17葛藤
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翌朝、いつも通り挨拶をする瑞希から、亨は目を逸らした。
教師として、いけないことをしているのは知っている。でも、これ以上瑞希とどうやって関わったらいいのか分からなかった。
瑞希の余命一か月の体は手足は異常な程やせ細っているのに、顎から首にかけて腫れたように浮腫んでいる。制服の上からも分かるくらい膨らんだお腹は、末期癌の腹水のせいらしい。
俺はいったい、何をしているんだ?
生徒に挨拶もせず、冷たい態度をして平然としている。林田瑞希はいたって真面目な生徒で、何の問題も無い子だ。なのに何故…?
病気だからか?病気で学校へ満足に来られないからか?
それとも、彼女の中に、未花ちゃんがいるからか?
やっぱり…彼女が亡くなってしまうと、せっかく再会できた未花ちゃんがいなくなってしまうからかもしれない。だから、思い出したくない過去まで思い出して、自分は不釣り合いだと言い聞かせて、忘れようとしているのかもしれない。冷たい態度をすれば、きっと嫌いになって近寄って来なくなることを期待しているのだろう。
俺は何て情けなくて最低な男なのだろう、と亨は自分に嫌悪する。
大切な人の残りの命が短いのに、それを受け入れることも、一緒に寄り添う勇気すらない。
でも、どうしてもこの現実を受け入れることができないまま、あっという間に一週間が過ぎた。相変わらず瑞希に冷たい態度をして、申し訳ない気持ちはあったけれど、次第に、あと数か月やり過ごせば、瑞希は卒業する。もしかしたら彼女の言う通り、卒業を待たずに亡くなってしまうかもしれない。そしたら、ただ担任として教え子の死に悲しむだけでいい。だって、未花ちゃんは姿があるわけではないのだから、と思うようになっていった。そしてそんな自分を肯定するかのように、他の生徒の世話を熱心に焼くことで、逃避するようになっていった。
亨が逃避にはまっていくのと比例して、瑞希の体調も悪化した。
気が付けば毎日学校へ登校することが難しくなり、週に一日しか来られない日も増えた。
亨は心のどこかに、逃避では埋められない言い知れぬ寂しさを感じてとても辛かったが、そんな気持ちをお酒を飲んで必死で誤魔化した。
これでいいんだ。どうせ長く一緒にいられないし、彼女の中の別の人格が未花ちゃんだっていう証拠もないんだし。
しかし、そんな日々が続いたある日、誰もいないはずの放課後の教室へ忘れ物を取りに行こうとして、立ち止まる。
何と、ここ数日姿を見せなかった瑞希が、目を輝かせて楽しそうに声を上げて笑っていた。
亨は教室に入るのを躊躇って、窓からこっそり様子を伺う。すると、瑞希と笑い合っている相手は、副担任の甘川弘人だと知り、心臓が止まりそうになった。
嘘だろう?!
ごくん、と固唾を呑んで、二人を見続ける。
すると、瑞希は今まで亨に見せたことも無い幸せそうな表情で、弘人に微笑みかけた。
えっ…。
瑞希の意外にも大人っぽい女らしい表情に、亨は目を疑う。どうやら、何か相談事をしているようだけれど、弘人もまるで恋人にでもするみたいに愛おしそうな目で瑞希を見ている。
そして、次の瞬間、二人は手を取り合い見つめ合った。
「…これって…嘘だろ?」
亨は力無く呟くと、心のどこかで怒りと悲しみに似た不思議な気持ちが湧いてくるのに戸惑う。
まさか、嫉妬ってやつだろうか?
三十七歳の俺が、中学生に嫉妬って…。
しかし、その感情は抑えきれず、そのまま仲良さそうな二人から目を逸らして、職員用トイレへと走る他無かった。
嘘だろう?嘘だろう?嘘だろう?!
何で、俺は嫉妬しているんだ?相手は中学生で、クラスの生徒のはずなのに。
自分より、二十二歳も歳の若いまだ子どものはずなのに、本当にどうかしてる。
いや、違う。そうじゃない。年齢じゃない。俺は、瑞希とまるで恋人同士みたいに仲の良い、甘川先生に嫉妬しているんだ。
一瞬、脳内で瑞希の姿と未花の姿が重なる。
―亨君
大人なのに、幼い子みたいな舌っ足らずの可愛らしい声。大きくてくりくりした目。その目からぽたりぽたりと涙が流れたような気がして、亨は思い切り頭を横に振った。
違う、瑞希さんは未花ちゃんじゃない!!
じゃあ、何で嫉妬しているんだ?彼女の中に未花ちゃんがいることを知っているからだろう?
気が付けば、職員用トイレの洗面所で泣きじゃくっていた。どれくらい泣いていたのだろう?とんとん、と肩を叩かれて慌てて涙を拭う。
「中田先生、大丈夫ですか?」
大丈夫です、と返事をしながら顔を上げて、再び言葉を失う。何と肩を叩いたのは、他でもない弘人だった。
弘人はそんな亨の心の内を見透かしたように余裕の笑みを浮かべると、耳元に顔を寄せて小さな声で言った。
「最近随分と瑞希さんに冷たいですよね?彼女から相談されましたよ?いいんですか?」
「何が、ですか?」
「そんな意地悪ばかりしていると、大切な瑞希さんを誰かに取られてしまいますよ?」
「……!!」
驚いて言葉を失った亨に、何事も無かったかのように小さく会釈すると、弘人は悠然と職員室へと戻って行った。
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