60:変化の始まり
「本当か?」
アーネスト様が驚いたように目を見開く。
こくこくと頷く視界が、居た堪れなさで滲みそうになった。いや、ダメだ。さすがに泣き出すことだけは避けなければならない。必死で平常心を保っていると、アーネスト様が納得がいかないというように男性から箱を取り上げた。
「まぁ、当然だが僕にも何も見えはしないな」
そして、それを私に手渡す。
「だが天人の瞳でないとなると、君の能力は一体何だ? 判明していることで言うと、魔術使用の際に魔術式が見えることと、それにより魔術の習得が異様に早いことだが……」
「遺物の解読ができないこと以外は、天人の瞳の所有者に確認される能力に当てはまるな。しかも魔術の習得が早いと言うことは、魔術式から魔術の構成を理解する能力に長けているということだろう? むしろ能力が高いことを期待していたが、意外だったな」
「陛下もこのような事例はご存じありませんか?」
「ああ。だが歴史に詳しい者に、それとなく確認してみよう」
アーネスト様と国王陛下が話す横で、王妃陛下と王子殿下は少し悲しそうな顔をしている。でも一番悲しいのは私だと思う。
渡された遺物を恨みがましく睨んでしまう。
「……ん?」
けれどすぐ近くで見ると、灰色で濃淡の細かな斑模様になっているそれに、微かに金色の光が見える気がしてきた。さらに顔を近づけて観察すると、うっすらと紋様が見える気もしないでもない。
もしかして私は『ものすごく能力の低い天人の瞳の所有者』ということだろうか。悲しすぎる。
でもその消え入りそうな金色を紙に写せと言われれば、できないこともない気がしてきた。さらにじっと見ていると、なんとなく傷が癒えるイメージも頭に浮かんでくる。おそらく光魔術の魔術式が描かれた遺物なのだろう。
「どうした、もしかして何か見えそうか?」
遺物を近づけたり離したり目を眇めて頑張っている私に、王子殿下が少し期待するように声をかけた。
「その、とてもうっすらと掠れた感じにではありますが、魔術式が見えます。おそらく光魔術の系統だとは思いますが……」
「本当か!」
殿下の笑顔が眩しい。
その声に、話し込んでいたアーネスト様達の意識もこちらに移る。
「とりあえず、描いてみます」
用意してもらった紙の横に遺物を置いて、見える通りに線を描いていく。みんなの視線が重たい。それでも一応この紙を埋められることに、ほっと胸を撫で下ろした。少なくとも虚言だという疑惑は持たれないだろう。
そして描き終わった紙を遺物を持ち込んだ男性に見せると、彼は懐から正解の描かれているだろう紙を取り出して見比べ始めた。
そして、私に視線を向ける。
「この魔術式がどういった魔術を示すのか、お分かりになりますか?」
「おそらく治癒系の光魔術か、と」
そう答えると男性は一つ頷いて、恭しくこちらに頭を下げた。
「天人の瞳を授かり生を享けられましたこと、心よりお喜び申し上げます。その瞳が映す世が安寧秩序を保ち、更なる躍進を遂げますように」
厳かに告げられたその言葉に安堵するとともに、急に身の引き締まる思いがした。
私は、アーネスト様に喜んでもらえればいいとしか考えていなかった。でも天人の瞳は、国にとって大きな意味を持つものなのだろう。魔術が発達し、廃域と人の住む地域の線引きを明確に保てている今でさえ、期待される役割がまだあるらしい。
けれど厳かな気持ちになると同時に、果たして躍進に貢献できるのかという不安が込み上げた。歴代の天人の瞳の所有者に比べて、遺物の文字を見ることさえ苦労する私はとんでもなく力不足な可能性がある。
「まぁ、とりあえずおめでとう」
微妙な表情になっていると、苦笑気味のアーネスト様が軽く髪を撫でてくれた。それになんとか笑顔を返していると、王家の方々も口々におめでとうと寿ぎをくださり、恐縮してしまう。
「ありがとうございます。一安心は致しましたが、私の能力ではかろうじて遺物を読み取れる程度のようです。今までの天人の瞳の所有者様方に比べると、力不足の点も多々生じる可能性が否めません」
「そうだな……。不確定要素もあるし、発表はもう少し君の能力が明らかとなってからにすべきか」
「そうしていただけると、とても有難く存じます」
国王陛下のお言葉に、少しだけ気が楽になる。
ほっと一息ついていると、アーネスト様が机から遺物を取り上げた。そしてしばしそれを観察して、訝しげな声をあげる。
「少し気になったのですが、この遺物はいつから検査に使用しておいでで? 廃域で見つかるものはもう少し黒味が強く、魔力を帯びている事が多いのですが」
「それはおそらく一番古いものだろう。建国間もない頃から使用されているはずだ。検査用の遺物はもう2つあり、5年ごとに入れ替えて使用している」
「建国?」
アーネスト様の目が驚きに見開かれる。
「800年ほど前から使用していると? セリーナの能力ではなく、この遺物自体の劣化という可能性もあるのでは?」
アーネスト様の言葉に、国王陛下が目を丸くして遺物に視線を向ける。
「遺物の劣化、か。その発想はなかったな」
「遺物の入れ替えのタイミングによっては、セリーナは幼少期の検査と同じ遺物を目にしている可能性もあります」
「確認のため、他の遺物も持って来させよう。術式を描き移した紙もこの際一度セリーナに確認してもらうか。そちらは私の許可証がないと持ち出せないから、私自身が取りに行ってくる。少し待て」
そう言うと、国王陛下は遺物を持ち込んだ男性に目配せして共に部屋を退出されてしまった。
しん、と部屋に沈黙が落ちる。
「いやぁ、まさか、遺物も劣化するんだな」
微妙な部屋の雰囲気を変えるように、殿下の声が明るく響いた。でもこれで同じようにうっすらとしか見えなければ、私は恥を上塗りするだけではないだろうか。これ以上心を傷つけないでもらいたい。なんだかお腹が痛くなってきた。
一人プレッシャーと戦う私をよそに、アーネスト様は声を上げた殿下に冷たい視線を向ける。
「おやおや、未来の王太子殿下は随分と呑気でいらっしゃる。もし本当に劣化であれば、検査の欠陥により天人の瞳の所有者を見落とすところだったと言うのにね」
「うっ、わ、私に怒らないでくれ。それに考えてもみろ。もし幼少期に天人の瞳を持つ事が分かっていたら、彼女は私や弟の婚約者となっていた可能性だってある。君の隣にはいないかもしれないんだぞ!」
「……」
「そう考えると、よかったとも言えるわね。結果、セリーナはアーネストの婚約者の立場で、天人の瞳を所有者していることを認められたのだもの。検査についての見直しもできて、この先の憂いもなくなるわ」
お二人の言葉を受けて、はぁとアーネスト様が大きなため息をついた。そして胃を痛めながら様子を見守っていた私に気が付き、ひょいと片眉を上げる。
「どうした?」
「劣化ではなく、私の能力が著しく低い可能性もありますので……」
そう言うと、ふっと笑われた。
「まぁその可能性もなくはないが、僕は遺物の方に瑕疵がある気がしている。いずれにしろ不確定な事ばかりだ。君は何を恥じる必要もない。堂々としていろ」
「はい」
励まされて、少しだけ気分が上向いた。
そうして。
しばらくの後、国王陛下方が戻られてから確認した遺物は、アーネスト様が口にしていたように先の遺物よりも黒味が強く、そして金色の魔術式もはっきりと見えた。私の能力がダメだった訳ではないと判明して、深い安堵が胸を満たす。
その2つの遺物は今後も検査に使用して問題ないと思うが、最初の薄灰色の遺物は適さないため、後日検査用遺物の選定も行うことになった。私の選んだ遺物が今後数百年検査に使用されるかもしれないと思うと、大きな責任を感じる。
なんだか急に世界が変わって見えて、そして、ふと思った。
両親を亡くした時、アーネスト様と出会った時。私の人生にとって大きな変化の始まりだったその時と同じように、今また大きな変化が訪れようとしているのかもしれない。
でも、不思議なほど不安を感じない。それはきっと、アーネスト様が身も心も支えてくれているからだ。隣にアーネスト様がいてくれるのであれば、きっと大丈夫。そう自然に思えた。
その翌日。
クメルヴェルグ王家から国内外に向けて、天人の瞳の所有者の存在が大々的に発表された。そこにファンセル魔公爵の婚約者として記されている事が、私にはとても誇らしかった。




