一話
毎朝の日課、早朝四時起きのランニング。
体を動かして眠気を飛ばし、新鮮な空気で体の中を浄化して、今日という日の訪れに感謝する。
赤、オレンジ、紫に青……新しい一日を告げる彩り豊かな明け方の空が好きだ。
朝露に濡れた草木の独特な甘い香りが好きだ。
一日の始まりの、一番綺麗で冷たい空気で息をするのが好きだ。
額の汗をジャージの袖で拭い、いつものコースの折り返し地点で手を膝につき息を整え、もう半分を走り出す。
家に着く頃には空は既に薄い青に染まっていて、道路にはまばらながら人や車が行き来をし始める。玄関の扉を開けると、そこにはにこりと微笑む一人の少女が待っていた。
腰まで伸ばした赤髪に燃えるような真紅の瞳、シルクのように滑らかな白い肌に、悠久の昔から先祖代々魔力を練り上げ続け意思そのものが物質化した特級アーティファクト《死と踊る斬魂剣・エルグレコ》が輝く。
「お兄ちゃん、おかえりなさい!」
「ただいま、紗雪」
僕は紗雪の頭をそっと撫でると、彼女は嬉しそうに口端を上げる。
「朝ご飯作っておいたよ! 一緒に食べよ!」
彼女に手を引っ張られ食卓へと向かうと、そこにはお湯の入れられたカップ麺が用意されていた。
「これ、紗雪が作ったのか!?」
「えへへ……うん。お兄ちゃん喜んでくれるかなって……」
「えらいぞ紗雪……!」
俺は椅子に座ると、カップ麺の蓋を開けた。美味しそうなインスタントの香りが鼻腔をくすぐり、明らかに三分以上はお湯を吸ったであろうふやけた麺が食欲を加速させる。俺はカップ麺の容器を鷲掴みにし、それを一息に傾けた。
ごくり、ごくり……と喉を鳴らしカップ麺を飲み干すと、俺は朝食を終えた。
「お兄ちゃん、もう学校に行かないと遅刻しちゃう!」
「もうそんな時間か! 急ぐぞ、紗雪!」
俺は鞄を持って紗雪と一緒に家を出た。
「死ね! 両親の仇!!」
刹那、二つの刃が火花を散らした。
咄嗟に鞘から引き抜いたエルグレコで敵の剣を受け止めた俺は、そのまま敵の剣を弾いて間合いを取る。
「誰だお前……一体俺に何の恨みがあってこんなことを……」
「恨みもクソもあるものかッ! この顔に見覚えがあるだろう!? これは私の家族の写真だ!!」
「ああ、五年前に焼き払ったクソ田舎の生き残りだな? まさかこんなところで出会うことになるとはな……」
俺は敵の顔を見てフッと笑った。
「もう少し強火で焼くべきだったかな?」
「舐めやがって……!!」
瞬間、巨大な足が彼を踏み潰した。
べしゃり、と血飛沫が俺の足にかかり、紗雪が小さな悲鳴を上げる。
「あ、ごめんなさい。巨人です。間違えて踏みました」
「気にしないでください。大丈夫です」
巨人はそのまま向こうのほうへと歩いていった。
「お兄ちゃん大丈夫……?」
「ああ、ちょっと服が汚れちゃったけど」
「うおおぉおおおおん!!!! お兄ちゃんのズボンが汚れちゃったょおおおおおおおおおお!!!!!!」
俺と紗雪は学校に着くと、学園長の銅像の前でにこりと微笑んだ。
「親愛なる学長陛下! 本日もお日柄がよろしいようで!」
「我らが誇り高き民族の住まう歴史ある広大なる大地に降り注ぐ暖かな陽光のように我が学園の栄光が永久の未来まで続かんことを切に願う!!」
俺たちは教室に入り、にこりと微笑んだ。
「転校生を紹介する!!」
担任のその言葉に俺は眉を顰めた。
「おいおい! 転校生だってよ!!」
「マジ!? ありえねえ!!」
「イジメ倒して不登校にさせてやろうぜ!!」
という言葉が脳裏を過ぎる。
しかし、以外にもそうはならなかった、
「本日からこのクラスで皆さんと一緒にお勉強をさせて頂くことになります、越谷ヒナと申します。どうぞよろしくお願い致します」
「越谷の席は……奴の隣が開いてるな!」
「奴……?」
ヒナは担任の言葉に眉根を寄せた。
「奴……とはどなたのことでしょうか……? 仮にもあなたは教員なのですから、生徒のことは名前で呼んだほうがよろしいのでは……」
「奴は名前を捨てたんだ。奴が気にくわないならアイツと呼ぶしかない」
「そんな……」
俺は中指を立てて言った。
「気にしてねえよ。他人の心配してる暇があるなら自分の心配をしな、お嬢ちゃん」
「それはどういう意味でしょうか……?」
「周りを見な」
ヒナはクラスメイト全員が自分のことを凝視していることに気付き、小さな悲鳴を上げた。
「ひっ! み、みなさんなぜそのような目で私を見ているのですか……!?」
ヒナの問いには誰も答えない。
ただ、口々に思ったことが口から漏れ聞こえてくるだけだ。
「越谷ヒナ……身長およそ160センチ、体重はおそらく55キロ程度……」
「よく手入れの行き届いた髪だ……まるで生糸のような輝きを放っている……」
「性格は几帳面……? しかし自覚はないようだ……」
「家族関係は良好に見える……おそらく育ちは良いだろう……立ち居振る舞いが洗練されている……」
「華奢だが運動が出来ないというわけではない……学力は高い……」
ヒナは青ざめた顔で担任のほうを見た。
「な、なんですの!? なぜみなさん私のことをこんな……舐め回すような目で……まるで値踏みするみたいに……酷い……」
泣きそうな顔のヒナに、担任はにこりと微笑んだ。
「みんな越谷に興味があるんだよ。なあ、みんな!」
「そうだ!」
「同意する!」
「担任の言葉に激しく同意する!!」
「気持ち悪いです……」
「まあまあそう言わないでくれ。みんな越谷に害を与えるつもりはないんだ。私の生徒たちはみんな優しい子たちだよ。……一人を除いてな!」
担任は俺のほうを睨み唾を飛ばしながら叫んだ。
「ああああああッッッ!!!!!!!」
担任は俺への威嚇を済ませると、ヒナを俺の隣に座らせた。
「よ、よろしくお願いします……あの、なんてお呼びすればいいでしょうか……?」
「好きに呼べ」
「……では、太陽さんと呼んでもいいですか?」
「太陽……?」
俺の問いに、ヒナはくすりと微笑む。
「私の曾祖父の名前ですの」