66:祝い事
王宮へ戻って遺物の選別を進めるうちに、あっという間にそろそろアーネスト様がお迎えに来てくれる時間になった。
いつもは王宮の2階にいることが多い私だけれど、遺物を詰め込まれたのが1階の王宮事務官用会議室だったので、今日はそのまま1階で待つことにする。
埃っぽい会議室を出て、ロビーに置かれているソファに腰を下ろした。我々のことはどうぞお気になさらず、と言って一定の距離を空けてついてくれている護衛の方を横目にぼうっと人の行き来を眺めていると、周囲から物珍しそうな目で見られるものの、外へ出た時ほどは注目されない。
王宮内は魔爵家よりも、土地爵や宮廷名誉貴族と呼ばれる准貴族出身の官僚が多いため、私への関心も魔爵家ほどは高くないのだろう。
そう思いながら王宮入り口に注目していると、やがてはっと目を引く麗しい姿が視界に飛び込んできた。アーネスト様は特別体格が良いわけではないけれど、その存在感は大きく自然と人を惹きつける。
思わず立ち上がると、アーネスト様もすぐに私に気がついてくれた。
「お疲れ様です」
「ああ、初日はどうだった?」
「思った以上に遺物の量が多くて驚きましたが、作業自体はそこまで大変ではありませんでした」
「そうか」
赤の双眸が優しく細まって、勝手に心臓が早鐘を打ち始める。労りの込められた眼差しの先にいると、今日1日の疲労が吹き飛ぶようだ。アーネスト様の癒し効果は凄まじい。
「ファンセル魔公爵閣下」
そんなことを思っていると、静かに声をかけられて振り返った。そこにいた男性に見覚えはなかったけれど、アーネスト様は知った人のようで、手を伸ばして手提げ袋に入れられた何かを受け取った。
「ああ、悪いな」
「いえ。またご入用の際にはお声がけください」
こちらにも穏やかな眼差しを向けると、その人は一礼して、現れた時と同様に静かに遠ざかっていく。なんだったのだろうと疑問に思っていると、アーネスト様は先程受け取った袋をそのまま私へと差し出したので、反射的に受け取った。
「こちらは?」
手提げの中には、そこそこ幅のある紙の箱が入っているようだ。
「君はここのタルトを気に入っていただろう? 天人の瞳が判明した日は慌ただしくしていて流れてしまったが、祝い事がある日は甘いものを出すと以前言ったからね。仕事の初日に合わせて頼んでおいた」
その言葉に、初めて魔術が成功した日の夕食後、殿下が持って来てくれたフルーツタルトを食べながら交わした会話が蘇ってきた。アーネスト様はあんな他愛もない会話を覚えていて、わざわざ王宮の料理人にタルトを依頼してくれていたというのか。どうしよう、嬉しすぎる。
「っ、ありがとうございます。すごく嬉しいです」
思わず場所を忘れてはしゃいだ声をだしてしまったけれど、でも嬉しさが抑えきれない。
「あの、アーネスト様も一緒に召し上がってくださいますか?」
「ああ。前みたいにワインでも開けるか? 貰い物が溜まっているから、たまには消費するのもいいかもしれない」
「はいっ。楽しみです!」
幸せだ。今日色々あった気がするけれど、それも全部飛んでいってしまう。
頭の中をアーネスト様一色にしたまま喜びに浸っていると、アーネスト様が片腕を伸ばして私を引き寄せた。転移の合図に、タルトの箱を傾けないようにそっと身を寄せる。
一瞬の浮遊感の後、見慣れたお屋敷内の光景が目の前に広がって、帰ってきたという安心感に余計に顔が緩んだ。
「おかえりなさいませ」
「ただいま戻りました」
笑顔が抑えきれない私を見て、お出迎えしてくれたマリア達の顔にも優しい笑みが浮かぶ。夕食後に出してくれるようタルトを手渡しながら、天人の瞳手当が支給されるようになったら、マリアやフリエ達にも何か贈り物をしたいなぁなんてことが思い浮かんで、楽しい計画に心が躍った。
夕食の最後。
楽しみにしていたタルトは、赤色が目にも鮮やかなベリータルトだった。キラキラと輝くような艶めきに、思わず言葉も忘れて魅入ってしまう。
そしてエーゼルが選んできてくれたデザートにあうワインも、ほんのりピンクがかった可愛らしい色のもので、余計に気持ちが浮き立った。
「タルトもワインもとても可愛いです。本当にありがとうございます」
「気に入ったなら何より。君を祝うためのものだからね」
そう言ったアーネスト様のグラスには、私とは違うワインが注がれているようだ。
「では、君の新たな門出を祝して」
赤の双眸が、柔らかな色を湛えて私を見つめる。
乾杯、と言い交わしてグラスを掲げると、殿下が持って来てくださったタルトを一緒に楽しんだ、そして婚約について話し合った日が否応なく思い出された。
あの日から、既に一月以上が経過していた。想像以上に慌ただしく、私を取り巻く状況も変わりつつあるけれど、アーネスト様は変わらず私と一緒にいてくれる。そして、口にしたことをこうして叶えてくれる。
嬉しい思いと一緒に、グラスを傾けた。初めて飲んだ白ワインより甘味は少ないけれど、これはこれで美味しい。
そしてたくさんのベリーが所狭しと乗せられたタルトにわくわくしながらフォークを入れて、口へと運ぶ。噛み締めた瞬間、ベリーの瑞々しさと甘酸っぱさが口いっぱいに広がり、その爽やかな味わいと甘さ控えめのクリームが合わさって、思わず笑みが浮かんできた。サクサクのタルトもその歯触りやナッツの風味が全体を引き締めていて、思わずもう一口と手が進んでしまう。
王宮で製作されたものだけあって、きっと食材も最高級のものを使っているのだろう。申し分のない美味しさに上機嫌で食べ進めていると、アーネスト様が微かな笑みを浮かべて口を開いた。
「君は本当に美味しそうに食べるな」
「実際とても美味しいです。今日の疲れが吹き飛んでしまう気がします」
「まぁ、デザートの専門職人を多数置いているだけあって、確かに悪くない」
私のものより小さめに切り分けられたそれを上品に口に運ぶアーネスト様も、美味しいと感じてくれているようだ。そう思うと、より一層ワインもタルトも美味しさが増してくる。
「アーネスト様はデザートだと何がお好きですか?」
「甘味の強いものよりは、酸味や塩味があるものかな。こうしてフルーツの多いのものとかね」
「だから殿下はフルーツタルトをお持ちになったのですね」
「きっと君と一緒に食べろということだったんだろう。そういう君は?」
「甘いものは全般的に好きです。このお屋敷の料理人の皆さんが作ってくれるものも、いつも美味しくいただいています」
そんな会話をする間にタルトのお皿もワイングラスも空になり、楽しい気分で食事を終えた。お腹も心も満たされ、アルコールの酒気も手伝って少し眠気を感じてくる。
一息ついていると、ふと、赤の双眸が少し物問いたげにこちらに向けられていることに気がついた。何か疑問に思われるようなことがあっただろうか。ぼんやりとした思考のまま見つめ返していると、やがてアーネスト様が小さく咳払いして口を開いた。
「王宮前の庭園で、スプレイグの後継に声をかけられたと聞いたが……」
そう言われて、ハッと意識が覚醒する。
アーネスト様がわざわざタルトを用意してくれていた嬉しさに、頭から飛んでしまった今日の出来事。おそらく大体のことはミリアーナ達から報告されてはいるのだろうけれど、アーネスト様に対する伝言も預かっているし、私自身今後について話しておいた方がいいと思われる。むしろこんな大事なことを忘れていて申し訳ない。
「そうでした。アーネスト様への伝言も預かっているのでした」
「場所を変えて少し話そうか。こちらへ」
アーネスト様が誘ってくれるままに席を立つ。
きっとタルトを楽しみにしていた私のために、難しい話は後回しにしてくれていたのだろう。アーネスト様の気遣いに感謝しながら、その後に続いた。




