日々是勉強
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翌日、ウォルトが難しい顔をしてクレアの元を訪ねてきた。
ジークに話をするとすぐにでも退団できるように動くと言い、この話はもう少し先に答えが出そうだと言われたが、問題はウォルトの方だった。
ウォルトは魔法騎士団に結婚及び、それに伴い退団したいと申し出ると、今すぐの退団は許可できないと言われたそうだ。
ウォルトはかなりの腕前なので、こうなることは予想できた。だから父も今すぐ侯爵家の仕事の引継ぎは考えなくて良い、と言ったのだ。
しかしウォルトはすぐにでも辞めたかったようで、クレアの前で溜息ばかりをつく。
「ウォルトもジークも優秀な人材だっていうのは皆知っているでしょう?だからお父様も今すぐでなくてもって言ったのよ。だから、あと数年魔法騎士団でお仕事をしても大丈夫よ。お父様は現役で頑張ってくれるはずだし」
「クレアは俺がいなくても平気なのか?」
いつもそばに居たウォルトが居ないのは寂しく感じているが、こうして会えると考えれば我慢はできる。しかし、そう言ってはいけない空気感に、クレアはうーんうーんと言葉を探す。
そんなクレアを見たウォルトは、『まだ早かったか』と呟いてクレアの手を両手で握った。
「クレア、俺はお前が大人になるのを待つが、できるだけ早くしてくれ。俺も色々限界に近い」
「う、うん」
歳だけでいうならクレアは十九歳になり、既に大人だ。
十二歳から十七歳まで隔離された生活を送ったことにより、まるっと恋愛感情がわからないということを指摘されているとはつゆ知らず、クレアはなんの謎掛けかと首をひねる。
ウォルトはそんなクレアを優しく見ながら、『俺も頑張るからな』と言ってクレアの手首の内側にキスをして帰って行った。
なぜ手首にキスを?とクレアは思ったが、直後に執事から、『本日はライアお嬢様がお戻りになりますので、ご家族揃って夕食をと旦那様がおっしゃってます』と言われ、了承はしたもののすぐに部屋へ戻り現実逃避に走った。
小さい頃は、『おねえさま』と常に張り付いていたライアが、祈りの間からクレアが出てくると常に睨んでくる。その理由がわからない。原因がわかれば対処のしようもあるが、自分が祈りの間にいる間のことなどわからない。よってどうにもできない。
ああ、また睨まれるのか、とクレアがうんざりしていると、メイドが、『最近流行りの本ですが』と一冊の本を持ってきた。
題名は『子爵令嬢と二人の王子』。ペラペラと捲るとメイドは、『恋愛小説なんですが、最近舞台化されまして。烏滸がましいとは思いますが、一度読んでみるのもよろしいかと思います』とニコニコの笑顔で伝えてきた。
どうせライアが戻ってくるなら部屋に籠もることになるだろう。
長く勤めているこのメイドは、それを見越して持ってきてくれたのかもしれない。
クレアは素直に、『ありがとう』と礼を言い、早速読み始めた。
ある子爵令嬢が二人の王子と出会い、友情を深めていく。が、友情と思っているのは子爵令嬢だけで、二人の王子のそれは恋愛感情だった。
二人の王子と交流を深めるうち、子爵令嬢は自分にだけ弱みを見せる弟王子が気になり、自分の気持ちに気がついた。
ある時、兄王子の婚約者が子爵令嬢を亡き者にしようと刺客を雇ったが、子爵令嬢を庇った兄王子が瀕死の重傷を負ってしまう。
意識の戻らない兄王子に責任を感じた子爵令嬢は、自分の気持ちを封印し兄王子のために生きようと決めた。
読み始めは、『突っ込みどころが多くて、とても非現実的な話だわ』と思ったクレアだが、読み進めるといつの間にか夢中になってしまう。
「お嬢様、お食事の時間です」
そう声をかけられて、いつの間にか部屋にはランプが灯されていたことに気がついた。
本の話はまだ途中。
兄王子のために生きるって、それでいいの?自分の気持ちは?ああ、この後どうなるのかしら。
クレアはあと三分の一ほど残っている続きが気になって仕方がないが、渋々家族の待つ食堂へと向かった。
既に待っていたライアは、予想に反して穏やかだった。
しかし、クレアはそんなことも気がつかないほど、本が気になっている。
「······ですって?お姉様」
「え?あ、ごめんなさい。もう一度お願いできるかしら」
あまりに妄想に入り込んで、ライアの話を聞いていなかったクレアは、慌てて聞き直した。
「嫌ですわ、お姉様。幸せ過ぎて思考が何処かへ行っていたのですか?」
「そうですね」
幸せかどうかはともかく、思考が何処かへ行っていたのは確かなので、一応クレアは肯定しておいた。
するとライアはとても素晴らしい微笑みで、『ご婚約なさったと聞きましたわ。おめでとうございます』と言う。
ああ、ウォルトの話か、とクレアは気がつき、『ええ、ありがとう』と答えた。
「ライアは王城で王太子妃教育を頑張っているとか。素晴らしいですね」
「まあ、ありがとうございます。これも婚約者の務めですもの。皆様からの期待に嬉しく思います」
きっとライアは能力も高いのだろう。そんな余裕を感じたクレアは、ライアが王太子の婚約者で良かったと心底思った。
だからライアからの言葉の端々にクレアに対しての蔑みが入っていても、まるで気にならない様子で、ハラハラして見ていた両親の心配をよそに、クレアはさっさと食べ終えて部屋へと戻った。
さあ、湯浴みをしてから続きを読もう。
クレアはウキウキしながら湯浴みをし、ベッドに入って続きを読み始めた。
意識を取り戻した兄王子は、子爵令嬢を手に入れたことに喜びを感じていたが、子爵令嬢の表情が、時々暗くなることに不安を感じていた。
そしてそれは弟王子と会った直後に多く、兄王子は子爵令嬢の気持ちに気がついた。
兄王子は、このまま子爵令嬢を手に入れていいのか、子爵令嬢のために自分は諦めるべきか悩みながらも、子爵令嬢へプロポーズした。
子爵令嬢は数日悩み、結果断り、誰も知らない遠い街へと旅立った。
それを知った弟王子が子爵令嬢を探すために身分を捨てて旅立ち、二年後ようやく見つけて二人は幸せになった。
要約するとこんな話だったが、作者の文章力なのか、とにかく引き込まれる話だった。
クレアは読み終えると、ほうっとため息をつき、しばらく余韻に浸った。
突っ込みどころは後半にも多々あったが、それも話を盛り上げるためのスパイスだと思うと気にならない。
面白かった。
ただ、気になるところと言えば、兄王子のプロポーズのとき、子爵令嬢の手首の内側にキスをし、子爵令嬢がうろたえる場面があった。
手首のキスは、どんな意味合いがあるのだろう。
何故うろたえたのだろう。
もしかすると読み落としがあったのだろうか。
クレアはもう一度最初から読むことにし、今度は読みながら作中の登場人物の感情についても考えることにした。
読んでは少し戻ってまた読んで。
登場人物の気持ちになって読んでみると、少しだけ理解した。
手首へのキス。それは欲望を表したのではないだろうか。
兄王子の気持ちになり前後の文章を読んでいくと、子爵令嬢への溢れる気持ちがわかる。
そして、子爵令嬢を見つめながら手首へのキス。
その姿を想像すると、心の中ではキャーキャー悲鳴を上げている自分がいた。
しかし手首へのキスは、自分もウォルトにされたばかりだと思い出し、その時の状況を頭に浮かべた。
早く大人になれ、自分も頑張ると言っていたウォルト。あれはもしかすると口説かれていたのだろうかとクレアは思い至り、かぁっと頬が熱くなった。
婚約するし、今更なんで?と考え、それはやはり好きな人と結婚したいという願望だろうか、と仮定したが、その仮定ならばウォルトはクレアを好きなのだろうか、と疑問も出てくる。
そんなことばかりを考え、結局一睡もできなかったクレアは、本を貸してくれたメイドに違う話も読みたい、と新しい本を持ってきてもらった。
次に読んだ本は、元々平民だった男爵令嬢が王太子と恋に落ちる話だった。
学園で知り合った二人はすぐに恋に落ちたが、王太子の婚約者が男爵令嬢を睨みつけたり嫌がらせしたり、とあの手この手で仲が深まるのを阻止しようとしていた。しかし、二人は障害を乗り越え結ばれるという内容で、これも初見では突っ込みどころがありすぎだった。
しかし、二回三回と読むうちにすっかりのめり込み、クレアはライアが二年前に睨んできた気持ちが少しだけ理解できた。
きっと、元婚約者が目の前に来たことで、殿下を盗られると思ってしまったのだろう。
そう考えると昨夜ライアがご機嫌だったことは納得できた。
だって、私に婚約者ができたのだから。
クレアは恋愛小説を繰り返し読むことで、自分の知らなかった感情を理解できたと嬉しくなり、もうライアと会うことも嫌ではなくなっていた。
この日もウォルトは、仕事終わりにビュアロード侯爵邸へクレアに会いに来た。
クレアは昨日の手首のキスの答えが知りたくて、ウォルトが来るのを待っていた。
まだ正式に婚約式を終えたわけではないので、通される部屋は応接室。しかし、そんなことは二人には関係なく、ニコニコと話を始めた。
まずウォルトが話し始めた。
魔法騎士団の退団時期についてで、ウォルトはなんとか二年後を目処に退団することを約束として取り付けた、と視線を落とす。
二年後なら早い方ではないかとクレアが言うと、明らかに落胆の表情で、『日中、クレアがそばに居ないと不安なんだ』とウォルトがため息をつく。
「ねえ、ウォルト。私ってば昨日、もしかすると口説かれていた?」
「なんだ、気がついたのか」
「なんとなくそうかなって」
「クレアにしては急成長だな。なんかあったのか?」
「恋愛小説を読みまして」
「恋愛小説?へえ、それで心の機微を勉強したのか」
「まあ、そんな感じ?」
「それで?俺に口説かれてどうだ?」
ウォルトが少しだけ意地悪な顔をしてクレアに尋ねた。
次話はすぐに投稿します
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