26:ファンセル家
「え、縁談?」
大きく深呼吸をし、意を決して読み始めた王子殿下からの手紙。
それはこの間は驚かせて悪かったという謝罪と、此度の件は私の意思を尊重するので積極的に介入はしないという内容のもので、ひとまずほっとした。
考えを変えた時のためにと、王子殿下への連絡の取り方も書かれていたが、頼ることはないと祈りたい。アーネスト様が『必要になるかもしれないこと』と表現していたことには、少し気落ちしてしまうけれど。
そして手紙の後半、アーネスト様がわけの分からないことと言っていた内容は、私もわけが分からなかった。
「ところで、マリエラ・サバスティに縁談でも用意しようと思うのだが、彼女の男性の好みは知っているか……?」
もう一度読んでも、わけが分からない。殿下とサバスティ家の間にはなんの関係もないはずだけれど、もしかしてカエルの魔術をかけられた後に何かあったのだろうか。
不安だ。
その不安を閉じ込めるように、とりあえず封筒に手紙を仕舞う。
別に縁談を進めていただいても構わない気もするし、あれこれよく喋るマリエラのおかげで男性の好みの傾向も知っているけれど、何かとんでもない裏があったりするわけではないのだろうか。
「アーネスト様にご相談しましょう」
私1人では判断に困る。
とりあえず一旦手紙の事は忘れることにして、マリアさんが勧めてくれたファンセル家の活躍が書かれた書物に目を通すことにした。アーネスト様に関することを知れるのは、単純に嬉しい。
そっと本のページをめくる。
それは一昔前から近代にかけての魔爵家について書かれた本で、その本の半分弱はファンセル家についての記載だった。
ファンセル家は古くから魔術師としての能力が突出した家系だけれど、かの有名な炎の大魔術師とその先代の魔道具の父と呼ばれる人が特に優秀だったようで、その頃から魔公爵位を得て魔爵家の頂点に君臨しているらしい。
魔道具の父と呼ばれる人は魔術師としても優れていたが、それまで活用されていなかった魔石を利用し、魔道具と呼ばれるものを発案したことで名を上げたと書かれている。
魔石は魔物を焼却した際に残るエネルギーの塊のようなもので、身近なものでは浄化を含む水道設備や国営列車などに使われる。だが基本的には軍用車や兵器など廃域対策に開発・利用されることの方が多い。
入手が魔術師頼りになるし大変高価なので、魔石はそういった国が重要と認めた設備に重点的に利用されるが、元々の着想が身の回りを便利にしたいというものだったため、クズ魔石でも作れる室内用の灯りやお湯を作る加熱器など、貴族であれば個人所有できる程度の魔道具も存在している。
「王都は夜も明るいものね」
王都以外では月明かり頼りになるのが当たり前だが、王都は道にまで灯りが配置されていて日が落ちても移動には困らない。初めて家族と王都を訪れた時は、夜の明るさと光の美しさに驚いたものだ。
便利なものを作ってくれたアーネスト様の祖先に感謝を捧げつつページをめくっていくと、次は炎の大魔術師と呼ばれる人についての記述になった。
「天人の瞳……」
炎の大魔術師は100年に1人程しか現れない『天人の瞳』と呼ばれる特別な目を持って生まれた人で、突出した能力で魔物の大発生から国を守るのに活躍しただけでなく、その特別な瞳を持つ人しか読めない天人の遺物の解読にも大いに貢献したと書かれている。
天人は魔術師の祖先ではないかと言われる幻の一族で、廃域などでその遺物が見つかると大切に保管されるそうだ。アーネスト様が愛用している転移の術も、その頃に天人の遺物から解読されて実用化されたらしい。
「アーネスト様は、本当にすごい血筋の方なのね」
なんの変哲もない田舎にあるサバスティ家とは、天と地ほどの差がある。
自分がすごく場違いに思えて、少し気が塞いだ。それこそ天人の瞳でも持っていれば、爵位なしでもアーネスト様に釣り合えたのかもしれない。けれど残念ながら幼い頃の検査で、私の目に天人達の残した文字は映らないことが分かっている。
苦いため息を吐くと同時に、ふと殿下の手紙を思い出した。気が変わったらというのは、アーネスト様個人への感情だけでなく、この格差に耐えられない場合も見越しての言葉なのかもしれない。
魔術すら使えず無一文で身分もない私に、アーネスト様の側にいる覚悟があるのか。落ち着いて周りを見られるようになった今、その事実はチクチクと胸を刺す。
もしアーネスト様がガゼボで最後に言ってくれた言葉や、先日の家具の件がなければ、もっと苦しかったかもしれない。でも昨日だって、来年の話や私の祖母を呼び寄せるなんて提案をしてくれたのだ。
不安はある。
でもアーネスト様が歩み寄ってくれている間は、そばを離れられる気がしなかった。
魔術訓練の時間。
昨日の続きでひたすら火をつける魔術を試すと思っていたけれど、マリアさんは別の方法を考えてくれていたようだ。
「今日は少しやり方を変えてみましょう。一旦昨日の魔術のことは忘れて、意思の力のみで火をつけてみてください」
「魔術は使わないのですか?」
「ええ。まずは魔力を扱う感覚を掴むことに集中した方が良いかと存じます。魔力効率は悪いですが、短時間でしたら問題はないはずです。魔力を蝋燭の先に移して、それが火となることをイメージしてください」
そう言ったマリアさんが蝋燭に視線をやると、ぱっとそこに火が灯った。魔力効率が悪いと口にしていたとおり、昨日よりも使う魔力は多いような気がする。魔術に惑わされない分、純粋にマリアさんの使う魔力を感じられる気がした。
「確かに、こちらの方がやりやすいかもしれません」
「では試してみられて、もし気分が悪くなったりされましたらすぐに教えてくださいね」
「はい」
魔術を通すよりも、火をつけるイメージの方が予想外のことが起きにくいように感じて、なんとなく気が楽になる。
少し晴れやかな気持ちで、蝋燭の先をじっと見つめた。
幼い頃、魔力は危険で使うべきものではないとすら言われていた。内に抑え込むことが当たり前だったそれは、いざ使おうとすると拒否感すら感じてしまう。
万一暴走させたらという恐怖は、どうしても消えない。
でも私は、魔術を使えるようになりたい。アーネスト様の世界に僅かでも近づきたいのだ。自分を宥め鼓舞しながら、内にある魔力を慎重に、蝋燭の芯の部分に移動させることをイメージした。
「……」
たぶん魔力は流れている、はず。でも何も起きない。
何度か試してもなんの反応もなく、やはりやり方が間違っているのだろうかと不安が込み上げた。
「大丈夫ですよ。もう少し魔力を多くしてみましょう」
「はい」
私の焦りを宥めるようにマリアさんが声をかけてくれて、一旦集中を解いて深呼吸する。自分ではマリアさんと同じくらいの魔力を使っている気になっているけれど、どうやらそうではないらしい。
そっと目を閉じた。
『慣れれば、魔力を扱うことは手足を扱うのと同じようなものだ。わざわざ己を殴ろうとしなければ、痛い思いをすることもない』
昨日アーネスト様が言ってくれた言葉が、胸に甦る。
穏やかな口調、美しく幻想的な魔術、そしてもらった未来の約束。その時の光景を脳裏に描けば、胸に巣食う不安と恐れが少しずつ薄れていく気がした。
ゆっくりと目を開ける。
大丈夫。きっと慎重にすれば、怖い想いをすることなんてない。痛い思いもしない。何もできない方が、ずっと苦しい。
心を決めて、自分の中から魔力を取り出した。
「お願い……」
強く願ったその瞬間、チリッと火花が散った。
「あっ」
「いいですね、その調子です」
「はいっ」
初めて感じた手応えに、大きな安堵と嬉しさが込み上げる。やり方は間違っていないと、それが分かっただけで随分と心が軽くなった。
その勢いに押されて、今度はもう少し多めの魔力を使って火をイメージする。
すると、弱々しい炎が一瞬芯に灯った。けれどちょうど吹いてきた風に、すぐさま掻き消されてしまう。なんだか悔しい。
「セリーナ様、そろそろお時間になります」
「えっ」
「無理をするとよくありませんから。次で最後にして、今日は終わりにしましょう」
次で最後。
でも、このまま終わりたくない。今感じている手応えを形にして、一歩でもいい。前に進みたい。私にもできると、そう信じたい。
「いきます!」
気合を入れるために声を出し、思い切って魔力を使った。
どうかお願い、と願う視線の先。
ゆらりと光が揺れる。
「……っ」
脳裏に描いた、力強い炎。
それが私の目の前に現れて、一瞬息が止まった。まるで私の願いがそのまま形になったような輝きから、目が離せない。なんて眩しくて神々しいのだろう。
ほんのちっぽけな蝋燭の火なのに、まるで太陽のように心を照らしている。込み上げてくる喜びが、胸の中でパッとはじけた。
「マ、マリアさんっ。できました、火が、火が、私にもっ!」
「ええ、ええ。おめでとうございます」
思わず声を上げてしまったけれど、マリアさんもにこにこ嬉しそうに笑ってくれた。興奮で鼓動が早くなる。
ああ、本当にすごい。
鳥が初めて風を捉えて大空を飛ぶ時、きっと今の私と同じ気持ちなのではないだろうか。新しい光景、新しい力。まるで昨日とは違う、新しい自分を見つけたような清々しい気分が胸を吹き抜けていく。
そういえば、こんなふうに自分の成長を感じて喜ぶことも、本当に久しぶりだ。
「ありがとうございます、マリア。できることが増えるのは、こんなにも嬉しいものなのですね」
「私もとても嬉しい気持ちにさせていただきました。よく頑張られましたね。アーネスト様もきっと、お喜びくださいますよ」
マリアさんの一言で、期待に胸が高鳴る。アーネスト様に報告したら、なんと言ってくれるだろう。マリアさんのいうとおり、喜んで、くれるだろうか。
ともかく進歩があったことを報告できるだけでも、とても嬉しい。魔爵家の人から見たら、もしかしたら成長とすら言えないほどの歩みかもしれないけれど、私にとっては途方もなく大きな一歩なのだ。
この喜びを糧に、明日も頑張ろう。夕方になるのを待ち遠しく思いながら、ずっと嬉しさと希望を噛み締めていた。




