3、男のお礼
アイリーンは村の近くに、一人になりたい時に来る場所があった。そこは人の通る道から少し入った場所にあって、椅子や小物を入れた箱を置いて、休憩できるように設えてあった。
アイリーンはアーサーから別れると、そこに来て椅子に座って考え事をしていた。
ちょっと冷たく接しすぎたかな。急に無口になって変に思われたかもしれない。
アーサーが何か悪いことをしたわけじゃない。
でも道案内してあげたし、今ごろ村で必要なものも手に入れただろうし、それで十分でしょ。
もう二度と会うこともないだろうし、彼も私のことなんかすぐに忘れてしまうだろう。とにかく都会の人間にはもう関わりたくないのだ。
アイリーンがそんなことを考えていると、誰かが近づいて来る気配があったので様子を見に行くと、それはアーサーだった。
アイリーンの姿を見つけると、アーサーはお礼を言った。
「先ほどはありがとうございました」
しかし、アイリーンはあまり歓迎していないような表情だった。
「どうして私がここにいるってわかったの?」
「村の人にアイリーンさんの場所を聞いたらここじゃないかと」
「村の人が?」
「はい」
アイリーンはため息をついた。
「ここは私以外知らない秘密の場所だと思っていたんだけど。まあ、そんなわけないか。あんな小さな村で秘密にしておけることなんて一つもないもんね」
「来ちゃまずかったですか?」
アーサーは気まずそうな表情で言った。
「いえ。私は一人になりたいときに、ここに来るんだけど、あなたはそんなこと知らないものね。仕方がないわ。それでここに何しに来たの?」
「ええと、先ほど助けてもらったお礼をしたくて」
「私、さっきいらないって言ったわよね」
「それはそうなんですが」
アイリーンはアーサーが諦めて帰ってくれることを期待したが。アーサーはしかし、引き下がる様子がなかった。アイリーンは渋々アーサーの言うことを聞くことにした。
「わかったわ。でもちょっと場所を変えましょう。ここにあまり他人を入れたくないの」
アイリーンはアーサーを連れて、海が見える小さな丘にやってきた。
エドガーから小石をもらった時にいた場所だ。
アイリーンにとって嫌な記憶のある場所だが、それはあえてだった。
都会から来たこの男を決して信用しない、その気持ちを忘れないようにするためだ。
「アイリーンさんは私が嫌いですか?」
アーサーはじっとアイリーンの目を見て尋ねた。
「別にあなたが嫌いというわけじゃない。ただ、私、都会の人苦手なの」
「そうですか。何か、嫌な思いをしたことがあるのでしょうか」
「ええ、まあ。でもあなたには関係のないことでしょ」
「はい。そうですね。すみません、立ち入ったことを聞いて」
アイリーンは、そのアーサーの言葉にイラッとした。素直に引き下がって、アイリーンの聞かれたくないことを聞かないようにする、そのスマートさが都会的な人柄を感じさせた。ノーム村の住民なら何か無神経なことをいうところだ。
わかっている。自分がひねくれているだけで、アーサーは私のことを気づかってくれているのだ。悪いのは私だ。
「でもよかった。僕が何かしたわけじゃなかったんだ」とアーサーは独り言のように言った。
アイリーンとアーサは丘の上に並んで座った。
まるで、エドガーと二人で話している時みたいな構図。ああ嫌な思い出が蘇ってくるな。でもそうさせているのは私自身なのだ。アイリーンは自分のしていることが馬鹿みたいで、くすっと笑ってしまった。
アーサーは唐突に笑ったアイリーンにびっくりして目を丸くした。
「ごめんなさい。ちょっと思い出したことがあって」
「そうですか」
アーサーは納得したようで、ほほ笑んでそう言った。
その笑顔は眩しいほどに爽やかで、見るものの心を引きつける魅力があった。
アーサーは改めてその容姿を見ると、優しげで儚げな美男子といった風貌だった。それに、シトラス系の涼しげな香りが、アーサーの方からは漂ってきた。なにか香水でもつけているのだろうか。
「王都での暮らしは長いの?」
「はい、生まれてからずっと王都です」
アーサーは申し訳なさそうに言った。アイリーンが都会の人間が苦手だと言ったからだろう。
アイリーンは正直に言うと、アーサーはエドガーとは比べものにならないほどの魅力を持った男性だと思った。都会暮らしが長ければ長いほどにこういう風に、きらきらしていくのだろうか。
多分、王都にはアーサーのことを慕う女性がたくさんいるのだろうな。それとも王都にはアーサーみたいな人間がうじゃうじゃいるのだろうか。
そして私みたいな田舎者が、都会に行ったらそういう男に騙されて酷い目に遭わされるに違いない。
アイリーンは、アーサーみたいな男と付き合う自分の姿を想像してみた。言われるままに、稼いだお金を貢いで感謝されるが、ある日、自分より綺麗な女性を連れてきて、別れを告げられる。私、本命じゃなかったんだ。そして、お金も時間も無駄にした私は一人でとぼとぼ田舎に帰ってくる。
そんなふうになるに決まってる。ああ、都会って怖い。絶対に心を許しちゃダメだ。
「あのアイリーンさん?」
アイリーンはアーサーの声で我に返った。
「ごめんなさい、ちょっと考え事を」
「あのこれ、お礼がしたくて、これを受けとってもらえないでしょうか」
アーサーがとり出したのは、エメラルドグリーンの宝石がちりばめられた首飾りだった。
アイリーンは、エドガーに小石をもらった時のことを思い出した。同じシチュエーションだ。しかし、今度は本当の宝石。
「いらないわ」
アイリーンはきっぱりとそう言った。
「お気に召さないでしょうか」
アーサーは少し気落ちした様子で言った。
アイリーンは首を振った。
「いいえ。とっても綺麗な首飾りだと思う。でも、私にはもったいない」
エドガーから青い小石をもらったのは、アイリーンにとっては失敗だった。もしもらわなかったら、あんな思いをしなくてよかったのだ。その反省を生かす機会が来たのだ。
しかしアーサーはアイリーンのそんな考えなど知るはずはない。
「そんなことないですよ。絶対似合いますよ」
アーサーは曇りのない表情でそう言った。
アイリーンは心の中で、喜んじゃだめ、と自分に言い聞かせ。仏頂面を維持しようとつとめた。
アイリーンは首を振った。それをもらう訳にはいかないのだ。
「もしこの首飾りが気に入らないというのなら、売ってもらってもいいんですよ」
「売ってもいい?」
アイリーンが興味を示したような顔でそう聞き返したので、やっと糸口が見えたというようにアーサーの表情が明るくなった。
「はい、それなりの値段にはなると思います」
「でも、これきっと高価なものよ。私、そんな大したことしてないのに」
「あなたが思ったよりも、多分遥かに、僕はあなたに感謝しているのですよ。あの時、僕は本当に困っていたんです。それと、僕はこの首飾りの価値がわかりません。家の倉庫にずっと眠っていたものですから。他に今の僕の手持ちで、お礼になるようなものはもっていませんし、これをどうかもらってくださいませんか」
アイリーンの目には宝物のように貴重なものに見えたが、都会の人はこれくらいのものありふれたものなのかもしれない。それに売っていい、という言葉が気を楽にさせた。特別な贈り物という荷の重さもお金にしてしまえば消えるだろう。アイリーンはそれをもらっても良い気がしてきた。
「わかったわ。私が受け取るまであなた諦めなさそうだし」
そう言って、その首飾りを受け取った。想像よりずっしりとした重量がその価値を表しているようだった。
アーサーは笑顔で、
「よかった。ふさわしい人に受け取って頂けて。私が持っていても、しょうがないものですから」
「ふさわしいって、いつもそういうことを女性に言っているの?」とアイリーンが不服そうに言うと、
アーサーは首をかしげた。
「すみません。何か気分を害するようなことをいいましたか。僕は女性の気持ちがわからないので。いつも変なことを言ってしまっているかもしれません」
そう言って、アーサーは頭を下げた。
「待って、別に怒っているわけじゃ」
もしかしたら、王都にはアーサーのあざとさの被害にあっている人がいるのかもしれない。そう思うと、少し笑えた。
まあ私はアーサーのことなんかなんとも思っていないけど。
「それでは、私はお暇しますね。僕の顔なんかもう見たくないでしょうし」
「いや、そんな」
アーサーは、そう言うと立ち去った。
後ろ姿を見送るまでもなく、アーサーの姿はもう見えなくなった。その場にかすかなシトラスの香りでも残っているかと思ったが、ただ草原の匂いがするだけだった。
そんな急いで立ち去る必要ないのに。別に寂しいとか、そういうのじゃないけど。
自分の用が終わったら立ち去るとか失礼、そう失礼じゃないか。
決して、もうちょっと喋りたかったとかじゃない。
アイリーンは、例の自分だけの場所に戻って、そこに置いてある小箱から鏡をとり出して椅子の上に置いた。
それからアーサーからもらった首飾りを身に付けてみた。
鏡で自分の姿を映して、髪形を整えながら、アイリーンはそれを眺めた。
結構いいかも。
大ぶりな宝石がたくさんついた首飾り。こうしてみると、信じられくらい豪華な装飾品だ。
まるで女王様にでもなったみたい。
「絶対似合いますよ」
そう言うアーサーの言葉を思い出すと、アイリーンは我に返ったように、その首飾りを取り外し、
「売ったらどれくらいするかな」とわざとらしく呟いてみた。
「でも今はとりあえずしまっておこう。どこがいいかな」
アイリーンは村の人に見つかると、ややことしいことになると思って、誰にも見つからない場所を考えて首飾りを隠しておくことにした。
アイリーンが村に戻ると、アーサーはもう村を立ち去ったということだった。
アーサーはこの村を立ち去る直前に、アイリーンのところに来たようだった。
一泊ぐらいしていけば良いのに、と一瞬思ったけど、打ち消すようにアイリーンは首を振った。
多分、もう二度と会うことはないだろう。こんな辺境に王都の人が用なんてあるわけない。たまたま森の中で迷ったから起きた偶然にすぎないのだ。
だからもう忘れよう。今回は裏切られるような約束もしていないんだし。そう思うと、今回はうまくやったんだというほっとしたような気持ちが湧いた。