『金より大切なもの-4』
その頃、昂平は喫茶店にいた。昂平は喫茶店など滅多に行かない。コーヒーを飲むなら、缶コーヒーやインスタントのもので十分だし、細かい味の違いや風味なんて、自分には分からないし、大差はないと思っていた。
それでも、今日は喫茶店に来る理由があった。昂平はこの喫茶店で人を待っていた。
相手は藤田であった。
目的は昼間、工場に来訪した理由と……そして、失くなったという会社の金の事。
【何かの間違いに違いない。あいつはぶらりと俺に会いに来た。が、あいにく、俺が留守だった為、そのまま帰った。それだけの事に違いない】
昂平がそんな事を思っているうちに、待ち合わせ時間を十分ほど遅れて、藤田が喫茶店にやってきた。
「よお」と少し照れたように藤田が言った。
藤田が照れたように昂平と接するのはいつもの事だ。が、今日の昂平には藤田の行動の一つ一つが不自然に思えてしまう。
「用って、何だ?」と徐に藤田が聞いてきた。
藤田は昂平に何で呼び出されたのかは当然、知らない。薄々は見当がついていたのかもしれないが、藤田は敢えて、昂平にそう聞いてきた。
「今日、(工場に)来た?」と昂平がぶっきらぼうに聞いた。
「……ああ」とやっぱり知っていたのかというような藤田の返事だった。
「何しに?」
「……もちろん、お前に会いにさ」
「何時位?」と敢えて昂平が聞いた。
昂平は藤田が来たのを知っている。だから、時間も何時に来たのか知っている。知っているが、敢えて知らない振りをして、藤田に聞いた。
「十二時半……いや、一時近かったかな」
【合ってる……嘘は言ってない】
「だけど、お前はいなかったし、会社の人も留守みたいで応答がなかったから、直ぐ帰ったよ」
「……直ぐ?」
「ああ」
藤田が嘘をついているようには見えなかった。昂平はそう思った。いや、そう思いたかった。
「あのさ……」と言いかけたところで、やっぱりというか、昂平は次の言葉を躊躇った。
藤田も敢えて、次の言葉を催促するような事はしなかった。
「あのさ……今日、工場で金が失くなったんだ」と昂平はズバッと言った。
「……」
昂平は一瞬で藤田のちょっとした動揺を読み取った。長年、離れて暮らしてはいたが、そこはやっぱり血の繋がった親子である。他人だったら見過ごしてしまいそうな、ちょっとした動揺が昂平には読み取れてしまった。
「……見なかった?」と昂平は先程読み取った藤田の動揺には気が付かなかったかのようにそう聞いた。
「見なかったって?」
「金、見なかった?」
「……さあ」
「じゃあ、社長の気のせいなのかもしれない。今日さ、通帳が無くなったって、大騒ぎだったんだ」
「通帳?」と藤田が少し驚いたように聞いてきた。
昂平は絶望に近いものを感じた。限りなくグレーに思えたものが、はっきりと色を黒に変えた瞬間だった。
無くなったのは通帳ではなかった。現金が入った封筒。見ていないなら、知らないなら、「通帳?」とは絶対に聞いてこない。通帳じゃなかったと藤田は知っていたから、「通帳?」と聞いてきたのである。
「たった二十万ちょっとで大騒ぎさ」と昂平が敢えて、大した事でもないんだと、自分に言い聞かせるかのように言った。
「……」
藤田はそれに対して、何も言ってはこなかった。
昂平と藤田は、藤田と眞由美が離婚をして以来、別々に暮らしてきた。会うようになったのはごく最近の事だ。親子ではあるのだが、自分が思った事をすんなり言葉に出来るほど、成熟した親子関係ではなかった。いい意味でも、悪い意味でも余所余所しさは拭えなかった。
昂平はきっと藤田を問い詰めようとわざわざ呼び出したに違いない。が、それは出来なかった。出来ないというか、どうしたらいいのか、どういう言葉で問い詰めればいいのか、分からなかったのだ。激昂して熱く問い詰めるほど、藤田に対しての愛情はなかったというのが、昂平の偽らざる本音だったのかも知れない。『真実』なんてどうでもいい、と昂平はそう思っていた。