22:悲劇の令嬢
「はぁ? 魔術の訓練?」
夕食時。
アーネスト様にこの先のことを仄めかしてもらえた気持ちの昂りのまま、魔術の訓練を受けたいとお願いしてみた反応はあまりよろしくなかった。魔爵家の嫁になるには必要だと思って意気込んでいるのだけれど、アーネスト様からは仕事をしたいと言った時と同じような言葉が返ってくる。
「その歳で魔術を習得したいとは見上げた向上心だが、平和ボケした地爵家で生まれ育ったなら基礎さえ分かっていないんじゃないのかい? 魔術の習得には時間も労力もかかるんだ。何を思って急にそんな事を言い出したかは知らないが、興味本位ならお勧めしないね」
「で、ですが、魔爵家では子の魔術指導を親が行うものとお聞きしました。確かにあまりお役に立てない可能性もありますが、全く知識も経験もないよりは少しでも魔術に触れておく方が良いと思ったのです」
「子……?」
私の言葉に、アーネスト様の赤の双眸が軽く見開かれた。
「子……」
全く思いもよらない事を言われたというように言葉を止めてしまったアーネスト様を見て、自分の発言が先走りすぎたものだったかもしれないと恥ずかしさが込み上げてくる。婚約さえしていないのに、婚約者気取りの発言をしてしまったのではないだろうか。どうしよう。ものすごく居た堪れない。
「あ、あのっ。その、もしもの、仮の話ではあるのですがっ。あの、あの、も、申し訳ございません……」
じわじわ赤くなってくる顔を隠すように項垂れると、アーネスト様が小さく咳払いをした。
「まぁ、好きにすればいい。僕は妻の趣味を止めるほど狭量な男ではないからね。ただし、1日30分までに留めるように」
「え?」
「君は自分が病み上がりで不健康な身体であるという自覚はないのか?」
アーネスト様の視線が私の手元に向かう。今日の私の夕食は、まだ病人食に毛が生えたような具沢山スープがメインだ。
「魔術の訓練には気力も体力も使うんだ。今の状態で本格的な魔術訓練なんて始めたら、また身体が悲鳴を上げる。もちろん隠れて自主練を行うことも禁止だ。その条件を呑めるのなら、許可してあげてもいい」
「はい! 勝手なことは致しません」
「その言葉を忘れないことだ。慣れない間は特に、自身や周囲に危険を及ぼすこともある。あと、基礎くらいなら教師役はこの屋敷の中の者で事足りるだろうが、彼らの仕事の調整や君の体調を考慮して、実際始められるのは数日後だと思って欲しい。それまではしっかり体を休めるように」
「かしこまりました。ご配慮ありがとうございます」
条件はつけられたが、それは私の体調を心配してくれてのこと。その気遣いがとても嬉しくて、顔がにやけそうになるのを何とか堪える。でも隠しきれなかったのか、アーネスト様がやれやれとでも言いたそうな視線を私に向けて、残りの料理を口に運び始めた。
私も止まっていた手を動かして、温かいスープを口に運ぶ。その優しい味わいは、この屋敷に連れて来てもらった夜に泣きながら食べたものと同じ。今こうして抑え切れないほどの幸せを胸に味わえるのが、すごく嬉しかった。
3日ほどゆっくり過ごして、体調も私の中では万全と言っていいほどになった。
今日はお休みらしいアーネスト様と朝食を共にした後に、昨日の新聞記事の保管業務を行なっていると、娯楽色の強い2紙から私についての記事が出ているのを見つけて思わず並べてまじまじと見入ってしまう。
「悲劇の令嬢……」
同じような見出しで記事が書かれており、内容もほぼ同じ。魔物の襲撃により家族を亡くした悲劇の伯爵令嬢(私の事)が、引き取られた後にも辛い仕打ちをうけていたというもので、似合わないドレスで笑い物にされていたとか食事を満足に与えられないようで痩せこけていたとか書かれている。
内容的に交流のあった他家からの情報のようだが、叔父一家は祝賀会のこともあり、かなり肩身の狭い思いをするだろう。祝賀会で私に濡れ衣を着せたあげく絶縁宣言をした事も絡めて、かなり悪く書き立てられていた。
少し胸のすく思いはしたが、問題は続きにあった。
記事の締めくくりが、そんな令嬢が魔公爵の目に留まり助け出されたというものと、不幸にも更なる地獄へと叩き落とされたというものに分かれているのだ。
前者はなんとなく好感を持っているロマンス記事を出していた新聞社で、私の中でまた少し好感度が上がった。
でも後者の記事のようにアーネスト様が私を虐げているといった誤解が広まっては申し訳ないし、いっそ取材をお願いしてはダメなのだろうか。取材の依頼までは行かずとも、私が元気にしている姿を見せれば真実は広まる気がするけれど。
うーんと悩んでいると、ノックの音が響いた。
「どうぞ」
「失礼致します」
入ってきたのはフリエさんで、ニコニコと楽しそうな様子だ。
「旦那様より、お出かけのお誘いでございます」
「え!?」
「いかがなさいますか?」
アーネスト様から、お出かけのお誘い。受けないわけがなかった。
「い、行きます!」
「かしこまりました。ではすぐにご用意させていただきますね」
一旦失礼致しますと言って退室したフリエさんを待つ間、そわそわと何も手につかなくなってしまった。お出かけとはどこに行くのだろう。フリエさんの様子からは悪いところへ連れられるわけでもなさそうで、勝手に期待で胸が高鳴ってしまう。
少しして他の使用人も引き連れて戻ってきたフリエさんに、ドレスや化粧を整えてもらった。外出用のドレスなので夜会用のように華やかなものではないのだが、あの祝賀会の日とは別人のように綺麗に仕上げてもらえて、今の方が断然素敵に見えた。ハーフアップにしてもらった髪も少しずつ艶を取り戻している。その事に更に気分が高揚した。
「フリエ達はすごいですね。なんだか美人になったような気分です」
「セリーナ様はもともとお美しいですよ。でも私達ももっと腕を磨きますね。お恥ずかしながら今まであまり女性の身支度に関わりませんでしたので、お褒めの言葉をいただくのも申し訳ない気持ちが致します」
なるほど、アーネスト様のお母様が亡くなられてからこのお屋敷には女主人不在のままだったので、腕を振るう機会もなかったのだろう。それなのに満足のいく仕上がりにしてくれたのだから、やはりすごいと思う。
「十分素敵にしていただきました。ありがとうございます」
「そう仰っていただけるととても嬉しいです。お出かけ楽しんでいらしてくださいね」
「はい」
そんな会話をしているとやがてマリアさんが呼びにきて、浮き立った気持ちのままエントランスへ向かう。
するとそこにはすでに身支度を整えたアーネスト様がいて、その洗練された装いに思わず見惚れそうになってしまった。
「おや。あの祝賀会の日とは別人のようだ」
そう揶揄うような表情を浮かべるアーネスト様は、おそらく遠回しに私の装いを褒めてくれているのだろう。なんとなく気恥ずかしくて、顔が赤くなってしまう。
「では、いってくる」
「い、いってきます」
「いってらっしゃいませ」
さりげなくアーネスト様に腕を差し出されて、そっとそれに自分の腕を絡める。魔術で移動するのかと思ったけれど、アーネスト様はそのまま外に出て、用意されていた馬車に私を乗せた。
乗り心地の良さそうな豪奢な馬車と真っ白で美しい馬という理想の組み合わせに、なんだか高貴な身分にでもなったかのような思いを味わっている間に、ゆっくりと馬車は動き出したのだった。




