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44:壊せない

「……王家としてセリーナの後ろ盾になってくださる、と?」


 慎重に口を開いたアーネスト様に、王妃陛下はゆっくりと頷いた。


「ええ。お前も懸念しているでしょう? セリーナがその身分から悪意に晒されること」

「……」

「王家としてもね、魔公爵と他の魔爵家との不和を深める事態は避けたいの。魔公爵が一家しかないのは、有事の際に魔術師を束ねる司令塔となるため。その魔公爵が侮られることも、それを受けて魔公爵が他の魔爵家に不信を募らせることも、どちらも悪影響しか及ぼさない」


 穏やかに紡がれる陛下の言葉。それが頭に染み込んでくるにつれ、身体が痺れたように動かなくなった。

 私は魔公爵の重要性を、きちんと理解できていなかったのではないか。


 有事……おそらく魔物の襲撃を指すそれは、迅速な対応を求められるはず。いざという時に複数の家で判断が割れては、致命的な対応の遅れに繋がりかねない。だから魔公爵は強権を付与され、かつ一家しかない。

 そしてそれ故に、他の魔爵家に認められるほどの圧倒的な力や功績が求められるのだ。アーネスト様との婚約に頷いたことは、私の想像以上にアーネスト様の足枷になる。それを陛下の言葉で理解して、血の気が引いた。


 でもまだ、婚約は対外的に発表していない。今ならまだ、なかったことにできる。アーネスト様の元から、私が、去れば……。


「セリーナ」


 陛下に優しい声で名を呼ばれて、ハッと無意識に俯いていた顔を上げた。空色の双眸は慈愛を浮かべて私を映す。


「誤解しないでね。あなたとアーネストのことを、わたくしは応援しているの。それに今の状況は、今までの王家の対応のせいでもある。アーネストの力は本物だった。それを分かっていた王家が、未成年の間アーネストの後見となり、他家に不安を抱かせないよう補佐をすればよかった。少なくとも魔公爵を継ぐことを正式に認めた後、もっとアーネストを守り支えるべきだった。なのに優柔不断な態度でその地位を揺らし、十魔侯爵達を付け上がらせた」


 穏やかな声に、冷たさが混じった。


「でも、それを招いた先王は退位された。今はわたくしの頼れる夫が王で、わたくしが王妃なの。わたくしも魔爵家の出なんだもの。魔爵家に必要なのは実力だと良く分かっているわ。力も功績も足りない者が、くだらない小細工でその地位を手にすることは認められない」


 今の国王陛下が王位を継承したのは昨年も終わりの頃。それまで目の前にいる王妃陛下は、随分と歯痒い思いをしていたのかもしれない。


「王家は、アーネストを信頼し支持する。その改めての意思表示でもあるの。今の十魔侯爵家のうちにファンセルに代われる家があれば、また話は違っていたかもしれない。けれどどの家も、自らが魔公爵に相応しいと示せなかった。それに対しアーネストは、自分の力でもってそれを証明したの」


 ふわりと、陛下が柔らかな笑みを浮かべた。


「今までよく、魔公爵の威光を守ってくれたわ。権力に魅入られたお馬鹿さんはどうしようもないけれど、そうでない者はきちんとお前の力を認めている。アーネスト、わたくしたちは感謝しているの」

「……ですが私のやり方が、他家との溝を深めたのも事実です」

「そうね。でも魔公爵を正式に継いでからのお前の采配が、私情を挟まず的確なものであったのも事実よ。利口な者はそれに気付いている。きっかけがあれば、一気に良い方向へ向かっていくでしょう」


 一旦言葉を切った陛下が、空色の瞳をまっすぐアーネスト様に向けた。


「だからね、アーネスト。思うように進みなさい。お前にはその力がある。それでも足りない部分は、今度は王家が支えるわ」


 その言葉に、一瞬アーネスト様の身体が震えた気がした。

 そっと見上げた先のアーネスト様はしかし、微かに視線を伏せているだけでその心情はまるで読み取れない。


「セリーナ」


 名を呼ばれて、陛下に視線を戻す。


「はい」

「アーネストのことが好き?」


 つい先日、王子殿下にも投げかけられた問い。あの時言葉通りにとったその意味が、今は違って受け取れる。


 私はアーネスト様の隣に釣り合うのか。度々自問する度に、釣り合わない理由は増えていく。

 それでもいいと言ってくれたアーネスト様を信じて、裏切らず、この先もそばにいられるか。アーネスト様が望むから与えようとされている私への支援を、私自身が受け取る覚悟があるのか。今、それを問われている。


 ついさっきだって、陛下の話を聞いて揺らいでしまった。

 でも自分で勝手に判断してアーネスト様の元を去れば、アーネスト様の気持ちはどうなるのだろう。アーネスト様は私以上に全部分かって、それでも手を差し伸べてくれたはずなに。


 心の中に、先日2人で話し合った時間が甦った。よろしくと言い交わして握った手の温もり。そして、昨日贈られたガラスの薔薇のことも。


「好き、です」


 本当は、すごく怖い。

 私の存在でアーネスト様の足を引っ張ってしまうことも、アーネスト様の背負う重たい責務も。

 それでも答えは変わらない。

 壊さなければずっと美しいままのあのガラスの薔薇を、私からは壊せない。たとえいつか、その手を離さざるを得ない時が来るとしても、きっとそれは今ではなかった。


 勇気をかき集めて見返した空色の瞳が、かすかに揺れた。


「そう」


 陛下がポツリと言葉を零す。


「わたくしはね、アーネストが選んだ人がそう答えてくれたなら、全力で応援するつもりだったの。身分なんてどうにでもできる。でも心を許せる人には、そう簡単に出会えない。罪滅ぼしには足りないけれど、少しでも助けになりたかった」


 先ほどまでの泰然とした雰囲気が消え、隠せない悲哀がその声に滲む。けれど次の瞬間には、穏やかな笑みがその顔に戻った。


「ではセリーナ、しばらく王宮へ通ってみない? 王家の後ろ盾があると示せば、風当たりも和らぐわ。もし王宮であなたに無礼な振る舞いをする者がいれば、わたくしが遠くへ飛ばしてしまうから安心しておいでなさい」


 陛下の茶目っ気のある言葉に笑みを返して、アーネスト様を見上げた。

 ここに来て間もない頃、王家に逃げ道を塞がれるぞなんて脅しにならない脅しをもらったことがあった。この申し出を受ければ王家公認の婚約となり、解消は一際難しくなる。


 陛下の提案を受けてもよいのか。問いを含んだ私の視線を、赤の双眸は揺らぐことなく受け止めてくれた。


「君の好きにするといい。まぁ、せっかく公私共に君を守ると仰ってくださるんだ。今後のことを考えて、お受けしてもいいんじゃないか?」


 アーネスト様の言葉に背中を押される。一つ息を吸って気持ちを落ち着かせてから、改めて陛下に向き直った。


「何卒よろしくお願い申し上げます」

「ええ、よろしく」


 ほっとしたような笑みを浮かべた陛下は、少し肩の力を抜いて言葉を続けた。


「婚約の発表は今月末だったわね。とりあえず来月頭から一月、あの目立つ馬車で王宮へいらっしゃい。ふふ、あれで揃って家具を買いに行くだなんて、アーネストったら見せつけているようなものね。ねぇ、本当に祝賀会で一目惚れして連れ去ってしまったの? お互い出会った瞬間惹かれ合うだなんてロマンチックだわ」

「違います」


 急に生き生きと楽しそうに話し始めた陛下の言葉を、アーネスト様が素早く否定する。期待している陛下には申し訳ないけれど、私もあのピンクのフリフリドレス姿で一目惚れされたと言われても疑いしか持てない。それに私の方も、あの時は普通にアーネスト様の迫力に怯えていた。


「そう……?」


 残念そうな表情を向けられて、そっと視線を外した。アーネスト様が話題を断ち切るように、軽く咳払いをする。


「陛下、お忍びで来られたのでしょう。雑談をする時間はおありなので?」

「あら、そうあからさまに追い返そうとするなんて酷いわ。でも確かにそう長くナイシェルトの護衛を借りておくわけにもいかないのよね。いいわ。セリーナが王宮に来た時に色々聞くもの」

「……」

「……」

「楽しみにしておくわね、セリーナ」

「は、はい」


 どうしよう。後でアーネスト様と相談しておかなくては。根掘り葉掘り聞かれそうで怖い。

 変な汗をかいていると、陛下はぱっと立ち上がってこちらへと近づいて来られる。そして慌てて立ち上がった私の手をとって、柔らかく微笑んだ。


「今日会えてよかったわ、セリーナ。どうかアーネストのことをよろしくね。できればたくさん甘やかしてあげて。自分に厳しい、甘え下手な子だから」

「陛下」


 アーネスト様が咎めるような声を出すけれど、陛下は意に介す様子もなくくすくすと笑う。


「が、頑張ります」

「ええ、頼んだわよ」


 頑張るとは口にしてみたものの、アーネスト様に甘えてもらえるほどの包容力が私には備わっていない。むしろ全力で甘えかかっているのは私の方だ。

 王宮で大人の女の包容力とやらを学ばせていただけないだろうかと真剣に考える私をよそに、陛下は満足した顔で私の手を離した。


「ではそろそろお暇するわ。もし困ったことがあれば、遠慮なく相談なさい。もうあなたも、身内のようなものなのだから」


 そして肩の荷が下りたように爽やかな笑みを残し、陛下は王宮へとお帰りになったのだった。


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