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12:本当の

 翌日。

 また朝早くに目覚めた私は、すっかり元気、とまでは言えずともかなり調子が戻っていた。昨日ほとんど寝て過ごしたのが良かったのかもしれない。

 少しして様子を見にきてくれた使用人さんに、元気になったとアピールして朝食の席へ向かうことにする。さほど空腹感を感じているわけではないけれど、アーネスト様にとても会いたくなったのだ。


 そして食堂に向かうと、昨日同様新聞を広げていたアーネスト様は、姿を現した私を見て微かに目を見開いた。


「おはようございます」

「ああ、もう身体はいいのかい?」

「はい。昨日は本当にありがとうございました。おかげさまでだいぶ調子が良くなりました」

「そうか」


 アーネスト様は言葉少なにすぐ新聞に目を戻してしまったけれど、一言気にかける言葉をもらっただけで顔がほころぶ。これだけでこの場に出てきた甲斐があるというものだ。

 麗しの魔公爵様を眺めて密かに喜んでいると、間もなく朝食が運ばれてきた。


 私の前には体調を考慮してか柔らかく煮込まれたスープと果物、アーネスト様は昨日と同じくらいの成人男性としては少なめのワンプレートが供されて、アーネスト様が仕方なさそうに手をつけたのを見て私も食べ始める。あっさり目に仕上げられたスープは食べやすくて、たまにアーネスト様のさりげなく監視する視線が来ることも手伝ってなんとか完食できた。


 そして昨日と同じように黒猫に構っている間にアーネスト様は部屋へと戻られたので、慌てないよう早めにエントランスへと向かった。一緒についてきた黒猫と使用人の皆さんと一緒に待っていると、間もなくアーネスト様が二階から降りてきたので、軽く頭を下げる。


「いってらっしゃいませ」

「……ああ。君は大人しくしているように」


 無事お見送りに参加できて内心満足していると、ふいにアーネスト様に声をかけられた。


「いってくる」


 けれど驚いて視線を向けた瞬間には、幻のようにその姿は消えてしまっていた。









「本職の皆さんに比べれば拙いものとは思いますが、掃除、裁縫、野菜の皮剥きなどの仕事はできます。あと、15歳までは伯爵家の娘として教育も受けていたので、読み書き計算も可能です」


 どうしても暇ならマリアに頼めばいい。あれが屋敷内の仕事を管理しているからね。


 先日アーネスト様が言ってくれた言葉を胸に、私は今マリアさんに仕事を振ってもらえないか交渉中だ。妻に使用人の仕事をさせるのは外聞が悪いとはいえ、屋敷内の仕事であれば外からは分からないし、何か手伝わせてもらいたい。

 体調が万全になったらすぐ働けるようにとこうして事前にお願いしているのだが、マリアさんの興味は別のところに引っかかったようだった。


「セリーナ様はあのサバスティ伯爵家のご令嬢でいらしたのですね。新聞で拝見して驚きました」

「新聞?」

「祝賀会の模様が、少し掲載されておりましたので」


 その言葉で、どんな記事になっていたのかと空恐ろしくなると同時に、マリアさんに自分のことを何も話していないことに気がついた。


「記事の内容は気になりますが、確かに私はサバスティ伯爵家の者でした。先代当主の娘で、現当主の姪に当たります」

「まぁ、ではあの……」


 マリアさんの茶色の目が驚きに見開かれた。

 この反応はおそらく、4年前の不幸な事故が記憶にあるのだろう。


 魔物に支配された地域は廃域と呼ばれ、そこから人間の住む場所へと魔物が侵入しようとすることは度々ある。しかし廃域に接する地域はそれに備えて軍が常駐しているし魔術師も交代で待機しているので、廃域から距離のあるサバスティ伯爵領付近に突然魔物が現れるなんて可能性は、とても低かったはずなのだ。


 しかし飛行能力のある魔物が警戒の目を掻い潜って侵入し、たまたま兄の縁談のために馬車で移動中だった家族を襲った。魔爵位ではない貴族が魔物に殺されるなどほとんどないことだったので、その不幸な事故に人々は大いに騒ぎ、連日新聞にも記事が出ていたらしいので、記憶に残る人も多いのだろう。


「両親を亡くし、爵位を継いだ叔父夫妻に引き取られましたが……折り合いが悪くて。先日の夜会で場を騒がせた罪を被せられそうになったところを、アーネスト様に助けていただいたのです」

「それは大変な思いをなさいましたね」

「ですが、その場で叔父に絶縁を宣言されてしまいましたし、私の今の身分は平民と変わりません。本当に身一つでこちらに来てしまいました。だからこそ働いて、少しでも救っていただいたご恩をお返ししたいのです」


 必死の思いでマリアさんを見つめる。ただここでお世話をされるだけいうのも申し訳ない。妻にするというアーネスト様の言葉がどこまで本気なのかもまだ分からないのだ。ただアーネスト様の言葉一つで、私はこれ程の厚遇を受けさせてもらっている。


 けれどマリアさんも私にどんな仕事を振ったらいいのか頭を悩ませている様子で、これはこれで面倒をかけていて居た堪れない。


「そう、ですね……。アーネスト様は、セリーナ様を妻にすると王子殿下の前で宣言されたと仰っていましたが……」

「はい。殿下のみでなく、祝賀会の参加者は皆その宣言を聞いてしまったと思います。なので少なくとも発言を撤回されるまでは、屋敷内の目につかない仕事の方が良いかと思います」


 そもそもなぜアーネスト様は、使用人として連れていくではなく妻として連れていくと言ってしまったのだろうか。もしかして本気で王子殿下の結婚催促が煩わしかったのだろうか。


「その、王子殿下はなぜアーネスト様の結婚を気にされているのでしょう。まだ結婚を急ぐにはお若いと思うのですが……」

「アーネスト様は生まれて間もなくお母様を亡くしておいでなのです。そして若くして爵位を引き継ぎ、若さゆえに侮る周囲と対等に渡り合うために、あのように振る舞っておられます。今やあの方を侮る者は少ないですが、同時に敵も多く、心を許せる人は少ないのでしょう。それを王子殿下は従兄弟として案じておいでなのです」


 そう言われて、ファンセル魔公爵家には王妃陛下の姉君が嫁がれていたと学んだ記憶が、今更蘇ってきた。

 そして祝賀会での王子殿下とアーネスト様のやりとりが頭をよぎる。あの時も確かに、殿下はアーネスト様を案じる言葉をかけられていた。


「この数ヶ月ほど、王子殿下がアーネスト様に色々と縁談を持って来られたり、先のような会を開かれたりといったことが続いておりました。アーネスト様はそれを負担に感じておられたので、セリーナ様の件は双方共に都合が良かったのかもしれません」

「そう、なのでしょうか。ですがアーネスト様が今後をどのようにお考えなのかもよく分かりませんし、このまま私のような何も持たない者を妻に据えるとも、考え難い気がします」


 いくらアーネスト様が優しいとはいえ、祝賀会で不幸な目にあっていたというだけの見知らぬ女を妻にしようとは思わないのではないだろうか。

 そんな当たり前のことを考えると、なぜか胸が苦しい。それはきっと、思いがけず与えられた今の幸せがとても嬉しいから。


「セリーナ様は、アーネスト様と本当の夫婦になりたいとは思われませんか?」

「ほっ、本当の夫婦……?」


 不意にマリアさんにそう問われて、驚くとともに反射的に顔が赤くなってしまった。祝賀会の時と今では、アーネスト様の印象も向ける感情もまるで真逆だ。けれど素敵な人だと気がついたからこそ、自分みたいな人間が近寄っていいのかと尻込みしてしまう。


「アーネスト様は、とても素敵なお方です。それに対して私は何も持たず、魔爵家の出でもありません。とても……釣り合いがとれません」

「確かに系統の近い魔爵家同士での縁談が多いですが、血が濃くなり過ぎるのを防ぐために広く伴侶を探すこともございますよ。それに王子殿下はもともと、血筋よりはアーネスト様を理解し寄り添ってくれる女性を探しておいででした」

「それ、は……」

「現状のファンセル魔公爵家の妻として求められるのは、貴族の血を待つこととアーネスト様に寄り添える方であるという2点です。それ以外の条件は、アーネスト様のお心次第でございます」


 マリアさんは私に優しいけれど、あくまでアーネスト様に仕える人だ。語弊のある表現かもしれないが、私の味方にはならない。

 そんなマリアさんが、非常にぼかした表現ではあるけれど、私にこの先を期待させるような言葉を口にしたことに驚きを感じた。そしてそれを嬉しく思っている自分の心にも気がつく。


 アーネスト様と一緒の席でとる食事は、会話が弾むわけではないけれど幸せを感じるし、昨日手ずから世話をしてもらったことも信じられないほどに嬉しかった。もし使用人になれば、あんな風に一緒に食事をしたり会話をしたりなんてことは望めなくなる。それは、すごく寂しい。


 けれどやはり、私みたいな何もない女がアーネスト様の隣に立つことには引け目を感じる。子を産むことすら、この不健康な身体だ。適しているとは言えない。


「私自身もまだ、どうしたいのか、どうしたら良いのか分からないのです。でもどういった道を歩むにせよ、アーネスト様にかけていただいた優しさに報いたいと思っています」


 それは妻としてかもしれない。使用人としてかもしれない。もしくはそれ以外の立場になることもあるだろう。でもできれば、アーネスト様の近くで受けた恩をお返ししたいと思うのだ。

 自分にとっても、この優しいお屋敷にいられたらどんなに幸せだろう。


「なので……」


 手始めに仕事をくださいませんか。そう言いかけた時だった。


「エーゼル! マリア!」


 急に出かけたはずのアーネスト様の声が響いた。まだ帰宅には程遠い時間のはずなのに。

 何かあったのかと思わずマリアさんと顔を見合わせたが。


「セリーナ!」

「はいっ、ただ今!」


 急に名前を呼ばれて、条件反射で返事をしてパッとそちらへ駆け出した。


 遅れると罰せられるっ。

 というのは叔父一家にいた時の思考で、全力で走っていくのはここでは適さない行動だったと思い至ったのは、駆け寄ってくる私をエントランスホールで迎えたアーネスト様の、なんとも言えない表情を見た時だった。

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