39:それを手放してでも
夕食を終え、話し合いのために場所を移動する。また私の部屋に行くのかと思っていたけれど、案内されたのは何故か猫部屋だった。
にゃん、みゃーんと大歓迎の猫達は、アーネスト様がソファに座るとすぐさまその近くへと集まる。そしてノワがその膝に飛び乗って丸くなったので、少し驚いた。もしかするとこの部屋では、アーネスト様に好きなだけ甘えて良い決まりなのかもしれない。
「君もこっちへ」
和やかな光景を入り口で眺めていたら声をかけられたので、私も近づいてソファに腰掛ける。私とアーネスト様の間にも猫が丸くなっていて、とても幸せそうだ。
「みんなすごく嬉しそうですね」
「まぁ、しばらく君にかまけていたからね」
言いながら膝の上のノワを撫でる手つきは、とても優しい。
「昨日君は猫達に親近感を感じると口にしていたが、確かに君とノワは似ているかもしれない」
「私とノワがですか?」
「ああ。これは僕がこの家を継いで間もない頃に廃域で出会ってね。こちらもそんな余裕などないと言うのに、拾わなければ死ぬぞと言わんばかりのか細い声で訴えかけられて、仕方なくこの家に魔術で飛ばしたんだ。しばらく経ってやっとまともに家に帰れた時にはすっかり毛艶も良くなって、僕よりもよほど健康そうだったよ。だがその時の事を忘れていなかったようで、たった一度手を差し伸べてやっただけの僕を、ああして毎日出迎えにくる」
たった一度手を差し伸べてやっただけとアーネスト様は言うけれど、それがどれほど大きく忘れ難いか。きっとノワも私と同じ気持ちなのだろう。
「私にはノワの気持ちがよく分かります。本当に辛い時に差し伸べられた手は、例えようもないほどに特別ですから」
そう言って、ふとノワと私の目の色が同じであることを思い出した。
「もしかして私とノワの目の色が同じだから、あの時私も拾っていただけたのですか?」
「まぁそれも少しあるが、君も拾わなければ死ぬぞと言わんばかりの悲壮な表情で僕を見たじゃないか」
「申し訳ありません……」
あの時はいっそひと思いになんて絶望していたけれど、アーネスト様は助けを求めていると捉えて保護してくれたらしい。本当に頭が上がらない。
「それに、あの場で一人謝罪してみせた根性に免じて、チャンスをやるかという思いもあった。君は見た目の割になかなかに肝が据わっているというか、変なところで思い切りがいいというか……」
「すみません……」
「いや、そういうところも気に入っている」
そういうところも、気に入っている。思わず頬を赤らめた私に、アーネスト様は淡く微笑んだ。
「だが猫達とは違い、妻になればずっとこの屋敷に留めることは難しい。式典や夜会などには同行してもらう必要があるからね。そして魔公爵の妻という肩書は、本当なら名誉ある輝かしいものかもしれないが、今はそうではない」
すぅっとその顔から笑みが消えていく。
「僕が決闘で当主交代を行ったことは話しただろう? 地爵とは異なり、魔爵は年齢性別、出生順位で後継の優先度を決めることはない。魔爵家の当主は、言ってしまえばその一族の顔だ。家の中で最も魔術に優れた者が当主となるし、後継の方が優れていれば早くに当主交代を行うことも多い。だから決闘に勝利した僕が魔公爵を継ぐのは問題ないと思ったが、当時あれを不服として騒ぎ立てる者の声が異常に大きくてね。未成年であることを理由に継承を不安視する者、権力を欲する者、不正を疑い正義感に駆られた者、十魔侯爵家のうち過半数が継承反対に回った」
「反対されると、継承できないのですか?」
「本来であればそもそも反対などしない。王家直々に事態の収集に走ったが、対応には苦慮していたよ。確かに二百年ほど遡っても未成年が当主を継ぐケースはなかったし、それが他の魔爵家に対し影響力を持つ魔公爵だ。王家も簡単に訴えを退けることはできず、結局成人するまで魔公爵位は仮のものとされ、その間に地位に相応しい力を示せと言われた」
「昨日、少しだけ殿下に伺いました。その影響で伴侶探しにも苦慮する事態になったと」
「本当に殿下はおしゃべりだな」
アーネスト様が苦笑して、視線をノワに向けた。
「魔爵家は実力が爵位を左右するとはいえ、魔伯爵以上は変化が少ない。平和な世が続いているのは反面、爵位の変動に繋がるほどの功績を立てづらいということでもある。だが僕の出現で、突如魔公爵位に手が届く可能性が見えた。魔が刺すのも分からなくはないが、こちらとしては不正の濡れ衣を着せられた挙句不当に爵位を取り上げられるなど、許容できるわけがない」
くっとアーネスト様が皮肉げに笑った。
「手っ取り早く実力を示すために廃域に赴いたが、協力を拒まれることはもちろん、魔物をけしかけられたり国に納めたはずの魔石の量が合わなかったり、他にも色々散々な目に遭わされた」
上位の魔爵家は廃域内に赴き魔物の数を減らすことも責務だと、最近教えてもらった。廃域掃討は危険も伴うので複数人のチームで行い、魔石をその成果として国に納めるという。
爵位が高くなるほど納めるべき魔石の数も増えるので、アーネスト様を実力なしと断じるために孤立させ、魔石を納められなくしようとしたのか。すごく卑怯だし、魔物をけしかけるなんて危険すぎる。
「未成年だからと爵位継承に反対しておきながら、そんな相手を危険な目に合わせるなんて信じられません」
怒っていると、アーネスト様が微かに表情を和らげた。
「だがまぁ、結果は今の通り。魔侯爵たちが不当にファンセル家の爵位継承を妨害したのだと、僕は自力で証明してみせたわけだ。それに実力は早い段階で示せていたし、決闘の不正は誤解だと思い直した者が僕に手を差し伸べようともした」
味方ができたのかと気分が浮上しかけたが、アーネスト様はだが、と硬い声で言葉を続けた。
「僕はそれを信じられなかった。爵位を正式に継ぐまでの3年弱、僕は周りの魔爵家全員が敵だと思っていた。だから、全てを手酷く拒んだ」
少し悲しくなるけれど、敵味方の判断を誤れば死を招くことにもなりかねないのだ。殴りかかってくる者、それを傍観する者が、ある日突然誤解して悪かったと謝ってきたとして、信じられないのも当然と思えた。
「その状況では致し方ないと思います」
「そう、だな。あの時はそうするしか考えられなかった。だが結果として、恐怖や反感、逆恨みが僕へと向けられたし、僕はむしろそれを煽っていた。僕に取り入って、あわよくばと考える者も中にはいただろうからね。上辺だけの友好的な態度など、何の役にも立たず不快なだけだ。それなら初めから敵意を向けられていた方が割り切りやすいと、そう思っていた」
ふと、赤の瞳が翳った。
「僕はこの状態に慣れているし、正式に爵位を継いでからは少しづつ状況も改善してきた。だが減ってはいるが、僕に敵意を持つものもまだまだ残っている」
そっと息を吐いた後、その視線がまっすぐ私に向けられた。
「僕の妻となれば、その敵意や悪意を君も受けることになる。むしろ弱い立場の君にその矛先が向く可能性は高い。殿下の縁談を受ければ、もっと平穏な生活を送れる相手を探してくるはずだ。それを手放してでも、君は僕の妻になりたいと言えるのか。一度時間をかけて考えて欲しい」
「時間……」
真摯な光を宿した赤の双眸がとても綺麗で、魅入られてしまう。でも私の口は無意識に、本音を呟いていた。
「今、お返事してはいけないのでしょうか?」




