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29:王子様

「まったく、大型の家具を滞りなく運んでいるかと思いきや、なぜついでで頼んだランプシェードを落とすんだろうね。真っ青になって謝るくらいなら、気を抜くなというんだ」


 文句を言いながらこちらに近づいてくるアーネスト様。その姿を見ると、不思議なほどの安堵が胸に込み上げてくる。


 ぼうっと見惚れていると、すぐそばに立ったアーネスト様が私の顔を覗き込んだ。赤の瞳が相変わらず美しい。


「そんな情けない顔をするほどに驚いたのかい? まぁ確かに、小さい割には断末魔はけたたましい一品だったが」

「そう、ですね。とても驚いてしまいました」

「流石に二度目はないだろうから安心するといい。もうほとんど搬出は終わっているし、ランプシェードはあれ一つだ。君の家具達は無事に部屋まで運ばれるだろう」


 そう言うと、そのまま私の隣に腰掛けてくれる。いつになく近い距離のアーネスト様に、先ほどとは別の理由で心臓が忙しくなった。


 きっとフリエさんから話を聞いて、わざわざ様子を見に来てくれたのだろう。叔父一家と過ごした時間が頭から遠のいて、ここへ来てからの日々が心を満たしていく。


「申し訳ございません。叔父一家といた頃を思い出して、急に怖くなってしまったのです。ですがアーネスト様がいらしてくださったので、少し安心できました」

「おや、僕がいてもまだ怖いとでも? あのカエル達が僕の前で君を傷つけられるわけがないんだ。少しではなく、大いに安心するといい」

「……っ、はい、ありがとうございます」


 私を守ると遠回しに伝えてくれるアーネスト様に、なんだか目の奥が熱くなってくる。

 叔父に引き取られて間もない頃は、辛くあたられる度に誰かに助けて欲しいと願っていた。でも頭に思い描くのはもうこの世にいない家族で、いっそう辛く悲しくなるばかりだった。


 でも今、願っていた救いの手が私を優しく包んでいる。


「アーネスト様は、物語に出てくる王子様みたいです」

「褒められているのだろうが、身近にいる王子様がアレだからか複雑な気分だ」

「気高く頼りになって、とてもかっこいいと言う意味なのですが……」

「説明しなくていい!」

「ふふ。申し訳ございません」


 強張っていた心も身体も、ふわりとほどけていく。しばし与えられた安心に浸っていると、ドアをノックする音が響いた。


「入れ」

「失礼致します」


 現れたのはフリエさんで、落ち着いた私の様子を見て少し表情を和ませた。そして用意してきた2人分の飲み物をセッティングしてくれる。


「ありがとう、フリエ」


 飲み物を置くために近くに来てくれた彼女に、心を込めて感謝を伝える。先程安心させようと言葉を重ねてくれたことも、アーネスト様を呼んでくれたことも、とても頼もしく嬉しかった。

 私の思いが伝わったのか、フリエさんはにこっと笑ってくれる。それに笑顔を返しながら、もう彼女を心配させたりしないよう、心を強く持ちたいと思った。








 フリエさんは飲み物を出すと静かに退出し、再びアーネスト様と2人になった。こんな風に部屋で一緒にいるのは久しぶりで、微かな緊張とくすぐったいような照れが心の中でせめぎ合っている。


 誤魔化すようにそっと深呼吸すると、紅茶の香りに意識が向いた。


「いい香り……」


 私に出された紅茶はフルーツ系の甘い香りがして、心が和む。

 アーネスト様にはコーヒーが出されているようで、美しい仕草でそれを口元に運ぶ彼に倣って私も紅茶を口に含むと、香りほどは甘くなく、意外と爽やかな後味が美味しかった。


 新しい紅茶を楽しんでいる私の様子を見たアーネスト様が、ふっと笑いを含んだ吐息をこぼす。


「君がうちに来てから使用人達があれこれ欲しがっていたが、なるほど確かに役に立つらしい」

「えっ?」

「嗜好品やら美容系の消耗品、衣類装飾品と、これまでこの屋敷ではあまり必要とされなかった物を選ぶことが楽しいようでね。仕える相手が僕1人だと面白みがないんだろう。活気が出ていい事だ」


その言葉に、改めてアーネスト様や使用人の皆さんへの感謝の思いが込み上げる。


「色々揃えてくださってありがとうございます。使用人の皆さんにもいつも親切にしてもらって、何不自由なく過ごさせていただいています」

「マリアもエーゼルも君を気に入っている。あの2人を味方にしていれば滅多なことはないと思うが、何か気になることがあれば僕に直接言うといい」

「はい。でも、本当にいつも感謝ばかりです。髪もパサパサではなくなりました」


 ツヤツヤとは言えないけれど、少しはまともに見えるようになった気がする。以前に比べれば、ではあるけれど。


「ふぅん? それはよかった。使用人達も手のかけ甲斐があるのだろう」


 そう言うと、アーネスト様は私の髪を一房掬って指を滑らせた。

 伸びすぎたら適当に切っていただけの髪は、ここに来てから綺麗に切り揃えてもらって、それだけで大分マシに思えたものだ。でも目の前の黒髪を見ると、月と雑草程の大きな差がある。


「あ、あのっ。まだアーネスト様の髪の足元にも及ばないので、注目されると恥ずかしいです」

「何を今更。妙なドレスを着て雨に打たれた子猫のような目をしていた君を拾ったのは誰だと思っている?」

「あの時の格好のことは忘れてください……」


 確かに祝賀会の時の痛々しい格好を見られていると思えば、ちょっとツヤに欠けた髪を見られるくらいなんでもないと思ってしまう。

 本当に見窄らしく陰鬱な不審者だったろうに、屋敷に連れ帰ってくれたアーネスト様には感謝しかない。


 そう思ってアーネスト様を見上げると、なぜか微妙な顔をされた後、フリエさんが飲み物と一緒に持ってきてくれていた小さなクッキーを口に押し込まれた。


「……」


 私がまたアーネスト様を褒め称えようとした事を察して、阻止されたのかもしれない。仕方なくクッキーを咀嚼するが、これもほんのりとコーヒーの風味が効いていて美味しい。アーネスト様用に甘すぎない仕様なのかもしれない。


 そうやって優しく穏やかな時間を楽しむうちに、やがて私の新しい部屋への家具の搬入も終わったようで、呼びに来てくれたマリアさんと一緒に部屋を見た私は思わず、大きな歓声を上げて喜んでしまったのだった。

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