『金より大切なもの-7』
翌日、桃と上村はデパートで買い物をしていた。上村の孫のクリスマスプレゼントを一緒に買いに来ていた。デパートの店内はすごい混みようだった。人間の行動範囲やパターンなんて、ある意味、画一的だと思わざるを得なかった。あそこの店が良いと聞けば、次の日はもう決まって長い行列が出来るし、あの服が良いとなれば、次の日、同じような格好をした人と気恥ずかしくもすれ違ったりする。それぞれが皆、個性や独自性を主張したところで、所詮は誰かの受け売りだったり、二番煎じである事は否定出来ない事実なのかも知れない。
桃と上村はようやく買い物を終えると、少し遅い昼食にと一軒の蕎麦屋に二人で入った。
「何でも好きなもの頼んでいいですから。まあ、蕎麦屋で好きなものっていっても、たかが知れてますけど」と上村が自嘲気味に言った。
「お金、使い過ぎたんじゃないですか?」
「大丈夫、大丈夫。何にします? 私はざるでいいかな」
「じゃあ、私も一緒で」
「もっと良いものを」
「今度、給料出たら、期待してます」と嫌味なくニコッと微笑み、桃が言った。
「悪いですね」と上村が店員を呼び、ざるそばを二枚、注文したのであった。
昂平は休日を利用して、新宿に出た。新宿の高層ビルを見上げ、昂平は思った。
【例えば、突然、この空から大量のお金が降ってきたとする。そうしたら、すました顔で歩くあの人も、俯きがちに歩くあの人も、お互いを見つめあったままのあの恋人たちも、恐らく仕事中のあの人も……あの人もこの人も、目の色を変えたように、空から降る金に必死に手を伸ばすのだろうか?
一千万、一億……どれ位あればいい?
その位の金じゃ、こんな多くの人の目の色を変えさせられないか……】
昂平は行き交う人々たちをぼんやりと眺めながら、そんな事を考えていたのであった。
桃と上村は蕎麦屋で食事をしていて、
「あの……」と桃は言いかけたところで、少し、戸惑った。
「うん? 蕎麦湯、貰います!?」
「いえ……これ」と桃がバッグの中からマッチを取り出し、上村に見せる。
「スナック『M』……」と上村が桃から見せられたマッチを見て、「これが?」と桃にマッチを返し、聞く。
「いや、なんでもないです」と桃が慌ててマッチをバッグの中に仕舞う。
「……タバコとか吸いましたっけ?」と上村が聞く。
「……そうだ、お孫さんに買ったあのゲームって、面白いんですかね?」と話を変える桃。
「私はゲームとか全く分からなくて」と特に気にも留めず、上村も桃との会話を進めていくのであった。
昂平は立ち食いそば屋で夕食を取っていた。昂平にはサラリーマンの経験が全くない。全くないが故、憧れる。早ければ朝の五時とか六時に起きて、黙々と毎日、判で押したように、同じ時間帯の電車に乗り、ラッシュに揉まれながら、出勤していく。毎日、具体的なノルマがあったとして、時にはというか、もしかしたら、頻繁に飛び込みで営業したりする事もあるに違いない。そんな時、時間を惜しむように、ふと見つけた立ち食いそば屋で食事を取る。そんなサラリーマンに昂平は憧れていた。今日もまた昂平の周りで食べる、どこかヨレヨレのスーツ姿の男たちも、そんなサラリーマンたちに違いないと昂平は食べながら思っていた。
昂平は食事を終えると、また財布の中を見た。財布の中に入っている愛美の名刺を取り出し、見た。
昂平は愛美と出会ってからもう数日が過ぎようとしていた。昂平は毎日、毎日、愛美の事を考えない日はなかったが、あれから一度もスナック『M』には行っていなかった。どうしても、行く勇気がなかった。会ったら平静でいられる自信がなかった。何を喋ったらいいか分からなかった。それでも今日こそは会いに行こう、明日は会いに行こうといつも考えていた。愛美は母親ではない。ただ顔が亡くなった母親に似ているというだけだ。特別な感情はない。少なくとも愛美に関してはないと思っている。ふらりと時間が出来たから、飲みに行くだけだ。ママの美弥子もとても感じが良かったからというのもある。と、あれこれ昂平が言い訳がましく考えているうちに、自然と足はスナック『M』の近くまで向かっていた。
【愛美さんの事はまだ上村さんには話すべきじゃないと思った。愛美さんは事件の関係者でもなんでもない。未司馬眞由美に顔が似ているというだけだ。だけど、捜査関係者として、それを知ってしまった以上、何れ、上村さんには報告はしないといけない。上村さんはきっと『へえー』と言って、おしまいだと思うが、今日はまだ話したくなかった。
どうしてだろう?
何故だか自分では分かってる。誰よりも先にどうしても知らせたい人がいるから】
桃は昂平の暮らすアパートを目指していた。自分が愛美に会っただけでも、かなりの衝撃だったのに、昂平が会えば、それはもう想像が出来ないと思っていた。昂平には真っ先に愛美の存在を知らせてあげるべきだと思っていた。
もちろん刑事としての打算もあった。
昂平が愛美と会って、昂平がどう思うか?
昂平がどういう行動を取るか? とても興味があった。
が、そんな打算より何より、昂平には愛美の存在を知らせてあげたいと桃は思っていた。
【どうして?
刑事として?
いや、一人の人間として?
どうして?】
桃はそんな事を考えているうちに、昂平のアパートの前に辿り着いていた。
昂平は結局、スナック『M』の店の前まで行ったが、店には入らず、愛美には会わずに帰ってきた。
【明日にしよう。慌てる必要はないし、今日はとてもお酒を飲む気分にはなれない。それなのに行っても仕方がない。
明日にしよう。それでいい】
昂平はアパートに帰宅すると郵便受けの中を見た。中には適当なダイレクトメールなどと共に一つのマッチが入っていた。昂平はそのマッチを見てみた。
【スナック『M』のだ……誰がいったい?】
昂平には全く理解が出来なかった。どうして、スナック『M』のマッチが郵便受けの中に入っているのか、理解出来なかった。
ただ一つだけ言える事は、他の誰かも愛美の存在に気付いているという事だった。昂平はすぐに、それが警察だと分かった。警察以外には有り得ないと思った。
昂平は何て汚い事をするんだと怒りが込み上げてきた。人の心に土足で踏み込んできて、泥や汚れを掃おうともせず、縦横無尽に好き勝手荒らしていく。
ただ一つ、『事件解決の為』というお決まりの大義名分をかざして。
昂平はそんな警察のやり口に苛立ちを隠せず、郵便受けに入っていたマッチをゴミ箱に捨てたのであった。