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52:マリエラ

 すっとミリアーナが半歩前に出て、近づいてくるマリエラと私の間に入る。その姿を見て、真っ白になった頭に冷静さが戻ってきた。


 大丈夫、大丈夫。ここは伯爵家ではないし、私はもう伯爵家の者でもない。マリエラに従う理由も、彼女を恐れる理由も何もない。もし魔力暴走を起こされたって、今の私ならそれを消すこともできるのだ。しかも力強い味方もいる。そう自分に言い聞かせて、こっそり深呼吸した。


 私はアーネスト様の婚約者。無様に怯える姿なんて見せられない。しっかりしなくては。


「お久しぶりですね、()()()()


 近づいてきた彼女に、微笑んで声をかける。そしてあえてミリアーナの隣へ半歩足を進めた。

 こちらの対応が予想外だったのか、マリエラが怯んだように足を止める。


「な、なによ、セリーナのくせに偉そうに。血濡れ公のお飾りの婚約者になって、いい気になっているつもり?」

「口を慎みなさい。魔公爵閣下に対する無礼な発言をするなんて、何を考えているのです。それに自分や伯爵家の評価をこれ以上落とさないよう、もう少し注意するべきではないのですか」


『何ですって!?』と食ってかかられる事を予想していたけれど、なぜかマリエラはハッとしたように口を閉ざした。


 意外すぎる。

 てっきり掴みかかられると思って、覚えたての火花魔術(威嚇用)を試そうと身構えていたのに。もしかしてアーネスト様にカエルにされた事が効いているのだろうか。なんだか肩透かしを喰らってしまって、私も次の言葉が出てこない。

 ちょっと沈黙が落ちたけれど、すぐにマリエラは気を取り直し、横柄な態度も取り戻した。


「ふん。ただ都合がいいからと婚約者になっただけのくせに、随分な口をきくものね。でもいいわ。私は優しいもの。このくらいで怒ったりしないわ。それにね、セリーナ。私あなたには感謝してるのよ」

「……」


 私に感謝だなんて不気味な言葉が飛び出してきて、せっかく作っていた余裕のある表情が崩れそうになる。

 そんな私の心情など気にするそぶりもなく、マリエラはものすごく得意そうに言葉を続けた。


「お情けの婚約者のあなたとは違って、私はね、あの騒ぎがご縁で王子殿下から素敵な人を紹介してもらえたの。ふふ。ちょっと爵位は下だけど、王国管理事務所に勤める優秀な人なのよ。私に夢中でとっても優しいの。それに背も高いし顔もいいし、今日だって私が会いたいって言ったら時間を作ってくれたのよ。彼も私に会いたかったのよね、きっと」

「そ、そう……」

「この間だって、綺麗な花束を持って私のところへ来てくれたの。ふふ、私のこと綺麗だって言ってくれるし? それにね————」

「……」


 なぜ、私はマリエラに惚気られているのだろう。もしかして初めからこれを話したくて近づいてきたのだろうか。

 おそらくあの醜聞で周りに避けられまくっているだろうマリエラは、誰かに自分の恋人を自慢したくて仕方がなかったのかもしれない。そんな時に私がのこのこ通りかかってしまったのだろう。


 せっかく言いたい事を言えてちょっとスッキリしたのに、妙な展開になってしまった。いっそ私も、アーネスト様の格好良さを語ったり贈られた薔薇の花束を自慢したりするべきだろうか。幸せ自慢なら負ける気がしない。

 チラッと隣を見ると、ミリアーナがこの人どうしましょうかと言うような視線を私に向けていた。その眼差しで、冷静さが戻ってくる。


 ……付き合う義理もないし、放置しよう。張り合っても意味がない。


「マリエラ嬢」


 さっさと帰ろうと決めて深緑の目からマリエラへ視線を移した時、ちょうど1人の男性が足早にこちらへと近づいてきた。


「エルグ!」


 ぱっと華やいだ笑みを浮かべたマリエラに、彼こそ話題の人なのだろうと察する。


「すみません、お待たせしましたね。これでもあなたに会いたくて、急いで仕事を終わらせて来たのですけれど」

「私も今来たところなの、気にしないで。ちょうどセリーナ……お姉様に偶然お会いして、ご挨拶していたの」


 セリーナお姉様。

 これまで一度もそんな呼ばれ方をしたことなんてない。背筋がゾワゾワする。

 顔が引き攣りそうになっていると、彼の紺色の瞳がこちらへ向けられた。


「これは失礼致しました。お初にお目にかかります、ギルソード子爵家のエルグと申します。マリエラ嬢とのご縁につきましては、お力添えをありがとうございました。こうしてお会いでき大変光栄です」


 お力添えとは、王子殿下に伝えたマリエラの男性の好みのことだろうか。物腰柔らかく落ち着いた雰囲気の彼は、お姫様扱いしてほしいマリエラの好みにピッタリ合っているように思う。


「こちらこそお会いできて嬉しく思います。私が申し上げられる立場ではありませんが、……どうぞ、よろしくお願い致します」

「はい、お任せください」


 彼が王子殿下に選ばれた方なら、きっとサバスティ領を任されることになるのだろう。それを指して口にした言葉を、彼はきちんと受け取ってくれたようでホッとした。


「ねぇエルグ。あちらのベンチが空いていたから、使用人に確保させてるの。座ってお話ししましょう?」

「ええ。では私どもはこの辺りで失礼致します。最後になりましたが、ファンセル魔公爵閣下とのご婚約、誠におめでとうございます」

「ありがとうございます。お2人もお幸せに」

「ありがとう、セリーナお姉様。さ、エルグいきましょう」


 既にこちらの事など眼中になくなった様子のマリエラが、可愛らしくねだって彼に腕を絡め、さっさと去っていくのを何とも言えない気持ちで見送る。自分の評判を気にしていたのも、単純に彼に嫌われたくないという思いからなのだろう。


 マリエラの態度が少しでも改善するのであれば良いことだは思いつつ、積年の鬱屈とした気持ちはそう簡単に無くならない。不幸になれと積極的に願う気もないけれど、その幸せを喜べる気もまた、しなかった。

 こっそりため息を噛み殺していると、ミリアーナが去っていく2人の方を眺めながらポツリと言葉を溢した。


「あの変わりようは恐ろしいですね……」

「ええ、よほど彼のことを気に入ったのでしょう」

「え?」


 てっきり意中の人が現れてからのマリエラの様子を指した言葉かと思ったけれど、ミリアーナに不思議そうな表情をされてしまった。


「ああ、セリーナ様はギルソード事務官についてご存知なかったのですね。あの方とても有能ですが、自分にも他人にも厳しい冷血漢としても有名なのです」

「え、そうなのですか? とても優しそうな方だと思ったのですけれど……」

「彼からすると、第一王子殿下に伯爵家の当主になるチャンスと後押しをいただいた状態です。マリエラ伯爵令嬢を当主とする可能性もある中で、うまく伯爵家に取り入ってその座を手にするまでが彼の任務なのでしょう。だからこその、あの態度です」

「そ、そうでしたか……」


 ミリアーナが声をひそめて教えてくれた事実に、少し背筋が寒くなる。マリエラはこの事を知らないはずだ。もしアーネスト様のあの優しさが計算だけの偽りのものだと言われたら、私なら立ち直れない。他人事ながら心が重苦しくなった。


「彼はギルソード家の3男ですが、兄弟の中で最も優秀と言われています。ですが地爵の慣例通り長男が爵位を継ぐ予定で、彼自身自分の才を生かせるところを探していたのでしょう」

「そうなのですね、そんな方が当主となってくだされば安心できそうです。サバスティ領に長く勤める補佐役達は、皆とても優秀でした。きっと彼が王子殿下の後押しを受けて当主となってくだされば、すぐに良い状態を取り戻せるはずです」


 この4年、王都から金の無心しかしない当主の下で苦労しただろう領地の使用人のことを思う。

 でも無能なのは私も同じだ。私も何一つ、領地のためになれなかった。


 先程のマリエラの様子を思い返す。乗せられやすく調子のいいところのあるマリエラだが、それは叔父夫妻も同じ。私が下手(したて)に出て、彼らを(おだ)てながらうまく立ち回れていたら、使用人達にとってももっと良い環境でいられたかもしれない。

 寄り添って去っていった2人の姿が視界から消えて、思わず項垂れた。


 これからじわじわと殿下やその周囲がサバスティ家に圧力をかけて早期の当主交代に持っていくと思うけれど、それが1日でも早く実現する事を祈ることしかできない。私はもう、サバスティ家とは無関係の人間になってしまったのだから。


 ああ、でも。落ち込んでいてはダメだ。私はアーネスト様の婚約者として、今自分にできることだけを考えなくては。


「セリーナ」


 伏せた視線を無理やりあげると同時に、急に名を呼ばれた。

 はっとして振り返った先に見えたのは、ガーネットのような美しい赤の輝き。


 胸に燻った重苦しいものが、その輝きに打ち払われるように消えていくのがはっきりと感じられて、無意識にそちらへと足を踏み出した。


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