11:手のかかる生き物
一旦部屋に戻り、マリアさんの手が空いたらお仕事をもらえないか交渉しようと意気込んでいた私だったけれど、少しするとお腹がいっぱいになったためか急に眠気が襲ってきた。
ソファでうつらうつらしているうちに、知らぬ間に寝入っていたらしい。名前を呼ばれて目を開けると、なぜか心配した顔のマリアさんがいた。
「すみません、眠ってしまっていたようで……」
「いいえ。それより体調がよろしくないのではないですか? ここではなくベッドでお休みになった方がよろしいでしょう。医者も手配して参りますね」
そう言われて、体がひどくだるいことに気がついた。それになんだか熱っぽい。
朝目覚めた時は調子がいいと思っていたのに、どうしたのだろう。久々に食事も休養も十分に取らせてもらえたというのに、なんだか申し訳なく感じる。
「ごめんなさい。少し休めば治ると思いますので、医者は大丈夫です。大人しくしていますので私のことは気にしないでください」
「お熱があるようですが、どこか痛かったり気持ち悪かったりはございませんか?」
「いえ。少しだるさを感じるだけなので、大したことはないと思います」
「左様でございますか。とりあえず寝やすいように着替えて、ベッドへ参りましょう。少しお待ちくださいませ」
そう言うとマリアさんは部屋を出て、すぐに他の使用人さん達を連れて戻ってきた。そしてあっという間に着替えさせられて、ベッドへと誘導される。
「ありがとうございます」
「ゆっくりお休みくださいね。少ししたらお昼の時間になりますので、その頃にはまた伺います」
マリアさんの優しい笑顔に頷いて目を閉じる。さっきまでも眠っていたのにすぐに眠気が訪れて、あっという間に意識を手放してしまった。
そして再び意識が戻ったのは、お昼を少し過ぎた頃。マリアさんに揺り起こされて目を開けると、間もなく医者が部屋へと通された。
「栄養不足と疲労の蓄積で身体が弱っておいでです。しっかり栄養と休息をとってください」
医者は結構高いので遠慮したかったのだけれど、結局呼んでくれていたらしい。確かに移るような病気だと困るし、こうして診察を受けて安心できたので良かったようにも思う。
「ではお大事になさってください」
「ありがとうございました」
さほど時間もかからず、医者はあっさりと帰っていった。食事と休息が何よりの薬ですと言われて処方もされなかったけれど、変に高いものを勧められても困るので少しホッとした。ホッとしたら、また眠気が戻ってくる。
「セリーナ様、少しでもお昼を召し上がりませんか? すぐこちらにお持ちしますので」
マリアさんに心配そうに声をかけられるけれど、朝お腹いっぱい食べた後寝てばかりなこともあって、全く食欲がない。
「あまり食欲がなくて……」
そう言いながら寝そうになる私に、マリアさんがせめて飲み物だけでもと待ったをかける。そしてすぐに飲み物を取ってきて私に差し出してくれた。
見ると果実を絞ったもののようで、少しでも栄養を取れるようにと気遣ってもらえていることが嬉しい。
「ありがとうございます」
受け取って口にすると、喉が渇いていたことに気がついてスルスルと喉を通る。少しお水ももらって、ほっと一息つく。
するとまた瞼が重くなってきた。
「お水はサイドテーブルに置いております。何かございましたらベルでお呼びくださいね」
「はい、ありがとうございます」
いろいろ心配してもらってありがたい。この体調の変化も、ずっと1人で気を張って過ごしていたところに、こうして優しくしてもらって気がゆるんだからなのかもしれない。
安心して目を閉じる。優しさと心配に包まれて、体はだるいけれど心はとても穏やかだった。
そっと頭に触れられて、意識が浮上した。優しい触れ方が気持ちいい。
マリアさんかと思ってぼんやり目を開けると、目にも鮮やかな赤の瞳が視界に飛び込んできて、ふわふわしていた意識が一気に覚醒した。
「お、おかえりなさいませっ」
バッと身体を起こすと、呆れたようにため息をつかれた。
「急に動くんじゃない。まったく、気分はどうだ?」
「え、と。だいぶ良くなったように思います」
正直驚きすぎて自分の体調もよく分かっていないけれど、意識はスッキリしたように思える。どきどきしている心臓を宥めながらアーネスト様を見ると、ベッド横の椅子に腰掛けているようだった。いつからそこにいたのだろう。部屋を見渡すと、他には誰もいない。
「医者の見立てでは栄養失調と疲労の蓄積が原因だそうだが……。おそらく、光魔術も良くなかったんだろう。あれは身体に負担がかかるからね。心身ともに疲弊していた君の状態を考慮すると、あの時施すべきではなかったのかもしれない。……悪かった」
まったく予想だにしない謝罪の言葉をもらって、一瞬頭が真っ白になった。
「い、いいえ! 謝らないでください。私は治していただけて、言葉にできないほどに嬉しかったのです。アーネスト様が気に病まれる必要などまったくございませんっ。むしろ、こんな風にご迷惑をおかけしてしまった私こそ、申し訳なく思っております。それに医者まで手配していただいて、」
「ああ、分かった! 分かったから。まったく、興奮して症状を悪化させたいのか?」
必死で言い募る私を、アーネスト様が呆れたように遮った。
「それで? 君は栄養摂取が必要であるにもかかわらず昼をとらなかったそうだが、夕食を食べる気は?」
「……」
正直あまり気乗りしない。けれど正直にそう答えると叱られそうなのでそっと視線を逸らした。
はぁ、とため息が聞こえる。
「なるほど。だが、この屋敷で死人を出すなんて御免だからね」
そう言うと、アーネスト様はサイドテーブルにいつの間にか置いてあったクローシュを取り去り、中にあったお皿とスプーンを手に取った。
そしてスプーンで掬ったそれを私の口元へ運ぶ。
「食べるんだ」
「……え」
まさかの行動に唖然としていると、すっと赤の目が細まった。
「僕の言うことが聞けないと?」
「い、いただきます」
脅されて慌ててスプーンを口に含んだが、その後すぐにお皿をもらって自分で食べれば良いのではと思い至った。しかしそれを言う間も無く、すぐに次を掬って口元に持って来られる。
なんとなく抵抗できずに子どものように食べさせられていたが、ふいに懐かしさが胸に込み上げてきた。
食べさせてもらっているのは、この国の病人食でよくあるポテトのピュレだ。子どもの頃、熱が出て寝込んでいる時。今のように食事をとりたくないと我儘を言って使用人を困らせた私に、母が手ずから食べさせてくれたことがあった。
その母も、今はもうこの世にいない。二度と戻らない優しい記憶に胸が熱くなって、堪えることに失敗した涙がポロリとこぼれた。
「っ、なぜ泣く」
「すみ、ません。子どもの頃、母がこうして食べさせてくれた事を思い出して、なんだか、すごく懐かしくなってしまったのです」
ギョッとしたようにこちらを見るアーネスト様に、なんとか笑って答えた。でも昨日崩壊したばかりの涙腺からは、ポロポロと涙がこぼれてしまう。
「はぁ、妻とは本当に手のかかる生き物だな」
アーネスト様がよく分からない愚痴をこぼして、手で拭おうとする私を制してハンカチで涙を拭いてくれる。
その優しさに更に涙腺が刺激されてしまうけれど、さすがに申し訳なくて必死に涙を堪えた。
「まったく。ほら、泣き止んだなら続きを食べるんだ」
そう言って再び差し出されたスプーンを、大人しく口に含む。残りは少なかったようで、間もなくお皿は空になった。
それを確認すると、アーネスト様はさっと立ち上がる。
「さて。夫の役目とやらは終えたし、僕はこれで失礼するよ。君はきちんと休むように」
「はい、ありがとうございました。アーネスト様がきてくださってとても嬉しかったです。お手数をおかけして申し訳ございませんでした。おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ」
あっさりと去っていくアーネスト様の背中を見送りながら、幸せに胸が満たされていた。
どう扱っても文句のこない都合のいい存在のはずなのに、こんな風に面倒を見てもらえるなんて、あの祝賀会の日にはまったく想像できなかった。
そして同時に、アーネスト様ほど優しくて素敵な人が、本気で私のようなものを妻にするのかと疑問に思えてきた。もしかすると適当なところで発言を撤回して、仕事でも紹介してくれるつもりなのかもしれない。
そう思うととても寂しいし、できればここで働かせてほしい。このお屋敷はとても温かくて安心できる。アーネスト様が血濡れの魔公爵と呼ばれ恐れられているのが、心底不思議に思えてくるほどだ。
サイドテーブルに置いてあった水差しから少しお水を飲んで、再びベッドへ潜り込む。優しさに包まれて安心して眠れる幸せが、心も体も癒してくれるようだった。