『二人の父親-4』
玄関近くに無造作に立てかけられた傘。
あの夜、桃が昂平に差しかけてくれた傘だった。
【刑事……】
ありきたりの例えならば、砂漠の中のオアシス……もっと言うならば暗闇の中の一筋の光。その位の衝動を昂平は桃に感じていた。
【それが……刑事だった】
あと二ヶ月で……事件から十五年になる。
昔だったら、それで時効になる。
【終わりなく限りない……】
その時、昂平の携帯電話が鳴った。
昂平が携帯電話の着信相手を確認した。知らない番号からであった。
「……もしもし」と昂平は電話に出てみた。
「……もしもし」
聞き覚えのある声だと昂平は直ぐに思った。
昂平は玄関近くに立てかけてある傘を見つめた。
電話の相手は桃であった。
「平井です」
「……」
「今、アパートの近くにいます」とそう言うと、直ぐに電話は切れた。
「……」
昂平は玄関近くに立てかけてあった傘を手にアパート前の通りに飛び出した。
昂平の目の前にいたのは、あの日、傘を差しかけてくれた桃であった。
刑事ではない、あの日の桃であった。
少なくとも、昂平はそう思いたかった。
「……こんばんは」と桃がか細い声で言った。寒さに震えていただけじゃなかった。
「……こんばんは」と桃と同じ位、小さな声で昂平が言った。
「……」
「……傘」と昂平が桃に差し出す。
「……」と桃は傘を受け取らなかった。
「あの時から……」
「……」
「……知ってたの?」と昂平は聞いた。
桃は静かに頷いた。
「……じゃあ……刑事として」
「それは違う」とすぐさま桃が否定する。
「じゃあ、どうして?」
「……それは……分からない」
「分からない?」
「……分からない」
「……」
「……失礼します」と桃が走り去る。
昂平はただ、走り去る桃の後ろ姿を見つめた。小さく、姿が見えなくなるまで。桃が差しかけてくれた傘を手に。
【分からない……それ以外、言葉は見つからない。目的は何だ?】
激しく揺れる胸の高鳴りを昂平は抑える事が出来ずにいた。
【分からない……それ以外、言葉は見つからない。どうして、電話をかけたんだろう? どうして、家の近くまで行ったんだろう?】
桃はまだ激しく揺れる胸の鼓動を抑えきれないでいた。