クレア陥落
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「ど、どうって──」
「嬉しいとかドキドキするとかあるだろ?」
実際、クレアはこの話の最中からずっとドキドキしていた。
やっぱり口説いていたのか、とわかった時から、仲間という感覚とは違う気持ちがグッと迫り上がったのが感じられ、状況は違うが小説のヒロインのようだった。
うっ、と言葉に詰まるクレアを見たウォルトは、『やっとここまで来たか』と笑った。
「クレア、婚約式はまだだけど、俺達の婚約は王城中に知れ渡っている。今更止めたは無いからな」
「う、うん。わかってる。ねえ、ウォルトはさ、あの、えっと」
「ん?」
「あの、私のこと、好きなの、よね?」
クレアが朝まで考えていた疑問を口にすると、ウォルトは時が止まったようにクレアを凝視した。
「お前、自力で気がついたのか?」
「ん?自力で、あ、うん。自力だね」
「そうか、クレアは優秀だから、本を読むことでちゃんと学習できたのか」
まるで幼い子を褒めるように、ウォルトはクレアの頭を優しく撫でた。
「もうっ、馬鹿にして」
クレアは拗ねたようにそっぽを向いたが、言葉に反して口元は緩んでいた。
なぜだろう、嬉しい。
ウォルトがこのように子供扱いすることは今までもあった。しかし、喜びを感じたのはこれが初めてで、クレアは、もしかすると自分はウォルトに恋しているのかな、と自分の気持ちを自覚して、口元が緩みっぱなしだ。
そんなクレアの表情を戻したのは、応接室の扉のノック音と、直後に聞こえた『ライアです。入ってもよろしいですか?』という妹の声だった。
別に何をしていたわけでもないが、クレアは居住まいを正し、『どうぞ』と答える。
静かに開いた扉から、ライアがニコニコとした笑顔で入ってくる。
「はじめまして。クレアの妹のライアでございます。将来のお義兄様へご挨拶に参りました」
ライアが王室仕込みの美しいカーテシーをする。
とても機嫌が良さそうだ。
「それはわざわざありがとうございます。ライア嬢は王太子妃教育のために王城にいらっしゃると伺っていました」
「はい、そうなんですが、姉が戻りましたので久しぶりに家族水入らずを、と王妃様から帰宅の許可をいただきました」
「いつまでいらっしゃるのですか」
「それが、残念ながら明日には帰るのです。せっかくウォルト様と仲良くなろうと思ったのに。ああ、でもウォルト様は優秀な魔法騎士様ですから、もしかすると護衛と護衛対象としてお目にかかれるかもしれませんね」
「ああ、それはないですね。これからは護衛仕事は引き受けませんから」
「あら、そうなんですか。ウォルト様のような美しい男性が護衛としてそばにいたら、とても華やぐと思いましたのに、残念です」
「護衛は観賞用ではありませんよ」
ウォルトが不快感を隠そうともせずライアへ言うと、ライアは何が楽しいのかふふっと笑い、『王太子妃の護衛なんて、素敵な騎士様の特権でしょう?ちゃんと指名しますから、その時はよろしくお願いしますね』と言って部屋から出ていった。
「あれ、数年後に王太子妃か。気持ち悪いな」
「うーん、今のはちょっといただけないわね。ウォルトにコナかけてるみたいな感じだった」
「お、そんなこともわかるようになったのか。学習速度半端ないな」
「冗談抜きで言っているのに」
「ああ、悪い悪い。まあ、あれだ。団長に話して退団時期を早めてもらうわ」
ライアは十九歳の誕生日に結婚式を挙げる予定らしい。
現在の聖女が祈りの間から出てくる年だ。
今の聖女が祈りの間を出るのは、ライアの誕生日の一ヶ月前だから、ライアは結婚前にも神殿へ聖女選定に行くことになる。
今まで認定されなかったからたぶん最後まで認定されないだろうけど、何があるかわからないからな、とクレアは先代聖女のオランジュから言われたことを思い出していた。
今までの聖女は、なぜか高位貴族と下位貴族が交互に認定されていた。現在の聖女は男爵令嬢。次は高位貴族だろう。
まさか、ね。
クレアは考えすぎだなと首を振る。
ウォルトはそんなクレアを不思議そうに見つめながらも、やっと自分の気持ちが伝わった喜びに胸がいっぱいだった。
ライアは翌日昼前に王城へ戻った。
クレアは昨日のライアの言葉を不快に思っていたので、帰っていったことにホッと胸を撫で下ろした。
両親へもライアの言葉を伝えると、両親は複雑そうに顔を見合わせる。
「なにかありましたか?」
「クレアは気がつかなかったのかい?ライアはお前のものばかり欲しがって、ドレスも宝石も、とうとう婚約者まで奪われたのに、次は護衛としてお前の夫を欲している」
「え?そうなんですか?」
「どこから聞いたのか、高位貴族から選ばれた聖女は、偶に次の聖女が決まらず長く聖女として活動することがある。もしかするとクレアはそうなる可能性があるとライアが殿下に話し、王命によってお前と殿下の婚約が解消されたんだ」
「そうなんですか。私の場合、三ヶ月後には次代の聖女が認定されましたけどね」
「ああ。良かったよ。しかも素晴らしい婿殿も連れてきてくれた」
「その、次の聖女の選定ですが、十二歳から二十歳までの高位貴族って、あまりいないと思うんですけど」
「ああ、そうだな。公爵家侯爵家あわせても八人か。そろそろ任期が長くなってもおかしくないな」
父もライアが選ばれることはないと考えているようで、まるで他人事のような口ぶりだ。
まあ、姉妹で選ばれたことは今までなかったので、たぶんライアは選ばれずに終わるのだろう。
なんとなくそう思って、これ以上考えることを止めた。
ウォルトはこの日もビュアロード邸へ立ち寄り、クレアの顔を見に来た。
「団長に話したらさ、退団時期を一年後にしてくれるって」
「あら、良かったじゃない」
「昨日の話をしたらさ、渋い顔してたけど了承してくれた。あと、ジークは半年後に退団できるって」
「じゃあ、ジークは退団したらすぐに侍従の教育をしなくちゃね。ジークにそのあたりは手紙を出しておくわ」
予定のすり合わせ程度の会話しかする時間はないが、ウォルトもクレアも楽しくてしかたない。
そしてウォルトが帰る時は、『また明日』と手を振るが、早く明日にならないかな、と翌日を楽しみに待つ二人だった。
二人の新居は、ビュアロード侯爵邸から馬車で二十分ほど離れたところにある別邸に決まり改装を始めた。ビュアロード侯爵邸よりも街に近いため、二人は時々街へ繰り出そうと考えている。
当然、ジークも一緒だ。
結婚式は半年後。
ウエディングドレスも採寸済みで、結婚式に向けての準備は着々と進んでいる。
クレアはこれから、侯爵家としての社交を学び始めるが、これはしばらく母がクレアについて教えてくれるので、不安はない。
今、クレアの頭の中を占めているのはウォルトのことだ。
国内の教会巡りを終えてまだあまり日にちは経っていないし、仕事終わりには必ずクレアに会いに来る。
それでも、足りない。
もっと会いたいと思ってしまう。
二年間毎日朝から晩まで一緒にいたし、なにかとかまわれ面倒も見てもらい、かなり依存していたのだとクレアは気がついた。
「ウォルトってば、こうなることがわかっていたのかな」
「俺がなんだって?」
「うわっ」
いつも来る予定の時間より早く、クレアの耳元でウォルトの声が聞こえた。
「ど、どうしたの。早くない?」
「魔法騎士団の演習が朝からあったんだけど、早く終わったから帰ってきた」
「あ、そう。お、お帰りなさい」
「ただいま」
にっこり笑ったウォルトの笑顔は、今のクレアには致命傷だ。
かあっと熱が上がったように熱くなり、思わず胸に手を当てた。
ウォルトはそんなクレアを満足そうに見て、『で?俺がなんだって?』と追い打ちをかける。
クレアは、思ったままを全て話すのは恥ずかしく、どうにか誤魔化せないかと考えをめぐらせたが、クレアの返事を期待しているウォルトの笑顔を見てしまうと数秒後には諦めて答えた。
「私ってば、ウォルトにずいぶんと依存してるなぁって。最初からウォルトの態度は変わらなかったし、もしかするとこうなるのがわかっていたのかなぁって疑問が浮かんだだけよ」
「ほう?気がついたか?だけどクレアが俺に依存するとは思っていなかったな。ただ、少しずつ俺のことを気にするようになればいいなとは思っていたけど。でも嬉しいよ、頼ってよ俺のこと」
「う、うん」
クレアはぎこちないながらも笑みを返すと、ウォルトは嬉しそうにクレアの手を取りキスをした。
その流れるような仕草がいちいち決まっていたし、手慣れた感じだ。
思えばウォルトはクレアより四歳年上で、クレアとともに教会巡りをするまでにはそれなりに恋愛経験があるのかもしれない。
クレアはウォルトの過去の恋人達に軽く嫉妬した。しかし、そんなクレアの気持ちはウォルトに筒抜けのようで、先程キスをしたクレアの手のひらに頬ずりしながら、『クレアだけだから』と囁いた。
何が?いつから?とは疑問に思っても、ウォルトの漏れ出る色気の前にクレアは気持ちを落ち着けることに精一杯で、遠くに見える庭の花を数え、気を散らした。
二人の婚約式は恙無く終了した。
ライアは出席したがっていたが、今までのライアのクレアに対する行いを良しとしなかった侯爵がそれを許さなかった。
母が王妃にライアを王城で留め置くように願いでて、クレアに対して罪悪感を持っていた王妃はそれを呑み、王妃が王太子妃教育を見るということでライアは城から出ることは許されなかった。
晴れて婚約者となった二人は、五か月後の結婚式及び新居について最終打ち合わせや指示で忙しくなってきた。
ウォルトの実家であるランドルク伯爵家も、魔法騎士の仕事をしながらそれらにも指示を出すウォルトをフォローするため、人手もお金も出してくれたので、婿養子となるウォルトも肩身の狭い思いをせずにいられた。
ただ、退職一ヶ月前からビュアロード侯爵家に住込み、侍従の仕事を教えてもらう予定のジークのことを、ウォルトはただ只管羨ましく思っていた。
次話は明日8時に投稿します
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