65:助言
「なぜ突然、そのようなことを? 今朝の新聞には、何が書かれていたというのでしょう」
すぐに返答をせずに困惑を装って質問してみると、スプレイグ卿は少し視線を伏せた。
「セリーナ様が高貴なる瞳を持つことを知ったファンセル閣下が、その能力を目当てに伯爵家に圧をかけて縁を切らせたあげく、婚約者に据えて恩恵を独占しようと目論んでいる、と。祝賀会での有無を言わさぬ所業に、きっとあなた様は拒むことなどできなかったはず。おひとりで不安を抱えていらっしゃるのではないかと想像するだけで、大変心が痛みました」
「まぁ、酷い記事ですね」
本当に事実無根もいいところの捏造記事で嫌になってしまうけれど、やはり彼が示すのはあの記事のことだったらしい。しかもスプレイグ卿は、アーネスト様が私をそばに置くのは天人の瞳を持つからだ、と強調するような言い方をしていて、私達を引き離したい思惑が透けて見えた。
少し暗い気持ちにはなるけれど、私は誰よりも真実を知っている。
無力で足を引っ張ることしかできない私にアーネスト様はずっと優しかったし、婚約まで提案してくれた。今まで重ねてきた日々を思うと、暗くなった心にさっと光が差し込む。
もしかすると新聞記事を信じてしまう魔爵家は少なくないかもしれない。
けれど当の私はそんな記事に惑わされることはないし、最高権力者の王家だって事情をよく知っているのだ。私が揺らがなければ、きっと魔爵家は私達を引き離す理由を作れはしないだろう。
気を取り直して、心配を装う紺碧の双眸にあえて優しく微笑みかけた。
「ご心配ありがとうございます。ですがそれには及びません。天人の瞳の件は、本当につい先日判明したばかりなのです。アーネスト様は伯爵家から濡れ衣を着せられた私に手を差し伸べ、そして天人の瞳を持つことが判明する前から私を大切に扱い、婚約者にしてくださいました。なので今の私には、なんの憂いもありません」
目の前の紺碧の双眸が微かに見開かれる。
「とはいえ、まるで事情を知らない新聞社からアーネスト様を悪様に書かれたことには胸が痛みます。この婚約は私自身心から望み、王家の方々にも祝福をいただいたものなのです。周囲から誤解を受ける記事を出されたことは、大変残念に思います」
「左様でしたか……。私としたことが、虚偽の記事に踊らされてしまうなど。お恥ずかしいところをお見せ致しました」
私の言葉を受けて、スプレイグ卿はすぐに引き下がった。引き際も鮮やかだけれど、これで終わってもらっては困る。
今後のためにも、私がアーネスト様側の立ち位置だということをしっかり伝えておきたかった。
「いえ、誤解が解けたならば何よりです。アーネスト様はとてもお優しいし格好いいし本当に素敵なお方なのです。私はそれを知っているので、そのような記事に騙されることはありませんが、きっと信じてしまう方はいらっしゃるでしょうね。とても悲しいことです」
いったん言葉を切って、紺碧の瞳にしっかりと視線を合わせる。
「どなたがそのような記事を書かせたのかは存じませんが、アーネスト様を貶める者に私が協力することはありませんし、王家の皆様の不興も買ってしまうでしょう。真実が広まり、その方が反省してくださることを祈っております」
あからさまな牽制を込めて放った私の言葉。どう反応されるのかと内心どきどきしていたけれど、私の言葉を受けたスプレイグ卿は不快感を見せたり流したりしなかった。
逆に、軽やかな笑い声が辺りに響いた。
「なるほど、ファンセル閣下はあなた様の心をしっかり掴んでおられるご様子。心配など不要でございましたね。本当に…………とても、安心致しました」
その言葉と共に、それまでのどこか色気を含みこちらに阿るようだった雰囲気が抜けて、彼の纏う印象が少し変わる。けれどその変化は悪いものではなく、むしろ嘘を脱ぎ捨てた者の潔さを感じた。
でも、安心とはなんだろう。
むしろ残念がられることかと思うのに、真逆の言葉を向けられて困惑する。
反応できずにいると、私の後ろに視線をやったスプレイグ卿が急に数歩私から距離をとって、軽く手を上げた。
「おっと。あまり話し込むと閣下を呼ばれてしまいそうですね。信用がなくて悲しいことです。私個人としては、敵対したいなんてさらさら思ってはいないのですが」
そして私に視線を向けると、口元に茶目っ気のある笑みを浮かべる。
「ファンセル閣下にお伝えください。アレがご迷惑をおかけするかと思いますので、大切な花からはくれぐれも目を離さないようお願いします、と」
「え?」
「では私はこれで。今日こうしてお会いできて幸いでした。セリーナ様、あなたに幸多からんことを。ああ、クシュレ嬢、その制服とてもお似合いですよ」
最後にミリアーナに軽くウインクすると、彼はあっさり私たちの横を通り過ぎ、そしてそのまま遠ざかっていってしまった。
「な、なんだったのでしょう……」
急に現れて急に去っていった彼に、わけも分からず置いてけぼりを食らった気分になる。思わず唖然としてつぶやくと、ミリアーナが困ったような表情で私を見た。
「スプレイグ家の当主は、魔公爵の地位を得たいという願望を隠しません。ですが天人の瞳をお持ちのセリーナ様までもファンセル家に属しては、その座を奪うなど到底不可能。それ故に、セリーナ様を引き入れられないか探りたかったと思われますが……差し向けられた彼は、あまりやる気ではないのでしょう」
「個人的には敵対したくないと仰っていましたね。アーネスト様への伝言も私達への助言のようで、なんだか不思議です」
アレとは誰だろう。その人と先程の彼は違う思惑があるのだろうか。
「アレとはおそらく、スプレイグ家当主のことかと。先程のデュアン卿は当主の孫に当たりますが、その魔術の才から次期当主に指名されています。当主は彼の後押しと地位向上のために日夜奔走していますが、様々な事情から本人とは折り合いが悪いのです。その後押しの手段も、デュアン卿からすると受け入れ難い部分があるのかもしれません」
そう言われて、スプレイグ家について教えてもらったり調べたりしたことが頭に浮かんできた。
スプレイグ家は昔から廃域討伐の安全性向上と効率化に力を入れてきた家であり、それ故に春と秋に行われる大規模掃討の現場指揮を任されることも多く、他家からの信頼は厚い。ファンセル家に次ぐ名家とも言われている家だ。
けれど現当主の唯一の子である息子、つまりデュアン卿の父親は、残念ながら魔術の才に恵まれなかったらしい。若かりし頃はファンセル家当主と肩を並べるほどに優秀な魔術師であった現当主としては、良い後継を得られなかったことが許せなかったのだろう。息子との関係は最悪。その分、魔術の才を持って生まれた孫に多大な期待を寄せているという。
思わずため息を吐いた。
父親との仲が険悪だという祖父の後押しを受けて、次期当主として振る舞わねばならない先程の彼も、色々な思いを抱えているのかもしれない。それでもアーネスト様から私を引き離すことに加担していた以上、警戒を緩めるべきではないのだろう。
「彼にも事情があるのですね。敵対する気はないという言葉が本心であれば嬉しいのですが、それでも今アーネスト様と敵対する家におられる以上、私としてはあまりお近づきになりたくはありません」
「少なくとも当主が変わるまでは、スプレイグ家への警戒は怠らないことをお勧めします。本人の意思はどうあれ、当主から命じられれば従わなくてはなりませんから」
「ええ、そう致します」
今スプレイグ家は、アーネスト様の力を削ぐことで自身の地位を上げようとしているのかもしれない。それに利用されないよう、私も重々注意しなければ。
そう思ってふと、王妃陛下が口にされた言葉が脳裏を過ぎった。魔爵家に必要なのは実力だと、くだらない小細工でその地位を手にすることは認められないと仰っていたことから判断すると、果たしてスプレイグ家が魔公爵の地位を手にする可能性はあるのだろうか。
魔爵家の序列の最終決定権は、王家にある。
もちろん魔爵家の意見も重視されるので油断はできないけれど、アーネスト様が成人して正式に魔公爵としての実権を握った段階で、他の魔爵家がその地位を奪う可能性は格段に低くなっているように思えた。
それでも諦めきれない者達がアーネスト様に無駄に反抗しているのだとしたら、陛下が『権力に魅入られたお馬鹿さんはどうしようもない』と口にしていたのも納得できる。一度甘い夢を見てしまった者は、なかなかその夢から覚めることができないのかもしれない。
それに付き合わされているアーネスト様の苦労を思うと、胸が痛くなってきた。
「セリーナ様?」
俯いてしまった私に、ミリアーナが気遣わしげに言葉をかけてくれる。
「……いえ。そろそろ戻りましょうか」
でもここで憂いていても仕方がない。それよりは王宮に戻って、遺物の選別を進める方が有意義だろう。
天人の瞳を持っていたとはいえ私自身の魔術に対する経験は非常に浅いし、アーネスト様の支えとなるためには、とにかく目の前のことを地道にこなしていくしかないのだ。
彼の口にした迷惑とやらが、アーネスト様を深く傷つけたり苦しめたりするものではないことを祈りつつ、ミリアーナと共に王宮の方角へと歩き始めた。




