『悲しみバレンタイン-5』
桃はデパートで購入した塩大福を手に上村が暮らす家へと向かった。
あの病院での出来事からもう一週間近くが経過し、それからは上村とは全く会っていなかったので、正直、桃は不安だった。が、玄関から顔を出した上村が意外と、いや、桃の想像よりはほんの少し元気そうに見えたので、桃はほんのちょっぴり安心した。
上村が以前、塩大福に目がないと言っていたのを覚えていた桃が、土産にと持参した塩大福を、これまた想像以上に上村はとても喜んでくれた。
上村が早速、桃が土産として持参した塩大福を仏壇に供えた。
桃が仏壇の遺影を見て、
「奥様ですね!?」と聞いた。
「はい。最初は私、塩大福が苦手だったんです」
「そうなんですか!?」
「所謂、食わず嫌いってやつなんですけどね。甘いのにしょっぱいって、何かおかしいじゃないですか」
「まあ、そう言われれば」
「でも、家内が美味しいから食べてみてって、何度もしつこく言うもんですから」
「そうしたら?」
「……やっぱりイマイチでした」
「そうだったんですか」
「でも、ある日、家内が子供たちと出掛けて帰りが遅くなったにも関わらず、私にはご飯の支度とか何もしていない事があって」
「はい」
「自分は一日かけて遊んできて、こっちは仕事でくたくたになって……それは怒りました。怒り狂いました」
「はい」と桃が笑いを必死に堪える。
「それで……」
「それで?」
「家内が楽しみにと取っておいた塩大福を思い出しましてね」
「……食べた!?」
「はい。五個」と片手を上村が広げて言う。
「五個も!?」と同じく桃も片手を広げて言う。
「嫌がらせです。恐らく十個買って、三個は無くなっていたから、家内か子供たちが食べたんでしょう」
「はい」
「残り七個……全部、食べてやろうと思いましたが、でも、五個が限界でした」
「そうですよ」
「でも……食べ進んでいくうちに」
「嵌まった?」
「はい。あれ、美味しいなって……この塩気がやみつきになるなって」
「目覚めたんですね」
「それからはいつも家内と取り合いでした」
「アハハ」と桃が笑う。
「きっと家内も大喜びです。ありがとうございました」
「残り二個……奥さんが十個買って、三個食べてあって、上村さんが五個食べた」
「はい」
「残り二個はどうなったんです?」
「その当時、隣で暮らしていた一人暮らしのおばあちゃんにお裾分けしました」
「確信犯だ」
「さすがに一人じゃ……家内が帰ってきた後が怖い。共犯作りです」とおどけたように上村が言う。
「悪いんだ」
「……懐かしいですね」
「……」
「今でもはっきりと憶えています」
桃が仏壇の上村の妻の遺影に目をやりながら、
「奥様はどんな方だったんですか?」
「自分より夫である私……自分より家族を一番に考える人でした」
「……」と桃はもう一度、仏壇の遺影を見つめた。
「妻が病気になって……」
「……」
「あと半年の命だって、医者から聞かされて……」
「……」
「仕事も何もかも擲って、妻の看護をしようと決めたんです」
「……」
「……怒られました」
「……」
「塩大福を食べてしまった時とは比にならない位」
「……」
「あなたの仕事は何? 刑事でしょって?」
「……」
「……病気は私が責任をもって治すから、あなたは責任をもって事件を解決して下さいって」
「……」
「しんみりとさせちゃいましたね。今、お茶用意しますから。食べていきますよね!?」
「……すみません」
「何個食べていきます?」
「一個でいいですよ」と桃が笑みを浮かべる。
「遠慮なさらずに」と上村が台所の方に行こうとするが、直ぐに戻ってきて、
「そうだ! 謹慎が解けて、明日から復帰する事になりました」
「聞きました。装備課ですよね!?」
「何だ、知ってたんですか」
「はい」
「事件の捜査しかした事がない私にパトカーの配備とか、そんな難しい事が出来るんでしょうか……ちょっと不安です」
「大丈夫ですよ」
「そうだといいんですが」
「時間があったら、見学に行きますね」
「冷やかしは止めて下さい。あっ、お茶、お茶。コーヒーじゃなくていいですよね!?」
「塩大福なので……」
「そうですよね。緑茶が一番だ」とまた上村が台所に行く。
「……」と桃はとても穏やかな笑みを浮かべるのであった。
【それぞれの家族に穏やかなひとときがあって、笑顔があって、かけがえのない思い出があって……それぞれの家族が……そんな家族ばかりだったら、事件も不幸な出来事も起こらなくなるかも知れない。だけど、どんなに幸せに暮らしていても、笑いが絶えない家族でも、時として、不意に不幸が訪れてしまう時だってある。予測が出来ない不幸に見舞われてしまう時だってある。理不尽な運命にどうする事も出来ない無力さや苛立ち、歯痒さを感じながら】
上村がお茶の用意をして戻ってきて、
「そういえば、あの伊達メガネ、元気にしてますか?」
「あれ、伊達メガネなんですか?」
「視力、2・0らしいですよ」
「2・0!?」と桃が思い切り驚く。
その頃、多摩西署では捜査課課長の石井が思い切りくしゃみをする。
「風邪かな」と首を傾げ、少しずり落ちたメガネを人差し指で上げた石井であった。




