31:必要になるもの
「忙しいのにありがとうございます」
「いいえ。もうほぼ用意は整いましたから、この時間が終わりましたら新しいお部屋へ移っていただけますよ」
「本当ですか? とても楽しみです」
お昼を終え、魔術の訓練に付き合ってくれるマリアさんにお礼を伝えると、嬉しい言葉が返ってきた。俄然やる気も湧いてくる。
「それでは一昨日と同じように、火をつけるところから始めましょう」
そして始まった前回のおさらい。やる気に満ち溢れているためか、2度ほど試すと蝋燭に火をつけることができた。ゆらゆら揺れる炎を見ていると、ほんの少し自信が湧いてくる。
「次は魔力量を多くしたり、少なくしたりと変えてみられてください。魔力量を調節する感覚を掴む為ですが、多くする時は少しずつ試していってくださいね」
「分かりました」
そう私に言うと、チラッとマリアさんが蝋燭に視線をやった。すると視線の先で金色の紋様が浮かんだと思った瞬間、蝋燭に灯った火は一瞬で消えてしまう。
その火を消す魔術はぜひ私も使えるようになりたい。
「そういえば、火を消すのも火魔術になるのですか?」
そもそも私が使える可能性はあるのかと聞いてみると、マリアさんは首肯してくれた。
「左様です。水でも消すことはできますが、例えば火災の鎮火に呼ばれるのは、火魔術を使える魔術師なのです。それに火系の魔物の攻撃を相殺するのにも火魔術は使われています」
「火を消すことも含めて、火魔術の領分になるのですね」
魔術に馴染みがないと火は水で消すものという思考になってしまうけれど、魔術師にとっては火に関することは全て火魔術で対応という感覚のようだ。私が無意識にマリエラの出した炎を相殺できたのも、そのためなのかもしれない。
「その術を使えるようになるためにも、まずは魔力量の調整ができるようにならねば、ですね」
「ええ。少しずつ身につけていきましょう」
とりあえずは今の自分の課題をクリアしなければと、気を引き締めて蝋燭へと向き直る。
そして言われた通り何度か魔力の量を変えて試してみたところ、少なすぎて火がつかなかったり、逆に蝋燭に対しては大きすぎる火が出たりと、目に見えて結果が違うので感覚を掴みやすかった。
途中でマリアさんが少し太めの木の枝も出してくれたのでそれにも火をつけてみたけれど、蝋燭とは違って必要となる魔力量が多くて難しい。
そんな風に色々試すうちに、だんだん魔力を使う事に対する抵抗感も薄れてきた。使う魔力の基準ができた事で、魔術を通すにしても火を灯すより多め少なめという自分の中での整理もできて、前回よりは上手く行く気がしてくる。
「今日はそろそろ終わりの時間です。だいぶ魔力を使う感覚を掴まれたようですし、明日は火をつける魔術をもう一度試してみましょう」
「はい。今日もありがとうございました」
あっという間に時間は過ぎてしまったけれど、今日も訓練の成果が感じられた。
初日のことを振り返ると、アーネスト様に言われた通り怯えて魔力を抑え込んでしまっていたことが理解できる。今なら少しは手応えを感じる結果を得られる気がして、明日が楽しみに思えた。
「今日は今までで一番魔力を消費したと思いますが、何か体調に変化はございませんか?」
充足感に浸っていると、マリアさんに慎重に窺うような視線をもらった。
「はい。特に変わりはありません」
「それならばよろしゅうございました。ですがくれぐれもご無理はなさらないでくださいね。アーネスト様もご心配なさいますから」
マリアさんが優しく笑ってくれて、それに釣られて私の顔にも笑みが浮かんでくる。
心配してくれる人がそばにいる。それはすごく心強くて救われるものだと、ここに来てから痛いほどに感じた。
「決して無理は致しません。マリアも、いつも気を配ってくれてありがとうございます」
家族がいた頃は当たり前のように受け取っていた平穏も周囲の支えも、失って初めてその大切さが分かった。
今私が受けている待遇は決して当たり前のものではないのだ。
奇跡と呼ぶしかない優しさと労り。それに対する感謝だけは忘れまいと、改めて思った。
「す、すごく素敵です!」
マリアさんに扉を開けてもらった私の新しい部屋。
配置は昨日相談した通りだけれど、ランプやクッション、花瓶や絵画などの小物が増えていて、思わず歓声を上げてしまった。
本棚にも本が並べてあって、マナーや魔術史など役立つ系から刺繍や物語など趣味のものまで少しずつ色々入れてくれている。机の引き出しを開けると、ペンやノート、数種類の便箋なども揃えてあった。
「細かなところまで整えてくださって、ありがとうございます」
見て回るだけでとても楽しい。
はしゃぐ私を優しく見守っていたマリアさんが、こちらへ、と衣装部屋かと思われる続き部屋へと招く。
ワクワクしながらその中をのぞいて、絶句した。
「……これは…………」
室内用のドレスだけではない。外出用のドレスも、夜会などの華やかな場に相応しい豪奢なドレスまである。
そして中が見えるようにと開けられた手前のチェストの中には、ネックレスやリング、ヘアアクセサリーなどが数種類揃えられていた。どれも素晴らしい輝きの宝石があしらわれた品で、なんだか眩しい。ここにいる自分の方が場違いではないかと思えてくる。
「奥のチェストには奥様……アーネスト様のお母様の使われていたアクセサリー類も保管してございます。それ以外はアーネスト様のご指示で、セリーナ様に合ったものを揃えさせていただきました」
「わたし、に……」
嬉しさよりも、どこか現実味がない光景に呆然としてしまう。
部屋だけでも信じられないほど嬉しかった。そのうえ家具まで新しくしてもらって、そしてさらに一目で高価だとわかるドレスや宝石類までとなると、本当にいいのだろうかと不安が顔を覗かせる。
「そしてこちらも。お風邪を召されてはいけないから、と」
そんな私にマリアさんが手に取って見せてくれたのは、温かそうなロングカーディガンだった。シンプルなそれは、外出用ではなく部屋着の上に羽織るためのものなのだろう。
そういえば帰りが遅くなったアーネスト様をナイトウェアで出迎えて、呆れられたことがあった。手を触れてみると柔らかい手触りで、とても気持ちがいい。アーネスト様はあの時のことを思い出して手配してくれたのだろうか。
感じていた不安が、ゆっくりと嬉しさに変わっていく。
「今後、アーネスト様と夜会などに出られる機会もあるでしょう。その際にはドレスも宝石も必要になって参ります。まだ数は少ないですが、そのうちセリーナ様の希望もお伺いしながらオーダーしていく予定です」
「夜会……」
マリアさんの言葉に、このドレスや宝石の意味がすっと胸に落ちてくる。これは今後も私がアーネスト様といるのであれば、必要になるものなのだ。
それを理解して、なんだか涙が出そうになった。
妻になりたいとか、子の指導がどうとか。そんな夢見がちな私の言動よりずっと、アーネスト様は近い将来に必要なことを考えてくれている。
「うれしい、です」
アーネスト様の隣に立つのであれば、アーネスト様に、ファンセル魔公爵の地位にふさわしい装いが必要だ。もしかすると来年の国王生誕祭より前に、どこかの会に連れてもらえる可能性もある。その時の肩書きが恋人候補であろうと婚約者であろうと、釣り合わない格好などできるはずがないのだ。
この部屋を与えてもらった意味を、私はもっとしっかりと考えるべきかもしれない。
「私、頑張ります。アーネスト様に相応しくなれるように。だからどうか、これからも力を貸してください」
長くファンセル魔公爵家に仕えているマリアさんの方が、きっと今の私に足りないもの、必要なものをよく分かっているはず。だからどうか、これからもアーネスト様のそばにいるために協力して欲しい。
そう願いを込めて、マリアさんを見つめる。そんな私に一瞬目を見張ったマリアさんは、少しして優しい笑みを浮かべた。
「このままアーネスト様のおそばにいていただきたいと、そう願っているのは私の方なのですよ、セリーナ様。この屋敷のものは皆、アーネスト様を慕っております。けれどどれだけお支えしたいと願っても、使用人の身では言えないこと、伝わらないことは多くございます」
そう言ったマリアさんは、眩しいものを見るような眼差しを、私に向けた。
「セリーナ様がアーネスト様に光魔術のお礼をお伝えした時、本当に久しぶりに、アーネスト様が年相応に動揺されるのを目に致しました。私はそれが、嬉しくてなりませんでした。セリーナ様がいらしてから訪れた変化は、まるで欠けたものを補うようで、私共は言葉にできないほどの安堵と喜びを感じているのです」
「え……」
「ですから、」
マリアさんが言葉を続けようとした時。
急に、ノックの音が響き渡った。
「どうぞ」
気になるところで会話が止まってしまって残念な気はしたが、とりあえず入室を許可する。するとフリエさんが素早く部屋に入ってきた。
珍しく焦った表情を浮かべる彼女に、なんとなく嫌な予感を感じる。
「何かありましたか?」
恐る恐るそう聞いた私に、フリエさんは困ったように早口で告げた。
「第一王子殿下がセリーナ様にご用とのことでお見えになっております。とりあえず応接間にお通ししておりますが……。如何いたしましょう」
「わ、私に?」
驚きで頭が真っ白になってしまう。
何故王子殿下がわざわざ私に会いに来るのだろう。いや、考えるまでもなくアーネスト様絡みだとは思われるが、昨日介入しないとの手紙をいただいたばかりなのに。まさか事情が変わったなどと言われるのだろうか。
「と、とりあえずお会いします。着替えの用意をお願いできますか」
とてつもなく気が重いが、アーネスト様もおらず私を名指しされている以上、対応しないわけにもいかない。
慌ただしく訓練用の服から無難なドレスに着替えて身だしなみを整え、殿下の待つ応接間へと向かったのだった。




