民で光魔術を扱える者を見つけてきたのだ。

 魔力は血筋に依存するところが大きいが、平民落ちした貴族や大昔の魔術師人口増加政策の名残から、平民でも民間の魔術師として生計を立てるほどの腕前を持つ者も存在する。その中からさらに光魔術を扱える者を、よく見つけてこられたものだと思う。


 だが当然、その実力は貴族に遠く及ばない。

 日常生活を送れるまで回復はできたが、元通りには程遠い。そして無惨な跡も残ってしまった。魔術師がいなければ命も危ういほどの火傷だったので、命を取り留めてこうして動けるようになっただけでも良かったと思うしかない。


「後で、診ていただきましょうね」


 こっそり気落ちしていると、それを感じたのかマリアさんが優しい声で言葉をかけてくれる。


 けれど、傷跡は時間が経つほどに治すのが難しくなるという。魔公爵家ともなれば優秀な光魔術師に依頼することも容易かもしれないが、来たばかりで立場もわからない私に与えられて良いものではない気がする。

 マリアさんが光魔術師の手配を魔公爵に頼んだとて、鼻で笑われて終わるのではないだろうか。


 あまり、期待しないでおこう。

 こうして湯につけてもらっただけで、信じられないほどの贅沢だ。期待をすると、叶わなかった時の傷が深くなる。

 今は泡沫の夢。それを忘れないようにしなければ。


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