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20:残虐な過去

 お昼に現れたアーネスト様は、隙のないクールな雰囲気を取り戻していた。


「体調は戻られましたか?」

「ああ。もともと気にするほどのことでもないさ」

「なら安心致しました」


 無事回復している様子に、ほっと胸を撫で下ろす。

 2人とも席に着くと、まもなく昼食が運ばれてきた。そういえば昼食までアーネスト様と一緒に食べるのは初めてで、なんとなく嬉しい気持ちになる。


「……君は何をしていたんだ?」


 1人で機嫌良くしていたが、アーネスト様はこちらに話題を振ってくれた。自然と顔がほころぶ。


「アーネスト様の新聞記事を保管しておりました」

「は? なんだって?」

「先月からの記事も少し拝見しましたが、アーネスト様を讃えるものが多くて読んでいて楽しく、あっという間に時間が過ぎていました」

「……エーゼルか?」


 意表を突かれた様子のアーネスト様が、一拍置いて近くに控えていたエーゼルさんに視線を送る。それを受けて、エーゼルさんはすっと腰を折った。


「セリーナ様が手伝いを申し出てくださいましたので、家政婦長と相談の上、わたくしめの大切な業務の一つをお任せ致しました」

「……」


 何か言いたそうなアーネスト様だったが、結局何も言わずに口をつぐんだ。微妙な表情のまま料理を口に運んでいる。


「その、祝賀会を取り上げた記事ではアーネスト様の初ロマンス! といったような掲載の仕方もございましたが、ア」

「待て。君はそれを保管する気か?」


 アーネスト様はよろしいのですか、と問おうとしたところを素早く遮られた。


「そもそも、そんな記事を出す新聞まで僕の屋敷では有り難がって購読していたと?」

「その、おかしな記事が出ていないか広く確認するのは、必要なことではないでしょうか」

「まぁ、そうとは言えるが」

「それに、その新聞社は龍伐の際のご活躍も特集を組んでいましたので、今後もとるべきかと思いますっ」


 そう。面白おかしい記事だけでなく、ちゃんと賞賛の記事も特集で組んでいたのだ。ロマンスの記事も思ったより下世話な内容ではなく、ちょっと好感度が上がっていたので購読をやめられると少し寂しい。


「はぁ。僕の妻は妙な楽しみを見つけたらしい」


 購入をやめないで欲しいというこちらの希望を感じ取ってか、アーネスト様が仕方なさそうにため息をついた。でもそれ以上何も言われなかったので、容認してもらえたのだろう。


 やっぱり優しいなぁと改めて思う。

 一言やめろといってしまえば、それで終わることなのに。この屋敷の主で、自分の意向を通す権利を有しているのに、それをせず好きなようにさせてくれる。あの祝賀会の時にアーネスト様に抱いていた恐怖は、今は跡形もなく溶けて消えてしまっていた。


「ですが、私とのことが記事になってしまって、アーネスト様はよろしいのですか?」

「どんな内容だったかは知らないが、記事など好きに書かせておけばいいさ。目に余る内容ならエーゼルが対処するだろう。それより早く身の振り方を考えなければ、君こそ僕の妻だという印象がつくうえ、殿下のせいで陛下方の興味まで引いてしまったんだ。とろとろしてると、本気で逃げられなくなるよ?」


 そう言われても、困ってしまう。


「その、逃げるべきはアーネスト様なのではないでしょうか」

「へぇ、僕が?」

「はい。逃げ道を塞がれたところで、私には何も困るところがありません」


 私の言葉に、アーネスト様が微かに目を見開いた。


「何を言っている?」

「むしろ、なぜ私が逃げようとするとお思いなのかが分かりません。アーネスト様はご自身でも仰っていたように、容姿にも才能にも優れ、身分も高くていらっしゃいます。そのうえ優しく親切で、なんの縁もない私をこうして救ってくださった素晴らしいお方です」

「……」

「世のご令嬢に憧れを抱かれる要素しかありません」

「……」

「対して私は何も持たず、魔術すら使えません。魔爵家の常識も分かりません。逃げる必要はないとしても、アーネスト様を困らせてしまうくらいならば、大人しく殿下のお話をお受けすべきかもしれないとは考えております」

「君、は……」


 アーネスト様は信じられないものを見るかのような視線を私に向けた。


「僕が皆になんと呼ばれて恐れられているか、知らないわけではないだろう」

「はい。祝賀会の際のアーネスト様は、確かに迫力があって怖かったです」

「怖がっていた男の妻になろうと?」

「今は優しい方だと存じております」


 そう返すと、その場に沈黙が落ちた。何も言ってくれなくなったアーネスト様に、機嫌を損ねてしまったのかと不安になる。やはり妻になりたいと仄めかすなんて、図々しいと思われてしまったのかもしれない。


 ひっそりと落ち込んでいると、不意にアーネスト様が席を立った。よく見るといつの間にか昼食を食べ終えていたらしい。

 そのまま立ち去るかと思ったアーネスト様は、しかし途中で足を止めた。


「後で、話がある。食事は残さないように」


 簡潔にそう告げて、そして足早に去っていってしまった。急いで後を追う猫達を見送りながら、話とはなんだろうと不安な気持ちが湧いてくる。

 引導を渡されてしまうのかと、憂鬱な気持ちで手元のお皿を見た。すっかり食欲は失せていたけれど、とりあえずアーネスト様に言われた通り頑張って口に運ぶ。


 するとアーネスト様の席近くに控えていたエーゼルさんが、私の方へとそっと近づいてきた。顔を上げると、いたずらっぽい光を宿した茶色の瞳と目が合う。


「旦那様は、ああ見えて好意を向けられることに弱いのです」

「え?」

「では、わたくしもこれで失礼致します」


 すっと自然に退出してしまったエーゼルさんを、呆然と見送る。先程の言葉はなんだったのだろう。エーゼルさんなりのアドバイスなのだろうか。

 そう思った時、ふと私が熱を出した時にアーネスト様が口にしていた「夫の役目とやらは終えた」という言葉が脳裏に浮かんできた。不思議な言い方だと思っていたけれど、私がマリアさんに色々言われているように、アーネスト様もエーゼルさんに何か言われているのかもしれない。


 応援してもらえたように感じ、少しだけ気分が軽くなった気がした。もともときちんと話し合わないといけないと思っていたのだから、いい機会だと思って真剣に向き合おう。

 そう気持ちを立て直して、なんとかお皿の上を綺麗に食べ切ったのだった。







 昼食から少ししてフリエさんに案内されたのは、背の高い植物に囲まれたガゼボだった。


 貴族の庭は左右対称に寸分の乱れなく形作られたものもあれば、自然さを売りにしたものや、とにかく珍しい植物を所狭しと並べたものなど、各家結構個性が出る。ファンセル魔公爵邸は柔らかな曲線を基調とした優美な作りで、ところどころに配置された池や噴水など、高位貴族らしい上品で優雅な美しさに思わず感嘆のため息が漏れた。


 屋敷の裏手に造られたガゼボは、身内やごく親しい客と使うことを想定されているのだろう。開放感はありつつも木々に囲まれて人目が気にならない、落ち着いた空間だった。

 昼間も寒さを感じるこの季節なのに、今日は不思議と気温が高く、少し冷たい風も心地よく感じる。

 まだアーネスト様の姿はなかったけれど、フリエさんは2人分の飲み物をテーブルに置いてここを離れてしまったので、薪ストーブのパチパチという温かい音を聞きながら、その訪れを待った。


 そしてそんなに待たないうちに、アーネスト様とマリアさんの姿が庭に見えた。けれどマリアさんはこちらまで来ることなく、アーネスト様1人がガゼボまで歩いてくる。立ち上がって迎えると、アーネストさまはなぜか興味深そうに辺りを眺めた。


「うちにこんな場所があったとはね。まったく、屋敷内にも無駄にたくさんの部屋があるというのに、わざわざこんなところを整えるなんて。君は随分とうちの使用人に気に入られているらしい」


 その言葉に首を傾げた。


「アーネスト様は、こちらに来られたことはなかったのですか?」

「ああ。僕の屋敷に来るのなんて殿下くらいだしね、わざわざ庭に出ようと思ったことすらなかった」


 そう言ってすぐ近くに立ったアーネスト様は、じっと私の顔を見つめた。そして揶揄うような笑みを顔に浮かべると、私の頬に手を添える。


「こんなところに2人きりにして、あの者たちは一体何を期待しているんだろうね?」


 近くで輝くガーネットの双眸。頬に添えられた手が滑り、親指ですっと唇をなぞられた。色気を含んだ眼差しに、一瞬で頬が熱くなってしまう。


「……っ」


 真っ赤になってしまったであろう私を見て、アーネスト様はくっと笑い声をたてた。目を合わせていられず視線を落としたが、どきどきと早鐘を打つ心臓の音がアーネスト様に聞こえてしまうのではないかと心配になる。

 そんな私に、アーネスト様は囁くように言葉を続けた。


「君はよっぽど僕を美化していると見える。昨日言ったように、ただ殿下への嫌がらせの駒にされただけだというのに」


 そして私の肩に手を置くと、力を込めて椅子へと座らせた。なんとなく感じた不穏な空気に恐る恐るアーネスト様を見上げ……、すぅっと浮ついていた気持ちが冷めていく。


 視線の先、口元に酷薄な笑みを浮かべてこちらを見下ろす赤の双眸には、もう揶揄いの色などどこにもなかった。


「なんとも愚かなことだ」


 冷たく突き放すような口調。ずきりと胸が痛んだ。ほんのりと胸に抱いていた分不相応な期待が、虚しく崩れ去る音がする。

 思わず俯きそうになったけれど、再び頬に添えられたアーネスト様の手がそれを許さなかった。ぐっと覆い被さるように近づいた顔に息を呑む。


「本当に僕の妻になる選択肢を選ぼうとするなんてね。血濡れの魔公爵が、ただの比喩だとでも思っているのかい?」

「……え?」


 驚いて見つめた先。爛々と輝く赤の双眸。その美しい顔が、嘲りに歪んだ。


「あれは父の腕を切り飛ばし、周囲を血に染めた僕を恐れ忌避してのものだよ、セリーナ。君の思う素晴らしいお方とやらは、そんな残虐な過去を持つのかな?」


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