49:王宮
王宮へ向かう記念すべき第1日目は、アーネスト様が直々に付き添ってくれることになった。
一緒に馬車に乗るのは家具を買いに行った時以来なので、遊びに行くのではないと重々分かってはいても、少し楽しくなってしまう。それと同時に、この国で最も高貴な場所に赴くことに緊張もしていた。
お昼を終えてからフェドナ夫人に合格をいただいた装いで馬車に乗り込み、王宮へと向かう。
王宮は行政施設がひしめき合う行政区にあり、日のある時間帯はそこで働く人々が忙しくしているはずだ。官僚は高等教育を受ける余裕のある貴族の子息やその縁者が多いので、私の行動もすぐ貴族間で噂が回るだろう。そこへ近づくにつれ、緊張の度合いが強くなる。
「王宮は初めてか?」
「はい。そもそも行政区にもほとんど行ったことがありません」
「まぁ、そうか。王宮は一階が王族の執務や謁見の場として官僚や貴族なども足を踏み入れることができる場で、2階以上は大半が王族のプライベートエリアになっている。2階への訪問はかなり厳しく制限されているが、今回君が招かれているのは正にその場所だ」
「なんだかますます緊張してきました」
ピッと姿勢を正すと、アーネスト様が口元に笑みを浮かべた。
「むしろ気楽に構えるといい。王家の息のかかった者しかいないからね。その意向を無視して君に悪意を向けようとする者など、そうそういないはずだ」
「そう思うと少し安心致します」
「ダンスの教師も王族を指導してきた実績のある者だ。去年嫁いでいった第一王女殿下は結構手を焼かせていたらしいから、君は大人しい生徒として歓迎されるかもしれない」
「第一王女殿下が……」
「外には見せないが、結構クセの強い方だったな。あの王家は不思議と第二王子・王女殿下の方が聡明で常識人なんだ」
そんな会話をするうちにやがて馬車はゆっくりと速度を落とし、ついに王宮へと到着してしまったのだった。
「2人とも王宮へようこそ。そして改めて、婚約おめでとう。会いたかったわ」
なるべく綺麗に見えるよう意識して歩き、厳しい顔の警備官が配備された王宮入り口、白を基調とした広々とした空間に絵画や花瓶の花々が上品な美しさを醸し出す一階、再び警備官の厳しい視線に晒された二階へ続く階段を乗り越えて、やっと辿り着いた目的地。そこから案内人についていくと、王妃陛下が笑顔で出迎えてくださった。
「お招きいただきありがとうございます」
「あらアーネスト、堅苦しいのはなしにしましょう。ここはわたくしの住まいなんですもの。伯母の家に遊びに来たと思って寛いで頂戴」
「あなたがセリーナなのね。お兄様達からお話は聞いていたの。会えて嬉しいわ」
そしてその場には第二王女殿下もいらっしゃった。第一王子殿下によく似た金色の髪に澄んだ空色の目がとても美しく、成人を迎えたばかりの少女めいた可憐さと王族らしい落ち着きがなんとも魅力的な雰囲気を感じさせる。
「お会いできて大変光栄でございます。このような機会をいただき……」
「ふふっ、挨拶なんていいから一緒にお茶でも飲みましょう? あのアーネストを射止めた女性と会えること、とても楽しみにしていたの」
「わたくしも、アーネストと婚約するに至った経緯を聞きたくて楽しみにしていたの」
「陛下、人のプライベートを詮索するのは感心しませんが?」
「あら、少し位いいじゃないの。それに堂々とここへ来た事で、今日の任務は達したも同然でしょう?」
「今後の事についてお話しするのが先です」
「アーネストは相変わらずねぇ」
陛下方がすくすくと笑って、そしてとりあえず皆で円卓に落ち着く。隣におられる王女殿下が、私のことはエディリナと呼んでねと気さくに話しかけてくださって、少しだけ緊張がほぐれた。
机の上のティーカップひとつとっても大層高級そうで慄くけれど、よく考えたらファンセル家だって遜色ないクラスのものを使っている可能性がある。変に意識せずにいよう。緊張して割ってしまうことだけは、なんとしても避けたい。
「まぁ今後といっても、基本的には週2〜3回くらいの頻度でここへ通って、王家との仲をアピールしつつ話題になってくれればいいわ。帰りはアーネストがここへ迎えに来なさいな」
「馬車でですか?」
「別に魔術で帰宅してもいいけれど、お迎えには正面から来てくれると効果的ね」
「ではそのように」
アーネスト様が迎えに来てくれると決まって、気持ちが少し上向く。お出迎えではなく一緒に帰宅というのも、それはそれでいいかもしれない。
「セリーナには、ダンス指導の時間以外は何を?」
「わたくしかエディの予定が合う時は、人目のあるところで仲良くお茶でもしましょうか」
陛下の空色の双眸がこちらを向き、優しく笑みを作る。
「あとは王族護衛官見習いで来ているミリアーナを、案内人としてつけようと思うの。空いた時間は王宮書庫でも庭園でもこの辺りを好きに案内してもらって、魔爵家の事も好きなだけ聞いて頂戴。きっと役立つこともあるでしょう。アーネストも、それでいいわね?」
「……ええ」
アーネスト様がゆっくり頷いたのを横目に、陛下に頭を下げる。
「ご配慮痛み入ります」
そのミリアーナさんはおそらく、フェドナ夫人のように私に足りない部分を補ってくれる人なのだろう。何が足りないのかも把握しきれていない私にとっては、その手助けがとても有難い。
神妙にしている私を見て、エディリナ殿下が柔らかく声をかけてくれた。
「セリーナ、あまり気負わなくてもいいのよ。こうして巻き込んでいる以上、あなたがアーネストの妻となるようサポートするのは当たり前だもの」
その言葉は一見優しいけれど、裏を返せばこうして動き出した今、私がやっぱり結婚は無理などと言い出しては困るということでもある。
でも私としても、今更アーネスト様の隣を諦められる気はしない。王家の方々がくださる手助けを最大限活用して、少しでもアーネスト様に釣り合うようになりたかった。
「ありがとうございます。ですが私としましても、アーネスト様に少しでも相応しくなるべく、いただいた機会は大切にしたいと思っております」
隣に視線を向けると、赤の双眸が穏やかに私を映している。自然と笑みが浮かんだ。この美しい輝きの先にいる今を、私は手放したくない。
「あら。お兄様やお母様の仰る通り、本当にあなた達って仲がいいのね。正直大袈裟に騒いでいるのだと思っていたわ。2人とも思い込みが激しいところがあるのですもの」
「あら酷い。でもわたくしももっと2人のことを聞きたいわ。マニュール紙にまで婚約の発表をさせたのは、やっぱりあそこが書いていた記事が正しいってことなのかしら?」
マニュールとはロマンス記事を書いた新聞社のことだ。
「事実と異なる部分は多々あります。ただセリーナがあの新聞社を気に入っているからと、エーゼルが強く勧めるもので仕方なく」
「ふふ。そうなの? エーゼルもすっかりファンセルの執事になったわね。楽しくやっているようで安心だわ」
陛下の言葉に密かに驚く。エーゼルさんはお屋敷の中心的な位置にいるので、てっきりマリアさんのように代々ファンセル家に仕えているのかと思っていたけれど、そうではなかったらしい。
「でも良かったのではなくて? あのような記事を掲載していた社に婚約発表を許したことで、アーネストが本当に相手を気に入って妻にするのかもしれないって思う者もいるはずよ。薄幸のご令嬢と孤高の魔公爵との恋だなんて、いかにも好かれそうなお話ですもの。あなたの恐ろしいイメージも多少緩和されるでしょう」
エディリナ殿下の言葉で、はたと気がつく。
確かに『どう扱ってもいい』と公言されて連れ去られた私とアーネスト様の婚約発表は、普通であればその言葉通り冷たいものと思われたかもしれない。それが第一王子殿下の記事とあの新聞社での告知のおかげで、そうではない可能性を印象付けられたのだ。
陛下が思い出したようにクスッと笑う。
「実際下にいる者達も、あの魔公爵がって驚いているようだったわ」
「昨日はみんな仕事が手につかなかったのではないかしら」
「魔爵家の者も驚いたでしょうね。加えて次の日には、こうして婚約者がアーネストに連れられて王宮に来ているのだもの。きっとしばらく話題を攫うわ」
「そして多少のお馬鹿さんでも、いい加減誰につくべきか理解するはずね。それぞれがどう動くか、とっても楽しみだわ」
ふふふ、と何やら黒い笑みを浮かべる陛下方を眺めながら、その言葉を考える。
今までおそらく王家は中立を保ち、現魔公爵で権力も持つが人望に乏しいアーネスト様と、魔公爵位を狙う家及びその支持者で静かに対立している構図だったのだろう。
それがここに来て王家が魔公爵家への肩入れ具合を見せつけたのだから、魔公爵位を諦める者やアーネスト様を支持する者も増えるはずだ。アーネスト様の負担も減るかもしれないと思うと安心する。
「セリーナ」
色々考えていると王妃陛下に穏やかに名を呼ばれて、そちらへと視線を向ける。
「はい」
「アーネストは近付き難い雰囲気を出しているし、過去のしがらみからアーネストではなくあなたを通じて関係を築こうとする者も出てくるでしょう。なにか判断に困る要求をされるようなら、アーネストやわたくしと相談すると言って答えを保留になさい。人当たりの良さは大切だけれど、侮られてはダメよ。ファンセル家の婚約者という地位と王家との繋がりを、最大限有効に活用して頂戴」
「はい。精進致します」
さらりととても難しい要求をもらうけれど、アーネスト様と共にいたいのであれば必要なことなのだろう。他家との橋渡しという役割を私がこなせたのなら、少しはアーネスト様のお役に立てるだろうか。
「ま、難しいお話はこれくらいにして、あとはお茶とお菓子を楽しみましょう。さぁセリーナ。どのお菓子がお好みかしら?」
少し引き締まった空気を、エディリナ殿下の楽しそうな声が和らげる。
結局その日はそのまま歓談の時間を過ごして、アーネスト様と共に馬車でお屋敷へ帰宅したのだった。




