50:案内人
「セリーナ様。朝でございますよ」
フリエさんの明るい声で、微睡から目覚める。再び眠りに落ちたい衝動を堪えるように身体を起こして、うーんと伸びをした。
まだ少し眠い。
あれから2回ほど王宮へと通ったのだけれど、久々にダンスの練習をしたところ、予想外に筋肉痛になってしまった。叔父一家の元では結構動き回ってきたので体力はそう問題なかったのに、使う筋肉は違うらしい。ダンス練習初日の翌朝は、なんだか変な歩き方になってアーネスト様に笑われてしまった。
でもそれも治ってきて、今日は3回目の練習の予定だ。陛下方は不在なので、ミリアーナさんに王宮周辺を案内がてら色々お話をお伺いできたらなと思っている。
王宮に行かない日も、魔術訓練や屋敷内の仕事の相談などでそれなりに忙しくしているけれど、心は充実していた。
顔を洗ってさっぱりして、今日も頑張ろう。大きく深呼吸して、ベッドから足を下ろした。
「今日は王宮の日か。筋肉痛は治ったのかい?」
「もう大丈夫です。もしかしたら明日、また筋肉痛になっているかもしれませんが……」
朝食時。
そう返すと、アーネスト様がふっと笑った。
「普段使わない部分に負荷がかかるから、仕方がないか。だがもう初日ほどは酷くならないだろう」
「そう願います。今日は陛下方はいらっしゃらないので、ダンスの練習が終わった後に王宮付近を案内してもらえたらと思っているのです」
「王宮前の庭園はなかなか見事だ。ゆっくり散策を楽しむといい」
「はい」
穏やかに会話しながら美味しい朝食をいただく。幸せだ。
アーネスト様は最近ナッツのフレーバーバターがお気に入りで、いつか私と一緒に食べた時からほぼ毎日それをつけてパンを召し上がっている。あまり冒険せず、一度気に入ったものはなかなか飽きないタイプなのかもしれない。
私は反対に、毎日色々出してもらうジャムを楽しく試している。いつしかジャムを見て『もうこの季節ね』なんて言える日が来るかもしれない。それくらい長くこの生活を続けられたら嬉しい。
そんなことを思いながら、柑橘系っぽい見た目のジャムに手を伸ばしたのだった。
王宮に向かうのは、お昼を終えて一休みしたくらいの時間だ。
王家に預けているファンセル家の馬車で護衛の魔術師さんが迎えに来てくれて、ゆっくり王宮へ移動する。到着したらそのまま2階へ赴き、陛下方がいらっしゃる時はそこからお茶の時間をとっていた。
今日は陛下方は不在なので、まずダンスの練習をする予定になっている。
着替えをして、1時間くらいダンスの練習に精を出す。王族を指導されるくらいの方だから、ものすごく厳しい教師かもしれないと最初は警戒していたのだけれど、そんなことはなくさっぱりした感じの人当たりの良い女性で、練習も楽しめていた。気持ちの良い疲労感で練習を終えて、身だしなみを整えてもらう。その際一時ファンセル家に滞在していたフェドナ夫人が髪を直してくれて、なんだか不思議な感じですねとお互い笑顔になった。
そしていよいよ、初めての自由時間だ。
「ミリアーナさん」
案内人と言いつつ、今日まであまり話す機会がなかったミリアーナさんに声をかけると、はっと短く返事をされた。
鳶色の髪をきっちり纏めて結い上げ、キリッとした雰囲気を持つ彼女はなんだか格好いい女性だ。王族護衛官の制服がとてもよく似合っている。
「どうぞ、ミリアーナとお呼びください」
「ではミリアーナ、私のことはセリーナと呼んでくださいね」
何気なく言った言葉だけれど、彼女は一瞬言葉に詰まった。
「セリーナ様は、王妃陛下の招かれた大切なお客様であられますので……」
そうちょっと困ったように返されて、己の言葉を反省する。確かに私と彼女の立場にそぐわないお願いをしてしまったかもしれない。もっと『上に置かれる立場』に私は慣れるべきなのだろう。
「そう、ですね。失礼致しました」
けれど反省している私の様子をどう思ったのか、ミリアーナはちょっと視線を彷徨わせた後、おずおずというように言葉を続けた。
「で、では、プライベートの時にお会いできましたら、そうお呼びさせていただきます」
「まぁ……」
驚いて、思わずまじまじとその顔を見返すと、ちょっと落ち着かない感じで視線を逸らされた。この頑張って歩み寄ろうとしてくれる感じに、うっかりときめいてしまいそうになる。
「ありがとうございます、ミリアーナ。とても嬉しいです」
「その、お喜びいただけて何よりです。今日はいかがしますか? 幸い気候が良いので、庭園をご案内いたしましょうか? もしくは寒さが気になるようであれば、王宮にある書庫がよろしいかと」
「アーネスト様が庭園が見事だと仰っていましたので、そちらを案内いただけますか?」
「かしこまりました。では上着を取って来させます」
「お願い致します」
陛下が私の案内人にと選んでくれたのが、ミリアーナで嬉しい。でも陛下はなぜ彼女を選んだのだろう。
魔爵家の事も好きなだけ聞いていいと仰っていたから、その辺りを確認しろという事なのだろうか。確かに正直そうな彼女なら、変に忖度したり偽った情報を口にしたりしない気がする。
陛下が選んでくださった方だし、そこから得られる情報は信用してもいいのだろう。むしろ、私の力となるよう命じられている可能性もある。魔爵家の人との人脈が皆無の私には有難い機会だ。
庭園散策にもミリアーナとの会話にも期待しながら、用意が整うのを楽しく待った。




