18:常識の違い
「おはようございます」
「……ああ、おはよう」
朝の支度をして食堂へ行くと、アーネスト様が昨日の朝よりも気だるげに座っていた。新聞も開いていない。
「二日酔い、ですか?」
「……それほどでもない。少し頭が痛い気がするだけだ」
それは二日酔いというものではないのだろうか。謎の見栄を張るアーネスト様を、少し可愛いと思ってしまう。
それはともかく、今日もお仕事なのだろうか。私はアーネスト様の仕事すらよく分かっていない。体調がよろしくないならお休みして欲しいけれど、魔術師の仕事がどのようなものか分かっていないのに口を出すのも憚られる。
「その、今日もお仕事ですか?」
悶々としたあげく、とりあえず仕事の有無だけでもと思い聞いてみる。するとアーネスト様はいや、と気だるげに返事をしてくれた。
「今日はもともと休みだ。そうでなければ、さすがにあそこまで飲まない」
「なら、よかったです」
ほっと胸を撫で下ろす。すると、赤の双眸が少しだけ細まって私を見た。
「なんだい? 僕に何かして欲しいことでも?」
「え? いえ。体調がよろしくないようでしたので、お休みできれば良いのにと……」
「心配されるほどのことでもないさ。きっと昼前には回復してる」
「では、それまではしっかりお身体を休めてくださいね」
「……ああ」
そんな会話をしていると、しばらくして朝食が運ばれて来た。ポタージュとふんわり柔らかそうなパン、果物。
アーネスト様が仕方なさそうにポタージュに手をつけたのを見て、私も食べ始める。ポタージュはあっさり目の味付けで、きっとアーネスト様の体調を考慮しての料理なんだろうなとほっこりした。
脱・棒切れを目指す身の上なので、パンも一つ手に取る。今日はイチゴのジャムをつけてみたが、大きめに果肉を残し甘さ控えめに仕上げてあって、とても美味しかった。
アーネスト様はパンこそ手に取らなかったが、ポタージュと果物はきちんと完食して、食後に恐らくエーゼルさんの判断でミルクを多めに入れられたであろうコーヒーを少し不服そうに口にしている。
その穏やかな空気に幸せを感じてのんびりしていると、足元でにゃんと甘えた声がした。
「ノワ」
近づいて来た黒猫の頭を撫でる。昨日はアーネスト様の帰宅を知らせてくれてありがとう。
ひとしきり撫でられると満足したのか、私から離れてノワはまたアーネスト様の足元に戻った。猫たちはアーネスト様について歩くが、部屋には入れてもらえないらしい。だから食事の時間が一番長くアーネスト様といられる時間なのだろう。それは私も同じだけれど。
猫たちに仲間意識を感じていると、やがてアーネスト様が席を立った。
「部屋に戻る」
「はい。ゆっくり休んでください」
立ち上がって見送ると、猫たちはアーネスト様について歩いて行った。少し羨ましく思うが、さすがに部屋の前まで私がついていくと鬱陶しいだろうと思い我慢する。
本当は休みの日に話し合う時間をもらいたかったが、今日は何より身体を休めて欲しい。とりあえずマリアさん達に魔公爵の妻の仕事を聞いてみようかと思いながら、私も部屋へと戻ったのだった。
「魔爵家の妻の役割でございますか?」
腹ごなしに部屋をうろうろしていると都合よくマリアさんが来てくれたので、気になっていたことを聞いてみた。
「はい。地爵家では領地経営の補佐と社交に重きを置かれていましたが、魔爵家ではどうなのでしょうか」
「そうですね。魔爵家にも色々ございますが、当家は魔物から国を守ることを役目としております。魔術師として研鑽を積まれた方であれば、結婚後も廃域討伐や警戒区域の対応に携わる方もおられます。ですが妊娠を機に一線を退かれる方も多く、その場合は屋敷の管理や子への魔術指導が主だった役割でしょうか」
「子への魔術指導ですか?」
地爵家では家庭教師や親から最低限の魔力コントロールを教わるだけ、というよりもむしろ、魔力は暴走させないよう押さえ込んでおくべきものと教え込まれる。
魔術は魔爵家に依頼するものというのが常識だ。下手に魔術を学んで魔爵家に睨まれては堪らないと、それに手を出す家は少ない。
魔爵家の集まる王都から離れた土地だと尚更、魔術的事故を起こした際の対応が難しくて、特に子どもは死亡リスクが高い。その割に領地経営にはそこまで役立たないため、嫌厭されがちなのだ。たまに魔力が多すぎて暴走の心配がある子が生まれた場合、魔術師に師事させることがあるくらいだろう。
「魔術は感覚的な面が大きく実践で身につけるものなので、早くから学び始めることを推奨されます。生まれた子の持つ適性に応じて、夫婦主導で指導にあたることが多いのです。優秀な魔術師の育成は重要視される点ですし、一般教養はともかく、魔術に関しての教育は各家で行うことが多いのです」
いきなり妻として力不足な点が明らかになって、心が折れそうになる。いや、今から魔術を学ぶという手段もあるかもしれない。寝る間も惜しんで練習すれば、少しは使えるようになったりしないだろうか。
「魔爵家同士での婚姻が主なのは、魔術指導が必要だからなのですね……」
「各家ごとに得意とする系統もございます。両親共に持つ適性は子に受け継がれやすいと言われているので、同系統の家との縁組が多いのです。ただ家格にはそこまで拘りは無く、例えば地男爵の出身でもその能力が突出していれば、高位の魔爵家に嫁いでくる例も過去にございました」
微妙なフォローをもらったが、別段突出した能力などない私の心は打ちひしがれだままだ。
「あの、魔術を扱うというのはやはり相当な訓練が必要なのでしょうか?」
「セリーナ様は今までどの程度学ばれたのですか?」
「魔力を暴走させないためのコントロールは学びました。魔術が必要であれば魔爵家に依頼するのが普通なので、むしろ暴走させないよう抑える訓練が主なのです。魔術と呼んでいいくらいまでを学ぶ人は、地爵家では少ないと思います」
「まぁ、そうなのですか……」
お互いの常識の違いが浮き彫りになって、少し会話が止まった。マリアさんのような魔公爵家の使用人ともなると、地爵家との交流などほぼないだろう。思った以上に私が魔術と関わりを持たないことに気がついて、驚いているようだ。
「では、セリーナ様はほとんど魔術をお使いになられたことはないのですか?」
「最後に使ったのは、背中の火傷を負った時です。従姉妹が魔力を暴走させて具現化してしまった炎を、相殺しようと……。それも咄嗟に魔力をぶつけただけなので、なにか術と呼べるようなものでもないのですが」
「ちなみにどの適性をお待ちなのですか?」
「火と雷です。日常に役立つ系統でもないので、抑える必要はあれど使う機会も学ぶメリットもなく、といった感じです」
「なるほど、地爵家では持て余す系統かもしれませんね」
マリアさんと少し話すだけで、魔爵家と地爵家の常識の違いに気がつき途方に暮れる。どの家が何を得意とするかや、魔術師の中で誰が優秀なのかなど表面的な情報は常識として持っていても、それ以上を知る機会はなかった。
あまり両者の間で婚姻関係が結ばれないことも納得だ。住む世界が違う。
「ですが、そうですか。セリーナ様は火の適性をお持ちなのですか」
妻の見込みなしと見放されたかもしれない。そんな暗い気分になったが、私の予想に反してマリアさんは安心したような声を出した。
「はい、一応」
なぜ火の適性に関心を持たれたのだろう。そう疑問に思いながら言葉を返したが、ふいにその理由に思い当たった。
炎の大魔術師を輩出したことで有名なファンセル魔公爵家は、火系統魔術師の頂点とも言える家系だ。
いや、家系だった。
現当主のアーネスト様は7系統の適性を持ち、潤沢な魔力に恵まれた天才だ。つい先月も、他の魔術師達が苦戦していた龍を容易く討伐したことで、祝賀会を催されたほど。
そのアーネスト様が唯一持たない適性。
皮肉なことに、それが「火」だったのだ。