『忘れられぬ人』
『忘れられぬ人』
昂平は桃と別れた後も家に帰る気にはなれず、夜の繁華街をさまよっていた。街はクリスマスの装いで華やいでいた。行き交う人々の孤独や寂しさを、この期間だけは精一杯覆い隠すようにきらびやかに街は彩り、活気に溢れていた。
昂平はそんな大通りからは少し外れた一軒のスナックの扉を叩いた。店の名は『M』といった。扉を開けると、大方イメージ通りのカウンターにテーブル席が三つある程度のこじんまりとしたどこにでもあるようなスナックだった。
「いらっしゃいませ」と明らかに店のママだと推測可能な年配のふくよかな女が愛想良く昂平を迎えた。
他に二十代後半位……女性は化粧をすれば、限りなく年齢の判別は難しくなるし、頃合いよく照明がしぼられた店内では、多少の誤差もあるだろうが、その二十代後半位に見える女がテーブル席で先客の相手をしていた。
「好きな所に座って」と店のママがカウンター席を指し、カウンターの中に入っていく。
「生、ありますか?」と昂平がカウンター席に座り、注文する。
「もちろん。寒くても、まずはやっぱり生よね」と生ビールの準備をしながら、ニコッと笑う。嫌味じゃない笑い。人柄がすぐに分かる優しい笑い。
「はい、お待ちどうさま」とビールと、お通しを合わせて出す。
昂平がビールに口をつける。が、あまり美味そうには飲まない。テレビCMだったら明らかにNGな飲み方だ。
「お客さん、お名前は?」とママが話のきっかけ作りに聞いてくる。
「……昂平です」
未司馬とは答えない。昂平はこういう席では大体、下の名前を答えるようにしていた。
「こうへいさん」
「はい」
「私は美弥子。これ名刺」と昂平に名刺を差し出す。
「すいません……(自分は名刺を)持ってなくて」
「いいの、いいの。私のだけ受け取ってくれたら」
「……すいません」とまた昂平はビールを口につける程度飲んだ。