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62:魔術式

 昼食を終えて訪れたのは、アーネスト様のお部屋だった。


 以前とは違い、少し開けられたドア、エーゼルが持ってきてくれた飲み物とちょっとした食後のデザートの香りが、緊張を和らげる。そしてソファに2人仲良く並んで座っていられるのが嬉しい。

 機嫌の良い私がデザートを楽しむのを見ながら、アーネスト様はゆっくり話し始めた。


「天人はそもそも異界に住む者だった、と言われていることは知っているか?」

「はい」


 それは最近読んだ書物の中にも記載があった。

 廃域には、異界とこの世界の境が曖昧になった次元の裂け目と呼ばれるものが存在する。研究者の推察によると、異界はこの世界よりも魔力に満ちており、魔物や天人のような不思議な生き物に溢れているらしい。


 異界からは魔物や天人の遺物と呼ばれるものなど様々なものがこの世界に落ちてくるけれど、こちらから異界へ行こうとして成功した人はいない。それ故、異界はこちらの世界より高次元にあると言われていた。


「こちらの世界に来たのが故意か偶然かは分からない。天人がこの世界との裂け目を作ったために、魔物がこちらの世界へ来るようになったのだという説を唱える者もいる。息を吸うように魔術を使う一族で、文字さえ独特の魔術を用いて記していた。大昔は小さな村を作る程度の人数がこの世界にいたのではと言われているが、真偽は定かではない」

「魔術師はその天人の血を引くのだと言われていますよね。では何故、天人の文字を読める者がこれほど少ないのでしょう」

「そもそも異なる世界の者との間に子が生まれ、魔力を引き継げた事自体が不可思議だ。天人がこの世界で愛した者との子を成すために特殊な術を行使したのだ、という者もいれば、天人の血を引くという定説が間違いで、こちらに魔物を引き入れてしまった良心の呵責から、特殊な能力を我々に授けたのだという者もいる。魔術師や魔力の存在自体が明確でない以上、天人の瞳がなんの意味を持つのかを断じるのは難しい。ただの先祖返りのようなものだ、という説が今は有力とされているけどね」

「先祖返り……」

「まぁ、そんな謎だらけのものでしかない、という事だ」


 アーネスト様がちょっと肩をすくめて、言葉を続ける。


「天人の瞳を持つ者とは、天人の文字が目に映る者を指す。その者は魔術式を目にすると、それがどういった性質のものかを理解することもできる。理解には個人差があり、系統と使用した場合の効果だけがわかる者もいれば、容易に魔術を再現できるほどの者もいる。君のように魔術使用の際に魔術式を目にできる者も少なくはないが、それに関しては絶対ではない」

「魔術を再現できる人は少ないのですか? それができるからこそ、天人の瞳が求められているのだと思っていました」

「魔術系統と効果さえ分かれば、それに向かって魔術師が研究を進めることも可能だ。そして魔術使用の際に魔術式が目に映る場合、その方向性があっているかを視覚的に判断できる」


 なるほど。例えば闇魔術で転移ができると判明すれば、遠回りながら魔術の発展には貢献できるということか。


「それに天人が魔術式しか記さないわけではない。書物のようなものが見つかることもある。天人の文字を読むことしかできずとも、それを研究者の目に見える形にしてもらえれば、異界や魔物、魔術の研究に役立てることができるんだ」


 その言葉を聞いて、少し気が楽になった。


「アーネスト様のご先祖様のイメージが強いせいか、魔術の使用にも研究にも秀でていなくてはならないような気がしていましたが、とりあえず文字が読めればお役には立てるのですね」

「炎の大魔術師は生粋の魔術好きで、天人の瞳を持つ者の中でも能力も本人の意欲も高かったそうだ。それと比べる必要はない」


 ほっとした私に、アーネスト様が悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「ただ魔爵家の者達は、自分達が収集してきた遺物から君が画期的な魔術を発見して、その再現に協力してくれることを期待しているはずだ」

「何か良いことがあるのですか?」

「ああ。新しい魔術を国に登録すると、60年の独占権を得られる」

「独占権?」


 その魔術師一家しか使えないということだろうか。


「独占権のある魔術は、権利を持つ一家しか他人に教えることを許されない。それ故に権利を持つ家は、それを習得したい家から多額の対価を得る事ができる。他国から要望を受けてその魔術を売れば、それこそ莫大な資産を築けるだろうね。魔術師が開発する魔術はどうしても魔力効率や威力が天人の魔術に劣るから、天人の新魔術は需要が高いんだ。だから皆、君が自分の家の遺物を優先して解読してくれることを願うはずだ」


 そんな制度があるなんて初めて知ったけれど、すごく良いことを聞いた気がする。


「ではアーネスト様が集めた遺物を真っ先に確認しなければなりませんね。とてもやる気が湧いてきました」


 アーネスト様の集めた遺物から新魔術を発見できれば、ファンセル家の地位は更に向上するに違いない。お金も稼げる。なんていい話なんだろう。

 浮かれている私に、アーネスト様が仕方のないやつだと言うような視線を向けた。


「仕事はほどほどにすると先程自分で言ったことを、忘れないように」


 念押しするように言われて、そうだったと思い出す。アーネスト様のためだと意気込んで、共にいる時間を減らしてはいけない。私はただアーネスト様に喜んで欲しいのだから。

 そして、ふと思った。


「遺物の解読くらい、このお屋敷でできないのでしょうか」

「他家のものをこの屋敷に持ち帰ると、遺物をすり替える気かと難癖をつけられる可能性は否めないが、ファンセル家所有のものなら問題はないかもね。だが君も今よりずっと忙しくなるんだ、家でくらいゆっくり休め」


 最後の一言に、思わずきゅんとしてしまう。こうしてお金や名声よりも私のことを心配してくれるアーネスト様に愛しさが込み上げて、思わずすぐ隣の温もりに擦り寄った。


「どうした?」

「アーネスト様が素敵だと改めて実感しているのです」

「本当に唐突だな、君は」


 呆れたような声だけれど、私を見つめる瞳は優しい。


 私はただ、アーネスト様が喜んでくれればいい。アーネスト様が幸せでいてくれることが大切なのだ。天人の瞳をどう生かしていくことになるのかはまだ分からないけれど、それを見失わないようにしよう。そう心に刻んだ。








 天人の瞳についてアーネスト様に説明してもらったあと、私の能力を測るべく屋敷裏手の訓練場へと向かった。

 そしてそこで、一冊の本を見せられる。


「これが炎の大魔術師が作成した、魔術式一覧だ」

「こんなものがあるのですね……」


 アーネスト様が持つそれには、魔術式が系統順にずらりと並んでいる。


「魔術研究の資料として所有する家も多い。自分の開発した魔術がこうして本に載ることを、研究者であれば夢見るだろうね」


 その言葉でふと、アーネスト様が祝賀会で使ったカエル化の魔術が思い浮かんだ。


「人をカエルにする魔術も、アーネスト様が開発されたのですか?」

「まぁ、そうだな。大昔の資料に、天人達は自由に姿を変える魔術を行使していたという記述があってね。再現できないかと試してはいるが、進捗は芳しくない」


 そう言って、アーネスト様がなにもないところに向けて魔術を放つ。ぱっと見えた魔術式は確かに歪というか、違和感を感じるというか、拙い感じがする。

 祝賀会の時に何とも思わなかったのは、魔術に触れるようになって私の能力が開花してきたということなのだろうか。


「言葉にし難いのですが、色々欠けている、という感じがします。とりあえず、今の魔術式を描いてみましょうか?」

「いや、研究所で暇な時に着手してみただけのものだ。完成してもおそらく難易度が高すぎて操れる者が少ないうえ、悪用の危険もある。君が労力を割くに値するものではない」


 そう言って、アーネスト様は口元に笑みを浮かべた。


「だが君のやろうとしたことは、魔術開発に心血を注ぐ者達にとっては多額の対価を差し出しても依頼したいと思うものだろう。あの連中は魔術以外目に入らないところがあるから、近づいてこられても速やかに逃げて、僕に教えろ。あれらが暴走しないよう監視するのも僕の勤めだ」

「わ、分かりました」


 何だか怖い人たちのようだ。


「まぁそれはともかく、君の能力の確認に移ろう。君は魔術の習得が異様に早かったから、魔術式から魔術を再現する事が可能かもしれない。雷魔術の一覧を見て、できそうなものがあれば試してみて欲しい」

「再現……」


 ペラペラと本をめくってみるけれど、なんとなくピンとこない。今にも消えそうな灰色遺物に描かれた魔術式の方が、まだなんとかできそうな気さえした。とはいえ光魔術は適性がないので、使おうとしても不発に終わるだけだろうけれど。


 うーんと悩む私に、アーネスト様が首を傾げる。


「難しそうか?」

「その、変な表現かもしれないのですが、ただ紙に書かれたものは情報が薄い感じがするのです」

「……そういえば、過去の記述では遺物から魔術を読み取っていたと言われていたな。ただの印刷物では駄目だということか」


 そう呟くと、アーネスト様は少し待てと言って一瞬で姿を消してしまった。もしかして遺物を取りに行ったのだろうかと思いながら、言われた通り大人しくその帰りを待つ。少し寒さの和らいできた気候が気持ちいい。


 天人の瞳を持つことが分かってから、私も屋敷にある天人の瞳について書かれた本を読んでみた。けれどそこに書かれていたのはその所有者の偉業を讃える内容で、当たり前だが天人の瞳を持つ者に向けての内容ではない。もしかすると王宮や魔術院にはそんな書物もあるのかもと期待したが、アーネスト様の様子からするとそう詳しいものはないのかもしれない。


 恐らく今までの天人の瞳の所有者は、魔爵家に生まれ幼少の頃に見出され、そして活躍できる成人年齢になる頃にはその能力も自身で把握できていたのだろう。私のように魔術に触れずに過ごし、大人になってから急に見出された例はないのかもしれない。


 なんだか一歩も二歩も出遅れている気になってそっとため息を吐いていると、消えた時と同じく、突然アーネスト様が姿を現した。

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