63:事実無根な記事
「悪い、待たせたな」
「いえ。これは……、遺物のコレクション、ですか?」
戻ってきたアーネスト様が手に持つのは、12マスに仕切られたコレクションケースだった。そこには火魔術の描かれた遺物が綺麗に収められている。
「炎の大魔術師の趣味だ。先程の本に記された火魔術の順に並べてあるらしい。捨ててやろうかと思ったまま忘れていたが、まさか役立つ日が来るとはね」
「捨てられなくてよかったです」
こんなに綺麗なのに捨てるだなんてと思ったけれど、私以外には似たような黒っぽい石板が並んでいるようにしか見えないなら、確かにいらないと思われても仕方がないのかもしれない。
「難易度の高くなさそうなものを持ってきたつもりだが、残念ながら僕には中身があっているかを確認する術がない。君の目から見てどうだ?」
「ちょうど良いと思います。手に取ってみてもいいですか?」
「捨てようとしていたものだ。自由に使えばいい」
許可をもらったので、麻痺の魔術くらいの難易度と思われる一つを手に取ってみる。王宮でも思ったけれど、遺物は石のような見た目に反して不思議なほどに軽かった。
じっとその紋様に意識を集中させる。どういう魔術かは分かるし、なんとなくこんな感じに魔力を動かせばいいのかなという事も朧げに頭に浮かんでくるけれど、容易に再現できるかと問われたら即答できない。
「なんとなく分かる気はしますが、一度で成功させられる気もしません。とりあえず試してみてもよろしいですか?」
「危険なものでなければね」
「火を起こすだけの魔術で、危険は低いと思います」
念の為少し離れたところに狙いを定めて、魔術を使ってみる。
1度目は魔力が霧散してしまったけれど、2〜3度試すと地面に火がついた。けれど歪な紋様は満足できるものではなかったのですぐに消して、さらにもう一度試すと、遺物と同じそれがぱっと浮かんで安定した炎が地面で揺れる。
「成功、です。燃やせるものがなくても料理ができたり暖を取れる、といった感じの魔術だと思います」
「……見事なものだな」
アーネスト様が感心したように言うので、少し得意な気分になる。ただ試してみて、もう一つ悟ったことがあった。
「これ以上の難易度のものを、と言われると難しいかと思います。アーネスト様がお使いになるような魔術の再現を望まれても、なかなか期待には応えられないかもしれません」
「天人の瞳を持つとはいえ、君は魔術に触れて間もない。それも当たり前のことだ。第一、画期的な魔術を発見するところから始めなくてはならないのだから、再現を望まれるのはまだ先のことだろう」
「確かにそうですね」
遺物がどのくらいあるのかは分からないけれど、そう都合よく新しいものが見つかるとも限らない。
「ただ、君のその能力を伸ばす方向で今後の魔術訓練の中身も考えておく。焼却の魔術も習得できたんだ、君にとってもそう負担ではないとは思うが、辛くなったりしたらすぐに言え」
「はい、ありがとうございます」
私を気遣う言葉ににこにこしていると、そっと髪を撫でてくれる。最近こうして触れてくれる頻度が増えた気がして、私としてはとても嬉しい。
上機嫌なままその後もいくつかアーネスト様とできることとできないことを確認して、それなりの収穫をもって訓練場を後にした。
アーネスト様と天人の瞳の能力把握に時間を費やした翌日は、近づいてきた王妃陛下主催の夜会に備えて当日の装いを再確認したり、アーネスト様にもらった魔術式一覧を頭に入れたり、予想外に今後も屋敷を開けることが多くなるため、私に引き継がれる予定だった屋敷管理業務を調整し直したりと、それなりに忙しく過ごした。
そして、その翌日。
今日は朝から王宮へ行く予定なので、少し緊張しながら朝食をとっていた。検査用遺物の選定などを行う予定だけれど、ちゃんとできるだろうか。なぜか急に不安になってきた。
「緊張しているのか?」
そんな私に気がついたアーネスト様が声をかけてくれたので、正直に頷く。
「初めてのことですので、どういったことを求められるのかと……」
「最初は僕も同席するから、そう不安がることはない。それに何か困ったことがあれば、あの見習いに頼めば僕に話が伝わる。遠慮なく言え」
「そう仰っていただけると、すごく気が楽になります」
アーネスト様がいてくれるというだけで、かなり安心できる。ほっとしていると、アーネスト様が口もとに笑みを浮かべた。
「求められることの量が多かったり難しかったりしたら、はっきりとそう伝えろ。なにせ炎の大魔術師からは100年以上間が空いているんだ。手探りなのはあちらも同じ。相談しながら進めていけばいい」
「はい、そのように致します」
アーネスト様は今日も素敵だ。不安が瞬く間に薄められていく。
色々懸念はあるにせよ、この能力のおかげでアーネスト様に釣り合えるし、そのうちお役に立てる可能性もある。焦らず自分にできることから着実に進めていこう。
なんて、前向きな気持ちになって食事を終えたのに。
「な、なんですかこの記事はっ」
食後の紅茶を楽しむ私の前に置かれたのは、そんな気分を吹き飛ばす新聞記事だった。
「私に天人の瞳の能力があることを知っていたために、アーネスト様が伯爵家に圧をかけて無理やり私を攫って行っただなんて、言いがかりにも程がありますっ!」
信じられない。
どこの新聞社だと確認すれば、伯爵家の私に対する仕打ちを記事にしながら、ロマンス記事の新聞社とは反対に、アーネスト様に救われた私を『不幸にも更なる地獄へと叩き落とされた』なんて書いていたあの新聞社だった。
わなわなと怒りに震える私に、アーネスト様は落ち着けと声をかける。
「こちらが何をせずとも、王家が動くだろう。明日明後日には謝罪記事を出してくるはずだ。ただこのような記事が出たということだけ、頭の片隅に入れておけばいい」
アーネスト様やエーゼルが今この記事を私に見せてくれたのは、王宮など人の多いところへ行く私が変なタイミングで知ってショックを受けないようにということだろう。その配慮はとても有難いけれど、この記事は本当に許せない。わざわざ臨時刊行して一面に載せているだなんて、明確な悪意を感じる。
「王宮前の庭園で、アーネスト様の素晴らしさを語り歩いてしまいましょうか。そうすればこんな事実無根な記事、誰も信じないはずです」
「やめておけ」
素早く制止されるけれど、やってしまいたい。
そもそも魔公爵やそれを優遇する王家に喧嘩を売るような記事を、なぜこの新聞社は出してきたというのだろう。よく考えなくとも、アーネスト様を敵視する魔爵家が背後にいることしか理由は思い浮かばない。いったいどの家なのだろうか。そんな家の遺物は、お願いされたって解読してやるものかという気になってくる。
「ほら。そんな記事はもう放っておいて、そろそろ支度に上がれ。今日は朝から王宮へ行く予定だろう?」
尚も新聞記事を睨みつける私の気を逸らすように、アーネスト様が2階へ上がるよう促す。確かにお化粧や髪を整えてもらう時間が必要なので、そろそろ支度を始めなくてはならない。
小さくため息を吐いて、持つ手に力が入ってしまったためにクシャッと皺になった新聞を手放した。本当にすぐ謝罪文が出るのだろうか。私が天人の瞳なんて大層なものを持っていなければ、こんな嫌がらせなんてされなかったかもと思うと、少し気が落ち込む。
気持ちの変化が忙しい私とは対照的に、アーネスト様はまるで記事を気にする様子もなく、コーヒーを片手にいつもの新聞をゆっくり読んでいた。その動じない様を見ていると、不思議とこちらの心も落ち着いてくる。
「……では、支度して参ります」
「ああ」
いつまでもここで憤っていても仕方がない。アーネスト様を巻き込んで遅刻するわけにもいかないので、色々なものを飲み込んで、とりあえず出かける準備に取り掛かることにした。




