59:初めて
開いたドアの先。その美しい赤の瞳に後悔の色が見えて、何を言う前にその身体を抱きしめていた。
「申し訳、ございませんでした」
「……なぜ、君が謝るんだ」
アーネスト様の腕が、どこかぎこちなく私の身体を包む。それだけで救われた気がして、伝えたかった言葉が自然と口からこぼれ出た。
「もし私が天人の瞳を持っていても、きっと何も変わりません。ずっとアーネスト様のことが好きです。アーネスト様のことだけが好きです。他の誰に手を差し伸べられても、私はアーネスト様のことを選びます。この想いは、そう簡単に消えません」
言い切った瞬間、私を包んでいた腕にぐっと力がこもり、きつく私を抱き込んだ。痛いほどの抱擁が、今は堪らなく嬉しい。
「僕はきっと、君にそれを言わせたかった」
絞り出すような声が、心を震わせる。
「幼稚な甘えで、君を傷つけた。謝るべきはこちらだ。本当に悪かった」
早口で告げられた言葉に、途方もない安堵と愛おしさを感じる。こうして誠実に向き合ってくれるアーネスト様が、私は好きだ。
「私も悪いように解釈して、勝手に怒ってしまいました。申し訳ございません。次からはどんな甘えも受け止めて見せます」
「僕の甘えが君を傷つけるものであれば、今回みたいにちゃんと怒れ」
ふっと笑みの混じった吐息が聞こえて、私をきつく抱きしめていた腕の力が緩んだ。
顔を上げると、視線の先には穏やかで優しい表情のアーネスト様がいる。それに釣られるように、私の顔にも自然と笑みが浮かんだ。
「私に天人の瞳があれば、魔公爵であるアーネスト様に釣り合えます。何かお役に立てるかもしれません。私にとっては、天人の瞳を持つ価値はそれだけです。その他大勢から望まれたいわけではないのです」
手を伸ばして、アーネスト様の頬に触れる。
「絶望していた私に手を差し伸べてくれたのも、背中の傷を癒してくれたのも、アーネスト様だけです。何も持たない私を大切にして、身も心も守ってくれたのも、アーネスト様なのです。『今であれば』という仮定には、何の意味もありません。今日までの日々が、いただいた優しさがあればこそ、私はアーネスト様の妻になりたいと願うのです」
静かに輝く双眸は、まっすぐに私を見つめている。
「私の心の中を、見ていただけたらいいのに。そうすればきっと、簡単に誰かがとって代われるようなものだとは思われないでしょう。私の中でどれほどアーネスト様の存在が大きいか、お見せできないのが残念です」
そう言うと、アーネスト様が小さく笑った。そして、再び抱き寄せられる。安堵するような大きな吐息が、耳元をくすぐった。
「君はいつも、簡単に僕の欲しい言葉を口にする。長く共にいるわけでもないのに、なぜ他の誰の言葉より、君の言葉が胸に響くんだろうね。こんなふうに僕を揺さぶって振り回すのは、きっとこの世界で君くらいだ」
「振り回されているのは私ではないでしょうか」
「行動も思考も突拍子もないのは君だろう。君といると、僕も以前では考えられないような行動をさせられる」
ぎゅっと、私を抱く腕に力が籠る。
「けれどそんな自分が、嫌いではない。魔公爵でも魔術師でもない、ただの1人の人として未来を期待することが、これほどに充実感をもたらすのだと初めて知った」
ふわっと心に喜びが湧き上がる。私の存在は、アーネスト様にとって少しは良い影響を与えられていたらしい。
思わずアーネスト様の背に回した手で、その黒髪を撫でた。サラサラと指を通る感触も、それをアーネスト様が私に許すことにも、幸せを感じる。そのお返しのように、アーネスト様の手も私の髪を優しく梳いた。
「アーネスト様といると、私はとても幸せです」
思わずそう呟くと、アーネスト様が微笑む気配がした。そっと離された身体に寂しさを感じる間も無く、私の頬に手が添えられる。きらきらと輝く赤の双眸が近づいて、自然に目を閉じた。
ゆっくりと優しく、唇が重ねられる。
やがて一度離れた唇はしかし、離れ難いというように引き寄せられ、再び深く重なった。言葉にならない想いを伝えるようなそれは、少しだけ苦しくて、熱くて、とても愛しい。
やがて名残惜しむように口付けがほどかれて、代わりというようにまた抱きしめられる。慈しまれ満たされた心が、喜びに震えた。
「すき、です」
溢れ出しそうな思いを、無意識に呟いた。ただ、口にしただけで満足だったのに。
「僕も」
思いがけず返されて、息を呑んだ。
「君が好きだ」
耳元で噛み締めるように囁かれた言葉に、突然時が止まったかのような衝撃を受けた。考える間も無く、熱い涙が頬を伝う。
好きだ、と。
初めて、言ってもらえた。
「うっ、……っ」
もともと緩んでいた涙腺は、もはや壊れたように頬を濡らす。
言葉にされなくても、アーネスト様が私を思ってくれている事は感じていた。それでも言葉にされると、どうしようもない程に嬉しい。アーネスト様のことも、そして自分のことも。よりいっそう大切で、今よりもずっと大事にしようと、そう思えた。
「また泣くのか?」
柔らかな笑いを含んだ声が耳をくすぐり、宥めるように頭を撫でられる。
「し、しっ……うぅ」
「はいはい。幸せが溢れたんだな」
もはや私の言動を把握されていて、思わず笑いが込み上げる。泣きながら笑い始めた私は、ちょっとおかしいのかもしれない。
でも、今日くらい許して欲しい。どん底に落とされてから天上の景色を見ると、きっとみんな私みたいになるはずだ。
ああ、でも。私ほどに幸せな人は、きっとどこにもいないに違いない。そう思えるほどの幸福を胸に抱えて、愛しい人の温もりに包まれて、涙が止まるまでその腕の中で甘やかされていた。
翌日の早朝。
昨夜のうちに王家と連絡を取っていたらしいアーネスト様に連れられて、王宮へと転移する。書斎のようなそこには、国王陛下夫妻とナイシェルト王子殿下が私たちを待ち構えていた。
「炎の大魔術師以後、他国含めなかなか天人の瞳を持つ者は現れなかったが……。まさか、セナーデに次いで我が国にも、その所有者が現れるとはな」
いきなり高貴な方々に囲まれて緊張しているのに、さらに国王陛下のお言葉に緊張がいや増す。
天人の瞳を所有することを前提に話をされているけれど、私は一度検査で弾かれている身なのだ。もし万が一やっぱり天人の瞳は持っていませんでしたとなれば、居た堪れなくて気絶してしまうかもしれない。
不安で倒れそうになっている私の気持ちなどいざ知らず、王子殿下も嬉しそうに私に話しかけてこられる。
「君が天人の瞳を待っていると聞いて、アーネストとの縁も結ばれるべくして結ばれたのだと話していたんだ。判明してよかったよ、おめでとう」
「本当にそうね。慶事が続いて、これほど喜ばしいことはないわ」
王妃陛下も実に楽しそうにされていて、思わずアーネスト様の服をすがるように掴んだ。喜ぶのはどうか、天人の瞳の所有が確定してからにして欲しい。
そんな私の背中を宥めるようにアーネスト様が優しく叩くのと、書斎のドアがノックされるのが同時だった。
「入れ」
「失礼致します」
1人の男性が素早く部屋に身を滑り込ませると、国王陛下が私に視線を向けた。
するとその男性が腕に抱えてきた薄い箱と紙、ペンを私の前の机に置く。
そして、箱を開いた。
「こちらをご覧いただき、目に映るそのままを紙に書き写してください」
「は、はい」
何となく恐れ多くて、少し距離をとってそれを見る。
片手ほどの箱の中には同じくらいの大きさの、薄い灰色がかった石の板のようなものが入っていた。幼い頃に貴族の子女が集められて見せられた時と同じもので、少し懐かしさを感じる。
ん?
……おな、じ?
すっと血の気が引く。
「セリーナ?」
顔色を失った私に、アーネスト様が気遣わしげに声をかける。
思わず、その腕に縋りついた。どうしようどうしようという思いが渦巻くけれど、誤魔化すことなどできるはずもない。
カラカラになった喉を、必死に震わせた。
「な、にも、見えま、せん……」
私の悲痛な声が、虚しく室内に響いた。
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一波乱ありましたが、様々な心配完全払拭でアーネストが1番安堵していることでしょう……
ペースをあげて、来週末にはハッピーエンド予定です




