54:不安
ぼんやりと意識が浮上して、おもむろに瞼を持ち上げた。
まだ起床時間まで少し余裕があるだろうか。誰かが起こしに来るまで、もう少しベッドの中でゆっくりしよう。そう決めて、ころんと寝返りを打つ。ふかふかのベッドはいつも気持ちがいい。
早いもので、婚約を発表してからあっという間に半月以上が経過していた。
外では私とアーネスト様の話題で色々盛り上がっている様子ではあるものの、特段影響もなく穏やかに過ごせている。王宮へ通うのも大分慣れてきた。
そして嬉しいことに、少し前に魔術訓練時間の延長も許されたのだ。
1日1時間まで魔術を使っても良いというお許しが出て、マリアさ……マリアに火魔術を学んだり、ミリアーナに見せてもらった雷魔術系護身術を翌日の訓練時間にロナードと試してみたりしている。
アーネスト様には訓練が進むと習得にも時間がかかってくると言われていたけれど、そんなことはなく、むしろ魔術に慣れたことで習得のスピードは上がっていた。
こんなに楽しいのだから、地爵家の人達ももっと魔術を学べばいいのに、なんて思ってしまう。まぁ中途半端に学んだところでさほど役立つ場面もないし、領地経営に専念する方が領民のためなのだけれど。
とにかく今日は、今まで習ったものより高難易度だという焼却の火魔術をマリアから教えてもらう約束になっているのだ。
この術は倒した魔物から魔石を取り出す際にも使用するらしく、もしかしたらアーネスト様のお役にも立てるかもしれない。これを習得したら、褒めてもらえるだろうか。
ふふっと幸せな妄想に浸っていると、カチャリと静かにドアが開かれる音がした。
「セリーナ様、朝でございますよ」
フリエの明るい声が部屋に響く。
「おはようございます……」
「おはようございます。ミントティーは如何しましょうか」
「今日はスッキリしているので大丈夫です」
「かしこまりました」
スッキリ起きられなかった時に淹れてもらうミントティーだが、私はあのスーッとした感じが苦手だったりする。なので寝起きが悪い時にあれを飲むと、ハーブの効果だけでなく苦手意識から目が覚めるのだ。……あまり気分のいい方法ではないけれど。
身体を起こして、ぐぅっと伸びをする。
ダンスも順調で、魔術とは逆に練習時間が30分に短縮された。その分王宮ではゆっくり過ごさせてもらっていて、午前中の方が魔術訓練や屋敷管理業務のあれこれで忙しくしている。
睡眠時間を削ると魔術訓練を禁止すると言い渡されているので、限られた時間でやりくりしなくてはいけない。でもやりたいことはたくさんあって、今はそれが楽しい。
心を踊らせながら、ベッドから足を下ろした。
「やっと成功しました!」
目の前で瞬く間に灰になっていく丸太を眺めながら、思わず声を上げた。
習得には早くて数週間かかるでしょうと言われていたけれど、焼却の魔術を習い始めて5日目。ついに魔力の操り方を理解して、その魔術を成功させることができたのだ。
今までとは比較にならないほど複雑さを増した金色の紋様が目の前に現れた瞬間、魔術の成功を知らしめるようでとても気持ちよかった。
その一方で、威力の高い魔術は少し怖くも感じていた。誤ってこれを人に向けたりなんかしてしまったら……本当に恐ろしい。骨も残らないかもしれない。
なんて思いつつも隣のマリアを見ると、なぜか呆然とした様子で丸太が燃え尽きて残った灰を眺めていた。
「マリア?」
いつものように褒めてもらえると思ったのに、不思議な反応に戸惑う。どこか間違えていたのだろうか。でもあの金色の紋様は、マリアが描いたものと変わりないはず。
「うまくいっていませんでしたか? マリアの術と、同じに見えたのですが……」
「あ、いいえ、魔術は成功されています。ですが、セリーナ様があまりに早く習得されましたので、その、驚いてしまいました」
「そう、ですか」
早く習得できたことは、喜ばしいことではないのだろうか。マリアの反応は単純な驚き以外のものも含んでいるようで、よく分からない不安が胸に湧いてくる。
でも他の人と自分を比べる機会のなかった私には、自分の魔術の習得速度がどうなのかの判断は全くつかない。マリアが動揺するほど平均から外れているらしいけれど、早いことで何か悪影響が出るのだろうか。
何をどう問えば良いのか悩んだまま、マリアを見つめる。対するマリアも、私の目から何かを読み取ろうとするようにまっすぐこちらを見つめていた。
けれどすぐに、いつものような優しい笑みがその顔に浮かんだ。
「習い始めの頃から、セリーナ様はとても飲み込みが早くていらっしゃいましたね。私のこともすぐに追い抜いてしまわれるでしょう。もしかすると魔術師としても、セリーナ様はこの家に相応しい方であったのかもしれません」
「そうだったら嬉しいのですが……。この術もアーネスト様のお役に立てるかもしれないと思うと、早く習得したかったのです」
「左様でございますか」
どこか安心したようにそう言って、マリアは一瞬迷った後、さらに言葉を続けた。
「ですがセリーナ様の才能には驚かされました。もしセリーナ様が実は天人の瞳をお持ちと言われても、私は驚かないでしょう」
「天人の瞳?」
思いもよらないことを言われて、私の方が驚く。それほど私が5日で焼却の魔術を会得したことは、驚くべきことだったのだろうか。
「私にそんな特別な力などありません。幼い頃、遺物を見せられる検査を私も受けましたが、文字のようなものは見えませんでした。も、もしかして大人になって見えるようになることもあるのですか?」
微かな期待を込めてマリアを見つめるけれど、あっさりと首を横に振られた。
「いえ、そのような事例は聞いたことがございません」
「そうですよね……」
ちょっと期待したけれど、やはり私にそんな大層なものがあるようには思えない。
「本当に天人の瞳を持って生まれていたら、アーネスト様の隣にも堂々と立てたのかもしれませんね。そう思うと、残念感もひとしおです」
「セリーナ様は今のままで十分、アーネスト様のお隣に相応しくていらっしゃいますよ。それにこれほど早く魔術を習得されたとなると、他の家からも一目置かれるでしょう」
「そうであれば嬉しいです。ただ、突然成長が止まるなんてことにならなければいいのですが」
あまり褒められると、逆に習得速度が落ちたらどうしようという心配が湧いてきてしまう。小心者の自分が悲しい。
とりあえずそろそろお昼の時間になったので、今日の魔術訓練はそのままお開きとなった。
今日は王宮へは行かない日なので、アーネスト様に焼却魔術成功を伝えられるのは、帰宅のお出迎えの時か夕食の時だろうか。いつもなら待ち遠しく思うのに、マリアの反応が胸に引っかかっていて、なんだか心が重苦しい。
でも午後からは使用人の採用についてマリア達と話し合う予定もあるし、ずっと暗い顔でいるわけにはいかない。気持ちを切り替えねばと思いながら、ゆっくりと屋敷へと戻ったのだった。
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事務官の心境は、まさにそれ!です




