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32:結婚の用意

「突然すまないな」


 応接間のソファで待っていた第一王子殿下は、緊張しつつ入室した私に苦笑しながらそう言った。


「お待たせして大変申し訳ございません」

「いや、急に来たのはこちらだ。とりあえず座ってくれ」

「はい、失礼致します」


 殿下に促されて、対面に腰掛ける。

 殿下の後ろには今日も護衛の方が2人控えているが、こちら側には前回とは違いアーネスト様はいない。心細さと不安で震えそうになる。


「そう緊張しなくていい」


 そう言われるが、こんな高貴な方と一人向かい合うなんて想像すらしたことがない。用件はなんだろう。やはり私をアーネスト様の隣に置くのは問題があるとして、追い出されるのだろうか。

 今振り返ると、目の前の殿下と初めて会った時の私は妙な格好で床にへたり込んだ不審者だったし、次に会った時にはここを離れたくないと泣き出す情緒不安定なおかしな女だった。それを思うと気が遠くなる。


 私の緊張を悟ってか、殿下は安心させるように柔らかな笑みをその顔に浮かべた。


「身分は忘れて、ただのアーネストの友人の1人とでも思ってほしい。それと一応先に言っておくが、先日の手紙で伝えたとおり私は君とアーネストのことに口出しをする気はない。そこのところを、くれぐれも、誤解無きように」

「は、い。かしこまりました」


 身分を忘れられる訳などないが、とりあえずアーネスト様と引き離されるのではないらしい。殿下の言葉で最大の懸念が払拭されて、ひとまずほっと胸を撫で下ろした。

 けれどその件でないのなら、私に一体何の用があるというのだろう。わざわざサバスティ家のことで私を訪問なさるほど、殿下もお暇ではないだろう。

 不思議に思って殿下の言葉を待っていると、私を観察していた殿下はゆっくりと口を開いた。


「君は以前もここを離れることを恐れているようだが、そんなにアーネストのことが好きか?」

「そ、れはっ」


 思いがけない質問に、表情を取り繕う間も無く顔が熱くなった。

 好きかと問われれば間違いなく好きだ。それを正直に答えるべきだろうか。気恥ずかしいけれど殿下に嘘などつけないし、アーネスト様を心配する相手に適当な返事をするのも不誠実に思える。


 羞恥を押し殺して答える気力をかき集めていると、そんな私の様子を見ていた殿下がホッとしたように表情を緩めて、先に口を開いた。


「大変分かりやすい反応をありがとう。安心したよ。実は母が心配していてね。自分の知らないところでもう結婚の用意を始めたようだが、本当に大丈夫なのかと」

「けっ、結婚の用意ですか!?」


 思わぬ言葉に驚くが、殿下は不思議そうに首を傾げた。


「2人で新しい家具を買い揃えていたんだろう。今日の新聞を見ていないのか? 熱愛だの結婚秒読みだの、大々的に書かれていたぞ」


 知らなかった。いつも新聞は前日のものを保管するので、私が見るのは1日遅れなのだ。きっとエーゼルさんは当日に目を通して問題ある無しを判断するのだろうけれど、その記事は問題無しに分類されたのだろうか。


「お恥ずかしながら存じませんでした。ですが、その、まだ具体的なお話は何も出ておりません。アーネスト様は今の客間が手狭だからと、新しく部屋を整えてくださったのです」

「そうなのか? 納得したような残念なような……」


 言葉通りなんとも言えない顔を浮かべた殿下は、気を取り直すように小さく咳払いをした。


「まぁ、君の反応を見るに関係は良好なのだろう。母が君に会いたがっていたが、呼び出しなんてするとまた周りが騒ぐからな。私から話をして止めておく」

「それはやはり、私がアーネスト様のお側にいることに対して王妃陛下は懸念を抱かれている、ということなのでしょうか」


 王妃陛下からの呼び出し。どんな内容なのか考えても良い想像が浮かばなくて、少し暗い気持ちで殿下に尋ねる。けれど殿下は私の問いにサッと顔色を変えた。


「違うっ! アーネストがそんなにすぐ結婚するとは言っていなかったから、何かあったのかと心配していたんだ。決して反対したい訳ではないので、絶対にそこを誤解しないように」

「か、かしこまりました」


 殿下の妙な迫力に気おされて、ぎこちなく頷く。よく分からないけれど、王妃陛下も反対はなさらないらしい。


「この際だから言っておくが、王家としては君がアーネストの妻になる事に反対はない。そしてアーネストの身内としては、君たちが想い合っているのならば心から祝福する」

「私は身分もなにもありません。その点は問題とならないのでしょうか」

「今現在も、ファンセル家はアーネスト1人の力でその地位を認められているんだ。それにアーネスト自身が、他の者に口を出させないだろう」


 そう言って、殿下はちらりと後ろの魔術師を見た。


「魔爵家は、爵位が上になるほど魔術師に対する裁量権も大きくなる。例えば人事権もその最たるものだ。私についている魔術師もアーネストが選定しているし、廃域掃討や警戒区域の監視の計画についても、大枠は官僚が取り決めるものの、魔公爵ともなればそこに介入する権利を持つ」

「そう、なのですね」

「ああ。16歳で成人するまではその権利も一時凍結はされていたが、今や名実ともにアーネストが魔術師の頂点だ。誰も反対できる者などいない」


 それを聞いて、ますます不思議になる。それほどの権力を持ち、あの美貌で、あれほど優しく頼りになるアーネスト様の妻の座を、何故誰も求めないのだろう。


「聞けば聞くほど、アーネスト様の妻になりたいと名乗りをあげる方がいないことが不思議です」


 思い切って殿下にそう告げると、殿下は少し考えてからゆっくりと口を開いた。


「そうだな……。まぁ魔爵家の間ではよく知られた話だし、君も知っておく方がいいか。アーネストが父親に決闘を申し込んだことは聞いたのだろう?」

「はい」

「それまでアーネストは、多くの適性を持つが魔術の才には欠けると思われていたんだ。前魔公爵がそう公言していた為にね。だから突然の決闘とその結果は、魔爵家の者達を大いに動揺させた。歳若く魔術師として半人前のアーネストが、魔公爵の地位についている者に勝てるわけがない。魔爵家の者達は、アーネストが何か卑怯な手を使ったのだろうと思い込んだ。決闘に立ち会った者の多くが魔術に対する知識に乏しい一般官僚だったのも、よくなかったんだろう」


 目を伏せた殿下の顔が、辛そうに翳る。


「色々あって、アーネストは成人するまでの間は魔公爵としての権限を凍結され、その間の功績で魔公爵を継ぐに相応しいと判断されなければ、成人と同時に降爵される事になった。当然他の魔爵家はアーネストを失墜させようとした。魔公爵の位が空席になれば、自分の家が選ばれるかもしれないのだから」


 それを聞いて、すっと血の気が引いた。たった13歳で周囲が敵だらけとなり、その中で己の才を証明せよと言われたのか。どれほどの孤独と重圧だろう。想像すらできない。


「結果、アーネストは己の才を証明して見せた訳だが、散々足を引っ張り貶めた相手に手のひら返しで縁談など申し込めるか? そういった事に関与しなかった家は、逆に言うとアーネストに付随する権力には関心が薄い。それに本人もあの調子だ。興味を持って近づく者もいたが、ピリピリしたアーネストを目にすると恐ろしい噂は本当だったと思ってしまい、余計に周りから遠巻きにされる」

「……」

「だが成人してからはアーネストも徐々に心にゆとりを持つようになれたし、別に魔爵家から伴侶を選ばなければならない決まりもない。というわけで最近になって広く相手を探し始めたところ、君が現れたという訳だ」


 暗い空気を打ち消すかのように、殿下はカラリと笑った。


「アーネストは優しく親切、か。あの言葉を君から聞いた時には耳を疑った。だが、今は素直に嬉しい。君の目には、アーネストはそう映るのだな」


 柔らかな眼差しに、アーネスト様を心配する殿下の心を見た気がした。アーネスト様が文句を言いつつ殿下と付き合っているのも、その心を分かっているからなのかもしれない。

 きっと辛い時間の中でも、殿下やこのお屋敷の人達はずっとアーネスト様の味方でいたのだと、そう悟った。


「はい。とても、とても優しい方です。いつも細やかに気を配り、さりげなく手を差し伸べてくださって、毎日夢のようだと思いながら過ごしております。本当に、心から感謝しているのです」

「そうか。なんだか自分が言われたわけでもないのに照れるな」


 くすぐったそうに笑った殿下が、興味深々といった目をこちらに向ける。


「アーネストは君に対してどんな感じなんだ? 祝賀会の際は怖がっていただろうに、この短期間でそうまで変わったのを不思議に思っていた」

「きっかけは、火傷の跡を癒していただいたことでしょうか。私は誤解して怯えていたのに、それでもアーネスト様は光魔術を施してくださったのです」

「ほう」

「そもそも私をあの境遇から救ってくださいましたし、そのうえ私が体調を崩した際は手ずから看病してくださったり、そっけないようで心配する言葉をかけてくださったり。食事も私に合わせて一緒にとるようにしてくださいますし、もう好きにならない方がおかしいと言うか……」


 なんだか言っていて恥ずかしくなってきた。こうして言葉にすると、やはり自分はアーネスト様を好きなのだと強く思う。


 思わず熱くなった頬に手をやった。

 その時。


 急に、ノックもなく乱暴に応接間の扉が開かれた。

 一瞬で部屋に緊張が走る。

 扉の方を見た殿下の表情が、マズいというように強張った。


「ア、アーネスト……」


 現れたのは赤の双眸を爛々と輝かせたアーネスト様で、その雰囲気はひどく刺々しい。殿下方に圧を掛けるようにゆっくりと部屋を見渡すと、その口元には酷薄な笑みが浮かんだ。


「これはこれは」


 嘲るような口調。引き攣った顔の殿下に、ひたりと鋭い視線が向けられた。


「王子殿下は勝手に屋敷に上がり込んだあげく、僕の家の者をこの部屋に閉じ込めて、一体何をなさっておいでかな?」


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