56:答え
「隠している、こと……?」
まるで尋問のような雰囲気と、アーネスト様の示す私の隠し事に思う当たる節もないことで、困惑する。
きっとマリアや帰宅時のアーネスト様の反応からするに、魔術のことだろうとは思う。でも何が彼らに疑いを持たせているのかが分からない。
「私は何も、隠す気はありません」
「なら問おう。君はどこで魔術を習った?」
私がどこかで魔術を習っていたことを前提とした言葉に、困惑が大きくなる。
それほど焼却の魔術を成功させたことは不自然だったのだろうか。でもそれがどれほど普通から外れているのか、魔術に触れて間もない私には判断がつかない。
「伯爵家では、魔力を抑える指導しかされていません。魔術を学び始めたのは、こちらに連れてきていただいてからです」
「なるほどねぇ」
それまでどこか楽しそうにこちらを見ていた赤の双眸が、すっと細まる。
「確かに君の言葉は、僕が事前に君を調べていた内容とは一致する。君はごく普通の地爵家の娘で、魔術にはほぼ触れずに過ごした。適性は火と雷、天人の瞳を所有しておらず、またここ数代の血縁者には魔爵に叙されるほどの能力者はいない」
淡々とした口調で語られる言葉に、私の認識との齟齬はない。なのに冷たい視線が、不安を強くする。
「なら何故、君はこの短期間で準上級魔術まで習得できた? あれは幼い頃から魔術を学ぶ魔爵家の者でさえ、習得に一月近くかかるものだ」
「ひ、一月?」
数週間ではなかったのか。しかも準上級魔術という言葉からも、容易に習得できるものではないことが想像できる。
それを魔術自体を学び始めてから一月程度の私が5日で習得したとなると、この疑いのこもった眼差しを向けられることも納得できる。明らかに不自然だ。
けれど実際、私には何の裏もない。でも裏がないことを、どうやって証明したらいいというのか。
泣きそうになっている私を、アーネスト様は尚も淡々と追い詰める。
「君は、本当にセリーナ・サバスティか? 本物は両親と共に亡くなっていて、魔爵家の者が成り代わっていると言われた方がまだ信じられる。だが、成り代わった理由は、さらには4年も大人しく虐げられていた理由はなんだ? そしてなぜ今更こちらに疑念を抱かせるような露骨な襤褸を出す? 魔術のこと以外、君の擬態は完璧だった。それこそ今まで僕を信用させるほどに」
そこで初めて、アーネスト様の顔が苦しげに歪んだ。
「正直に言え。事情によっては、このまま僕が守ってやる。それとも今まで口にしたこと全てが、君の心さえ、まやかしだったとでも言うのか?」
「違います!」
「なら何故隠す!!」
厳しく叱責されて、反射的に身体が強張る。
凍りついた私を見て、アーネスト様が一瞬唇を噛んだ。そして、やりきれないと言うように、苦い息を吐く。
「僕は君を、王家にも引き合わせた。疑惑のある者をそのままにしておくことは、僕には許されない」
じわりと、涙で視界が滲んでいく。
アーネスト様はきっと、最大限譲歩して私に向き合ってくれている。私のすべてを嘘だとは決めつけず、事情によっては守ってやるとまで口にしてくれた。
でも、私にはアーネスト様を納得させる術がない。己の潔白をどう証明すれば良いのだろう。『ない』ことの証明は、とてつもなく難しい。
魔術なんて、学ばなければよかった。
「セリーナ」
促すような口調はどこか懇願さえ孕んでいて、余計に苦しくなる。
「私は何も、隠していません。なんの嘘もありません。私がセリーナである証明は、領地の者に確認してください。ですが魔術は、本当にここへ来てから学び始めたのです。真実を話せと言われれば、私はそうとしかお答えできません」
堪えきれなくなった涙が、冷たく頬を伝う。
「何が、悪かったのでしょうか。私はただ、アーネスト様に少しでも相応しくなりたかったのです。それだけ、なのです。焼却の魔術だって、早く覚えたら、お役に立てるかも、しれない、とっ、……っ」
苦しさと悲しさが、喉を詰まらせる。いっそ、私の心をすべて見せられたらいいのに。そこに一欠片の嘘もないことを、確認してもらえたらいいのに。ただ信じてくれとしか言えない自分が、無力で無様で嫌になる。
現実から逃げるように閉じた瞼から、また一筋涙がこぼれ落ちた。
小さな嘆息が、耳に響いた。
「泣きたいのはこちらだ」
私を囲うようにソファの背もたれについていたアーネスト様の手が、離れていく。すっと心にも隙間風が入り込むようで、余計に苦しさを感じた。
「君が単に魔術の経験を隠していた、天人の瞳を持つことを隠していた、伯爵家の意図または君自身の都合からセリーナに成り代わっていた、伯爵家自体が世間の目を欺くために君を偽装した。あれこれ考えても、どれも証拠にもそうする理由にも欠ける。僕が君を引き取ったのは本当に偶然だ。そしてサバスティ伯爵家は王都とも魔爵家とも関わりは薄く、少し探ったところで怪しむべきところも出てこない。君の話も一貫していて、矛盾がない。魔術の件、以外では」
アーネスト様の声が苦さを含む。
「僕は君を、どうすべきだろうね。僕は君の今までの言動に嘘を見出せない。だがもし君が僕や王家を騙そうとしているのなら、君は僕の手には負えない、本物の役者だ」
そう言われて、恐る恐る目を開いてアーネスト様を見上げる。滲んだ視界の先、仄かな笑みを浮かべたその顔は、どこか優しくさえ見えた。
「セリーナ」
「……はい」
白く細い指が私に伸びてきて、まっすぐに視線が合うように顎を捉えられる。その表情をしっかり見たくて、瞬きして涙を散らした。
赤の双眸は相変わらず美しく、けれど複雑な感情に揺れていた。でもなぜか、その目に私への信頼を見た気がした。こうして疑われているのにそんなことを思ってしまうなんて、ただの都合のいい幻覚かもしれない。それでも私も、アーネスト様を信じたかった。
「君はサバスティ伯爵家当主夫妻の間に長女として生まれたセリーナで、間違いないな?」
「はい」
「7歳の時に王都で受けた検査で、天人の瞳の所有者ではないとされている。その検査の際に金色の魔術式を目に映しながら、何も見えないと偽りを口にしたわけではないな?」
「はい」
「魔術はここへ来てから学び始めた。その習得速度は異常な程だが、それには何の裏もなく、純粋に君の才能と努力によるものであると。それが事実か?」
「はい」
信じて欲しくて、まっすぐにその瞳を見つめ返す。張り詰めた緊張感は、呼吸すら憚られるほどの重圧を感じた。そしてその永遠にすら感じる緊迫は、やがて唐突に緩んだ。
「…………はぁ」
重たいため息と共にその赤の双眸が瞼に隠れ、私の顎を捉えていた手も離れていく。
そしてアーネスト様は疲れ切ったように、私の隣にどさりと腰を下ろした。片手を額に当てて俯くその表情は、長い黒髪に隠れてまるで分からない。
「アーネスト、さま……」
信じて、くれたのだろうか。
恐る恐る呼びかけた私に、アーネスト様は俯いたまま掠れた声を返した。
「焼却の魔術を習得したことは、人に話すな。それ以外の魔術の習得具合も。今後あの見習いと魔術に関する会話をすることも禁じる」
「……はい」
「国王陛下にだけは、このことを耳に入れておく。僕は事を荒立てる気はないが、陛下の判断によっては、君を守れない可能性も否定はできない」
「はい」
返事をしながら、新たな涙が頬を伝った。
アーネスト様はこれからも私を側に置いてくれる。それがアーネスト様の、答えだった。
「信じてくださって、ありがとうございます」
ぐずぐずと泣き出した私に、アーネスト様はようやく顔を上げてこちらを見た。
「君は本っ当に性格も能力もわけが分からないやつだな」
面倒くさそうな、詰るような口調なのに。その手は優しく私の頭にまわり、引き寄せられる。
その仕草に余計に涙が止まらなくなって、甘やかされるまま、しばらくその胸で温もりを感じていた。




