34:保護者が欲しいだけ
「アーネストさまっ」
小走りで追いかけていると、アーネスト様は階段の手前で待っていてくれた。その口元に揶揄うような笑みが浮かぶ。
「君の部屋を2階にはしたけれど、走って階段から落ちたりしたら客間に逆戻りさせるからね」
「えっ!?」
「それが嫌なら無駄に走らないことだ」
そう言うと、寄り添うように私の背に手を回して階段を一緒に上がってくれる。紳士的なその仕草には、落ち込んでいたことも忘れてうっかりときめいてしまう。
「あのっ、すごく素敵なお部屋をありがとうございます。それにドレスやアクセサリーまで揃えていただいていて、とても嬉しかったです」
「ああ。不足があれば言うといい」
「不足どころか、私には十分過ぎます。本当にアーネスト様にはどれ程感謝しても足りません。カーディガンも温かそうで、アーネスト様が遅くなられたらあれを着てお出迎えいたします」
「僕が遅くなった日はさっさと休め」
そんな会話をしながら、いつもより距離が近くアーネスト様の温もりを感じる状況に、そわそわと落ち着かない気持ちになっていた。階段がこんなにいい思いのできる場所だったとは驚きだ。いつもアーネスト様を追いかける猫達を羨ましく思っていたけれど、きっと今の私は後ろからついてくる猫達に羨ましがられているに違いない。
そう思ううちに階段を上がり切り、アーネスト様との間に少しだけ距離が空いたことを残念に思った。
そしてすぐに私の部屋へと到着してしまう。なんだか、無性に離れがたい。
「マリア達が整えてくれたお部屋、アーネスト様もご覧になってみてください。家具に合わせた絵画や小物なども揃えてもらっていて、とても素敵なのです」
もう少し一緒にいたくて部屋のドアを広く開けると、アーネスト様は一瞬考えた後、私が誘うまま部屋へと足を踏み入れてくれた。
「なるほど、随分と雰囲気が変わったね。気に入ったのかい?」
「はい。今日初めて目にした時には思わずはしゃいでしまいました」
「そうか」
部屋を見回していた赤の双眸が私に向けられて、柔らかく細まる。その視線に、ぎゅっと胸が苦しくなった。
ずっとこの人の側にいたいという切なる願いと、その願いのまま進んでしまって良いのかという迷い。それが私の中でぐるぐると渦巻いて、でも今悟られたくなくて、視線を逸らしてドアの方に向けた。
「猫達は、ドアが開いていても入ってはこないのですね」
もう猫部屋に帰った子も多い。ノワともう一匹、茶毛のバーリィが粘っているけれど、部屋へ入ろうとはしないようだ。
「使用人達が部屋に入るなと言い聞かせているからね。猫はもともと天人と暮らしていたと言われるだけあって、頭がいい生き物だ。だが招くと入ってくるから、使用人の掃除の手間を増やしたくなければ安易に部屋へと入れない方がいい」
「気をつけます」
2匹を呼び寄せようかと思っていたけれど、アーネスト様の言葉で思いとどまる。悲しそうな目で見つめられると決心が揺らぎそうになったので、ドアに近づいてごめんねの意味を込めて2匹の頭を撫でた。バーリィには微妙な顔をされたけれど、ノワは満足したようで部屋へと帰り始め、バーリィも結局その後を追いかけて行った。
ほっとして振り返ると、アーネスト様が口の端に微かな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「猫達も君に懐いたな」
そう言って自然な様子でソファに近づいて腰掛けると、トントンと隣を指で叩いた。どうやらもう少し私との時間を取ってくれるらしい様子に、喜びを抑えつつ素早くドアを閉めて、呼ばれた隣に移動する。
「アーネスト様のおまけと思われていますが……。ノワたちは私の先輩のような感じです」
「先輩?」
「私が一番新入りですから。それにアーネスト様の帰宅を教えてもらえます」
そう伝えると、呆れたような眼差しを向けられた。
「君は妻ではなく、僕のペットの地位を希望しているのかな?」
「ちっ、違います! ただアーネスト様に拾われた者同士と思うと妙に親近感が湧く気がしますし、今までは2階までアーネスト様についていく猫たちを羨ましいと思っていたのでっ」
「ふぅん?」
なんとなく機嫌が悪くなったアーネスト様が、口元に皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「なら、なぜ結婚秒読みの記事で表情を曇らせていた? 僕の逃げ道を塞げたと思ったのなら喜ぶべきでは?」
「それは……」
一瞬言葉に詰まって、自分の気持ちをどう伝えようかと頭を悩ませる。
「夕食の際もお伝えした通り、私がここにいたいという希望を押し通した事でアーネスト様にご迷惑をおかけしている事が、申し訳なくなったのです。こうして記事になったことで、殿下までいらっしゃる事態になってしまいましたし」
「本当に?」
重ねて問われて困惑する。質問の意図を探りたくてアーネスト様の目を見つめると、不意にその美しい顔が近づいて、息を呑んだ。
吐息が触れそうなほど近くで、アーネスト様の瞳もまた私を探るように輝いている。
「君は本当に僕の妻になることを望んでいるのか? 保護者が欲しいだけではなく?」
その言葉に、ずきりと胸が痛んだ。
家族も住む場所もなく無一文の私には、守ってくれる保護者が欲しいことを否定できない。打算的な思考は確かに私の中にあった。でも決して、それがここにいたい理由ではない。
自活する術を持たない自分が情けなくて、そのために心を疑われていることが悲しくて、表情が歪む。
「アーネスト様に頼りきりの私が口にする言葉に、重みがない事は理解しています。ですがそれでも言わせてください。私はアーネスト様をお慕いしているからこそ、妻になりたいと願うのです」
せめてもと、精一杯の想いを込めてアーネスト様を見つめる。信じて欲しくて、目は逸らさない。
その瞳が、かすかに揺れた。
「なら、もし」
そしてどこか緊張をはらんだ声が、空気を震わせた。アーネスト様の手が私の頬を包むように触れて、忘れていた緊張感が急に胸に湧いてくる。その美しい顔が、更に私に近づいた。
息も忘れてガーネットの輝きに魅入られた私を捉えたまま、アーネスト様はゆっくりと口を開いた。
「もし僕が、今から君を抱くと言ったら……君は、どうする?」
囁くように掠れた声。それとは裏腹に、ほんの少しの感情の変化も逃さないというような強い視線が、私を貫いた。




