婚約者
帰還式はあっさりと終わり、クレアは侯爵家の馬車に乗り込んだ。
馬車には両親が一緒に乗っている。
ライアはいない。
「ライアは式に出席しなかったのですか?」
「ライアは王城に部屋を賜り、王太子妃教育を受けているのだよ。学園に通いながらなので時間が足りない。それで今日も欠席だ」
なるほど。確かに自分が王太子妃教育を受けていた時、一日中城で教師がついたり王妃様が教えてくれたりした。
あの時は学園に通う前だったから、時間がたっぷりあった。
貴族は十三歳から十八歳まで学園に通う義務がある。
クレアは婚約者に決まった時から王太子妃教育を受けていたが、十二歳で聖女に決まったため、王太子妃教育は中止、学園への登園義務もなくなった。
ライアは日中は学園に通うから、時間は限られているということか。大変だな、とクレアは同情した。
クレアが窓から外を眺めていると、母が突然泣き出した。
「く、クレア。聖女のお仕事お疲れ様でした。っく、やっと帰ってきてくれて、母は嬉しく思います」
それだけ言うと、ハンカチを目に当てている。
号泣だ。
クレアは母との記憶は随分昔のものしかないが、それでもこんなに泣いているのは初めてだと思う。
何か慰めの言葉を、と思っても、何を言ったら良いかわからず、とりあえず、『私も嬉しいです』と極力優しく言った。
すると今度は父が目頭を押さえる。
おお、こっちもか、とクレアは驚いていると、父も声を震わせながら再会の喜びを伝えてきた。
「長いこと、本当に大変だったと思う。よくやり遂げてくれた。また家族として生活できることに、父は喜びしかない。しかも、こんなに美しくなって······」
宿屋で湯浴みをした後は、なぜかいつもウォルトが待ちかまえていて髪を風魔法で乾かしながら梳いてくれていた。
それが良かったのか、クレアの髪が美しいと自分でも思っている。
あ、ウォルト。
クレアはウォルトを思い出し、父へとウォルトの話を始めた。
「お父様、もしかして釣書とか来てますか?」
「おお、たくさん来ているぞ。ただ、今までの物は捨てて、新しく来たものから保管している」
「私、婚約者にはこの人を、という相手を決めたのですが」
「な、なんだと!クレア、早いぞ、早すぎる。まだ結婚なんてしなくていい。しばらく父と母と三人で暮らそう」
「はあ、でもあちらもどこかのご令嬢に求められると困るので」
「好きなのか」
「え?」
「その男、好きなのか」
クレアは困った。
一日も早く馬鹿話をしながらエールを飲みたい、なんて言えない。
しかし好きなのかと問われると、好きなんだろう。嫌いなら二年も楽しくやっていられない。
「そ、うですね。うーん、好きですね」
「おお、クレア、そんな男とどこで知り合った。ずっと神に仕えてきたのに」
「えっと、護衛をしていたウォルト・ランドルク伯爵令息なんです」
「なんと、あのランドルク伯爵令息か。はっ、まさかもう······」
父の顔色が青くなる。
何がもうなのかわからないが、クレアはここが押しどころだと判断し、『はい』と小さく答えた。
父の顔色は青から白に変わる。
何がそんなにショックだったのかわからないクレアは母を見る。
すると母は父とは違い、大きく目を見開いたあとは、ぱぁっとそれはそれは良い笑顔になった。
「まあまあ、良い出会いがあってようございました。いつから二人の気持ちが固まったのかわかりませんが、こうなったら早いほうがよろしいわね。近日中にランドルク伯爵家へ打診しましょう」
二人の気持ちが固まったのは昨夜です。串焼きのタレが絶品の店でした。と答えるのも違う気がして、クレアはニコリと微笑んだ。
落ち込む父とニコニコの母を不思議そうに見るクレアを乗せた馬車は、懐かしい侯爵邸の門をくぐった。
ビュアロード侯爵邸は、二年前と変わりなかった。
と言ってもあの時は、一歩部屋から出ればやたらと睨んでくるライアを避けるため、あの時のクレアは部屋からあまり出なかった。だからクレアの部屋から見る庭の思い出しかないが。
今、ライアは王城にいるから、邸内のどこを歩いても気楽だ。自室にいるだけでも、ゆったりと落ちついて過ごせる。
クレアはメイドが淹れてくれたお茶を飲みながら、何を考えるでもなくぼんやりとしていた。
"静かだわ"
いつもはウォルトとジークが側にいたので、必ず近くに人の気配があった。
ところが今は、メイドもお茶を淹れたあと退室してしまったので、クレアは部屋に一人だ。
それがなんだか寂しい。
五年間ずっと一人だったのに、たった二年間誰かと一緒に居たというだけで、孤独という感情を知った。
二人に会いたいなと思っても、既に両親にはウォルトのことは伝えてある。あとは両親が動くかランドルク伯爵家が行動を起こすかだ。クレアにすることはない。
ぼんやりとしていると、扉がノックされた。
クレアが返事をすると、執事が、『ウォルト・ランドルク伯爵令息がお見えです』と言う。
通されているという応接室へ向かうと、両親の正面にウォルト、そしてウォルトの隣にランドルク伯爵夫妻が座っていた。
両親の表情は、さっきの馬車と変わらない。
父は青白く、母は満面の笑みだ。
ウォルトはというとこちらも満面の笑みで、『クレア、約束通り来たよ』と言う。
釣書を持って来いとは言ったが、まさか本人が持ってくるとは思わなかった。クレアは驚きながら両親の隣に座る。
「先程、クレアから聞きました。ウォルト様と将来を誓ったとか」
誓ったとは言った覚えがない、とクレアは訂正しようとしたが、その前にウォルトから肯定の言葉が被せられた。
「はい。私達は旅をしていく中で、いつの間にかお互いを必要と思うようになり、王都へ戻ったらすぐにでも婚約しようと話し合いました。本来ならば釣書を送らせていただくのが先かと思いましたが、悠長にしていると誰かに奪われてしまうかと不安になり、両親と共に参った次第です」
「まあ」
母は感激したように胸を押さえると、クルッとクレアに顔を向けて、『せっかく来ていただいたのだから、進めましょうね』と言った。
クレアは、それは父へ言う言葉だろうと思ったが、今の父は仕事が無理な様子。このまま母が主体に話が進んでいくのだろう。
「この後の細かい話は親同士がしますから、クレアはウォルト様とお庭を見てきたら?」
案の定母がその場を仕切り始めたので、クレアはウォルトを連れて庭に出た。
あまり詳しくないが、温室にはテーブルセットがあったはずだから、そこでお茶でも飲もうかと考えた。
温室と言っても温度調整で大きなガラス窓は開いている。風も通り抜け、眠くなるような気持ちよさだった。
お茶を淹れたメイドが、礼をして下がって行った。
それを見届けたウォルトは、いつもの調子で話を始める。
「仕事、早かったろ?」
「さっき戻ったばかりなのに、早くて驚いたわ」
クレアもいつも通りに喋る。周りに人はいない。被っていた猫は既に脱いでいたらしい。
「あまりに早くて、ジークの話はまだしてないの」
「あいつ、泣くんじゃないか?」
「それは可哀想ね」
二人はふふっと笑いあう。
「ところで、侯爵の顔色が随分と酷かったが、一体どうしたんだ?」
「ああ、そうねえ。どうしたんだろう。私もわからないの。ただ、婚約したい相手がいるって話したあとからなのよね」
「もしかすると、侯爵の心の中では決めた男がいたんかな」
「ええ?危なかったじゃない。ウォルトの行動が早くて良かったわ」
「だろ?」
ウォルトは一応、防音の魔法はかけた。
が、顔を寄せ合いコソコソと話す二人の姿は、離れた所に控えていたメイド達の目には、熱々の恋人達に映ったようだった。
クレアが特別美しすぎるからついクレアにばかり目を奪われがちだが、ウォルトの顔も綺麗だった。
二人が笑い合って話す様子は、まるで美しい絵画のようだ、とメイド達は囁きあう。
どうやらこのお二人が将来の侯爵夫妻らしい、と思うと、メイド達は幸せな気持ちになれた。
話し合いは終わったようで、二人は応接室へ呼ばれた。
ビュアロード侯爵の顔色は通常に戻っていて、口調もしっかりと平常だった。
今後の予定を話すのはビュアロード侯爵。
クレアは、父が言う結婚までの日程に少々驚いた。
「来月婚約式?半年後に結婚?」
「ああ。ランドルク伯爵令息は優秀な魔法騎士だから、まだ侯爵家の仕事の引き継ぎは考えなくてもいいが、世間に知らしめる必要はあるからな」
「いやいや、クレア様の目にとまるなんて、息子は幸せものです」
わっはっは、と笑い合う父親同士は、どうやら気が合った様子だったし、その二人を見る母達もほのぼのとして穏やかだった。
クレアは、思った以上に早く進む結婚話に少し腰が引けたが、ここにジークも入ればまた楽しい日々だと思うと、待ち遠しくて仕方がない。
クレアはジークをウォルトの侍従にしたいと言うと、父は難色を示す。
どうやらジークは優秀過ぎて、騎士団が退団を許可しないのでは、とのことで、それは困ったとクレアは思った。
しかし、これに関しても自分は何もできないと思い、せめてジークが退団できたら侯爵家で雇ってもらえるように約束を取り付けた。
仕事で王城に行くウォルトにジークの様子を見てもらうことにし、続きはまた日を改めて、とランドルク伯爵一家は帰って行った。
クレアの両親は、クレアが無事に戻ったこと、さらにとても素晴らしい婿養子を迎えられることに喜び、夕食はお祝いの様相だった。
使用人達にもささやかながら祝の品を贈る。
使用人達もたいそう喜び、ビュアロード侯爵家に生涯尽くそうと決意した。
王太子の婚約者が姉から妹に変更になった時には、クレア様がかわいそうだ、と影で嘆く者が多かったが、そのクレア様に素晴らしい御縁があった、と我が事のように喜ぶ使用人達の結束は更に固まり、ビュアロード侯爵邸の雰囲気は意気揚々として、眩しく感じるほどだった。
次話はすぐに投稿します
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