『ある人の死-6』
昂平は今日もまたスナック『M』を訪れていた。この前の愛美のどこか寂しげな表情がとても気になったからであった。が、今日の愛美はこの前のあの寂しげな表情が嘘のようにとても明るかった。いつも以上に明るかった。今、歌っているカラオケもいつもにも増してノリのいい曲を選択していた。
ママの美弥子がカウンター越しに、昂平に向かい、
「この前、言ってた……この写真の……」
と美弥子が昂平にこの前見せた写真を改めて見せる。
「さっき、このお客さんが久しぶりに来てね」
「……」
「今までのツケとかを全部、払いに来たの」
「……」
「それがね……」と美弥子がふっと寂しそうな表情を見せ、
「仕事の関係で東京を離れる事になったから、今日でお別れだって」
「……」
「今日は最後だからって、飲んでくぞって、このボトルを入れてくれて。それでも一杯か二杯、飲んだだけで。愛美には何か話をしてたみたいだけど」と美弥子が昂平にボトルを見せる。
昂平がボトルのタグネームを見て、
「いつ頃?」
「さっき、ついさっき帰ったところよ」
「すいません。今日は帰ります。勘定は今度、必ず払いますから」と昂平が慌てて店を後にする。
美弥子が先ほどのボトルを棚に戻していく。タグネームには『K』と書いてあった。
そして、テーブルの上には愛美や美弥子と共に映る藤田の写真。店内では尚も愛美のノリのいい歌声が流れていくのであった。
昂平が通りに出て、携帯電話で電話をかける。発信相手は藤田であった。藤田はすんなりと電話に出た。
「昂平か……」
「今、どこ?」
「今日はやけに寒いなあ」
「……」
「空がやけに透き通ってる」
「……」
「もしかしたら、これから雪が降るかもしれない」
「……」
「それはそれでいいかもしれない」
「どこにいる?」と昂平が聞いた。
その時、昂平の目の前の道路を救急車が通り過ぎていく。そのサイレンの音と、携帯電話から聞こえるサイレンの音とがリンクする。
昂平は真上のビルを見上げた。その屋上に藤田の姿を見つけた。
藤田がいるビルの屋上に辿り着いた昂平が、
「東京を離れるって?」と藤田に聞く。
「驚いたなんてもんじゃねえな。二度見、三度見しちゃったよ」
「……」
「ぶったまげるほど、よく似てるから、初めて会った時は心臓止まるかと思った」
「……」
「眞由美が生き返ったんじゃないかって、いや、本当は最初から生きてたんじゃないかって、そう錯覚したよ。あれからもう十五年も経つのに」
「……」
「居ても立ってもいられなくなって……毎日でも会いたくなってな」
「……」
「恥ずかしながら、お前にまで金をせびりに行ってしまった」
「……」
「心から愛していたんだ」
「……」
「もちろんあのスナックの女をじゃない」
「……」
「お前の母親……眞由美を」
「……」
「今でも忘れられない」
「……」
「忘れる事はない」
「……」
「ようやくまた本物に会えるんだ」
「本物?」
「昔、俺の知り合いで肝臓がイカれて亡くなった奴がいたんだ」
「……」
「死ぬ前にはもうみるみると痩せていってな」
「……」
「それはもう見てられないほどだった」
「……」
「そいつが死ぬ直前に飲んでいた薬があってな」
「……」
「医者から、特効薬だから飲むように言われたんだって、そいつが言ってたのをよく憶えている」
「……」
「そいつはその一週間後にあっけなく死んじまった」
「……」
「……今日」
「……」
「その薬を……そいつが飲んでいたものと同じ薬を、俺も医者から飲むように言われたんだ」
「……」
「薄々は気が付いてはいたさ……酒はちっとも旨くねえし、昔は掻き込むように食ってた牛丼もこの前、初めて残しちまった」
「……」
「自分の体は自分が一番よく知っているんだから」
「……」
「ようやくお迎えが来たんだ」
「……」
「眞由美に会ったら……眞由美にもしも、会えたら……」
「……」
「真っ先に謝らないといけない」
「……」
「頭を擦り付けて、何べんも何べんも謝らないといけない」
「……」
「俺は……」
「……」
「……事件の……」
「……」
「真相を知っている」
「……真相って!?」
「……犯人を知っている」
「……」
「犯人は……」
「……」
「……」
「……」
「……俺だ」
「違う」
「違わない」
「違う」
「……昂平……お前は今まで苦しんできた」
「……」
「もうそろそろ解放されてもいいはずだ」
「……」
「笑いたい時は素直に笑うんだ」
「……」
「誰かに甘えたくなったら、素直に甘えればいい」
「……」
「時折はわがままも言えばいい」
「……」
「泣きたくなったら、我慢しないで泣け」
「……」
「自由になるんだ」
「……」
「諦めるな……強くなれ」
「……」
「俺が言えた義理じゃないけどな」
「……」
「みっともない、だらしない父親で悪かった」
「……」と昂平は首を振った。
「父親らしい事は何一つ出来なかったけど、これがお前にしてやれる最後の事だ」
「……分かったから」
「……あばよ」
「ダメだ」と昂平が手を伸ばすも、その先を藤田がすり抜け、ビルの屋上から飛び降りてしまう。
「……」
昂平が呆然とただその場に立ち尽くした。数秒、いや数十秒は全く音のない世界に生きているかのような感覚だったが、やがて、ビルの下の方からは多くの人などの叫び声などが聞こえてきたのであった。
「……」
天を見上げる昂平。その時、空からは雪が舞い降りてきていたのだった。しとしとと音もなく、静かに舞い降りてきたのであった。




