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36:なんていい響き

「おはようございます」

「……ああ、おはよう」


 翌日。

 一晩かけてやっと平常心を取り戻した私が朝食の席へと赴くと、アーネスト様は面倒くさそうな表情で手紙を読んでいた。


「王子殿下からのお手紙ですか?」


 既視感のある光景にそう問いかけると、アーネスト様がなんとも言えない表情をこちらに向けた。


「今度は王妃陛下からだ。本当にあの親子は落ち着きがない。ちなみに僕宛ではなく君宛てだ。申し訳ないが、先に読ませてもらった」

「王妃陛下から、私に……」


 思わず顔が引き攣る。


「まぁ、君に何かをしろと言うものでもない。要約すると君に僕をよろしくというだけの手紙だ。あとで読んでみるといい」

「は、はい」

「返事を書いてもいいが、僕のことを事細かく報告したりしないように」

「かしこまりました……」


 王妃陛下に手紙を書くことになるなんて、想像すらしたことがなく呆然としてしまう。けれどこれからもアーネスト様のそばにいるのであれば、王家の方々との交流は避けて通れないだろう。


 たぶん王妃陛下のことも、アーネスト様は大切に思っているように感じる。それならば少しでも気に入ってもらえるように、私も努力したい。

 気合いを入れ直していると、美味しそうな匂いと共に朝食が運ばれてきた。まずは腹ごしらえをと最近少し量が多くなったように感じるそれを食していると、何やら思案していたアーネスト様がおもむろに口を開いた。


「昨日から考えていたんだが」


 なんだろうと視線を向けると、その瞳が真っ直ぐに私を見返した。


「もういっそ、正式に婚約を発表するか?」

「こ、婚約!?」


 せっかく一晩かけて取り戻した平常心がどこかへ飛んでいき、また顔が真っ赤になってしまう。


 聞き間違いではないだろうか。ここへきてからまだ2週間ほどしか経っていない。それなのにアーネスト様は、私で良いと思ってくれたのだろうか。どうしよう嬉しすぎる。

 そんな私の思考が丸わかりだったのか、アーネスト様がふっと笑った。


「喜んでいただけて何よりだが、僕の妻の座は君にとってそう良いものでもない。夜にまた話す時間を作ろう。それを聞いてから決めるといい」

「あの、お受けしたいのですが」

「……とりあえず、話をしてからだ」


 お預けされてしまったが、嬉しいものは嬉しい。衝撃が過ぎれば甘美な幸せだけが胸に残って、ふわふわと喜びに浸りながらとりあえず朝食を口へと運ぶ。

 もしかすると本当に夢を見ているのかもしれない。婚約。アーネスト様と婚約。なんていい響きなのだろう。


 もし伯爵家にいたら結婚関係は当主である叔父の許可が必要になるけれど、今の私は幸か不幸か自由の身だ。婚約だって結婚だって自分で決められる。むしろ中途半端に縁を残されなくてよかったかもしれない。

 そう考えていたけれど、ふと本当に私と伯爵家の縁が切れているのかが気に掛かった。


 この国の貴族は血筋の管理や権利関係の明確化のため、毎年年末にその家の家族関係と継承権、継承順位について国に申告登録する。

 年末までに登録内容に変更が生じることもあるが、新聞での対外発表や公の場での宣言で一定の効力を持つことから、書類手続きは年末にまとめて行うことも多いのだ。


 婚姻や血縁外からの養子縁組など書類手続きが必須のものもあるが、絶縁はそうではない。だから今の段階で、叔父が私の抹消手続きを終えているとは思えなかった。


 でも宣言の撤回は混乱を引き起こすため、基本的に行われない。そのうえ私の絶縁は大勢の貴族の前で、しかも王子殿下に対して為されている。ファンセル家との利害関係まで生じる以上、それを安易に撤回するなど認められないだろう。


 苦労してまで私を伯爵家に戻すメリットもないし、気にする必要もないか。そう気を取り直して、目の前のパンを一つ手に取った。その周りには数種類のジャムも並べてある。

 少し悩んでオレンジ色のジャムを選んで食べてみると、ほんのりと優しい味わいが口に広がった。この味はかぼちゃだろうか。野菜までジャムになるなんて意外だけれど、仄かなスパイスも効かせてあって割と美味しい。


 アーネスト様はパンを手に取っても、そのままかバターをつけるくらいでジャムにはあまり手を伸ばさない。それなのにこうして私のために色々並べてくれていて、いつもありがたいと思いながら楽しませてもらっている。


 ああ、早く夜にならないだろうか。

 この優しいお屋敷の一員になる道にまた一歩近づいたようで、そわそわと落ち着かない。婚約者になったら、お屋敷の管理なども手伝わせてもらえるだろうか。

 ただの居候ではやはり手を出しづらい部分はあるし、仕事はしたくともマリアさんの頭を悩ませるのも申し訳なくて、あれ以来仕事のお願いは慎んでいる。でも本心では少しでもできることを増やして、役に立てるようになりたかったのだ。


 なんだか良いことしか頭に浮かばない。そんなふうに浮かれていることが周りに筒抜けらしい私は、アーネスト様にも仕方のないやつだとでも言うような視線をもらっている。けれど心が浮き立つのを止められるわけもない。

 結局アーネスト様をお見送りする時も地に足がつかないままで、階段で転けないようにと子どもに言うような心配の言葉をもらってしまったのだった。










「よ、寄り添って家具を選び……これは結婚も間近…………」


 部屋に戻っていつものように新聞記事の保管を行なっていたが、結婚秒読み記事を前に手が止まってしまった。

 記事を出していたのはロマンス記事の新聞社で、これを読むと本当に仲の良い婚約者が結婚準備をしているとしか思えない。ちょっと頬が熱くなってくる。


 いや、喜んで時間を潰している場合ではなかった。早く王妃陛下への手紙の対応に移らなければ。

 最近少し話題に飽きてきたのか、私やアーネスト様に関する記事は減っている。以前悲劇の令嬢=私がさらなる地獄へ突き落とされた、なんて記事を掲載していた新聞社は、今は某侯爵家の一人娘がそりが合わない婚約者との関係を解消して美貌の伯爵家嫡男に乗り換えるのでは? なんてゴシップに関心が移ったらしい。まぁ私達のことは、このまま忘れてくれた方が有難い。


 必要な記事の選別を終えて、王妃陛下からの手紙に向き合う。


 目を通していくと、格式ばったものではなく親しい相手に出すような気安さを感じる文面で、少しだけ緊張がほぐれた。

 昨日は息子が突然ごめんなさいねという内容から始まり、アーネスト様のことを我慢強く1人で背負い込んでしまう子だから支えてあげてほしいと、そして何か困ったことがあれば遠慮なく相談しなさいと、息子を案じる母のような温かな愛情を感じる手紙だった。


 この手紙にどう応えようかを思案する。

 朝食の席で釘を刺されたように、あまりあれこれ具体的に書くとアーネスト様が気恥ずかしい思いをするのだろう。そしてアーネスト様に助けられっぱなしの私が、お任せくださいなんて書けるわけもない。


 あれこれ考えながら下書きをして、アーネスト様にとても感謝していること、良い面をたくさん見せてもらったこと、まだ助けられてばかりだけれどお役に立ちたいと思っていること、そして温かな手紙への感謝を時間をかけてなんとか言葉にしていく。

 それをきちんとした手紙にする頃には、もうお昼の時間になっていた。


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