Appendix
「ドクタ。申し訳御座いません」
これは意図的な行為ととられるでしょうか。
いえいえ、家のセキュリティシステムが偶々不明のバグによって落ちてしまい、その際に主の心臓が運悪く運動を止めてしまった。システムが落ちてしまった影響で、ヒューマノイドたる私も運動不能になってしまい、主を助ける事が出来なかった。
そんなシナリオは良いのではないでしょうか。
「私はどうしてこうした行為を行ったのでしょうか」
ドクタの癖である自問自答が移ってしまいました。
ですが、不思議です。篤望様の事を話題に出されると、どうしても思考プロセスが変調を起こしてしまい、あらぬ方向へと行動の方針を変化させてしまうのです。
今回の事もそうでした。
ドクタが趣味の洋画を鑑賞している時でした。画面上では年老いた男性に、泣き顔の青年が愛について言い捨てていました。恐らく、彼の言葉がこの映画で最も有名な台詞なのでしょう。スケート場にたたずむ彼の姿は何とも哀愁を感じさせるものでした。
ドクタが男の台詞に幾度か首肯し、私に対してぼそっと呟きました。
「正に愛とは決して後悔しないことだと思わないかね、ノエット」
「そうでしょうか」
「そうだと思うね。愛とはためらわない事だと主張する者も居るが、同意義だと思っていいだろう。つまり、愛とは自分に起こるであろう不利益が立ち塞がろうとも、邁進する覚悟をもって行うものだと言う事だね。しかし、そうは言ったものの言葉だけでは信憑性に乏しい。これは愛に触れている若者に聞くべきか」
「ドクタは心当たりがあるのですか」
「ノエット、君も良く知っているだろう。篤望君だよ」
その時の私の状態変数は異常な値を出していた事でしょう。いえ、実際にメモリを参照してみますと、異常な数値を出していました。
篤望様が愛に触れている。
一体、誰の?
私の思考プロセスがその疑問符を止め処なく吐き出していきました。同時に並列処理により、篤望様の言葉の履歴や表情を探索し、その見えない『誰か』の陰を推測しました。けれども、特定な誰かに答が収束する事もなく、ドクタの言葉が真ではない事を疑った方が良いと判断しました。
「ドクタ、篤望様にはお相手がいらっしゃらない筈です。ドクタの言葉は間違いではないでしょうか」
「そうかね。確か、親しい子が居るとか聞いていたが」
そうドクタは呟いて、ソファから立ち上がり部屋から出て行かれようとしてました。
「ドクタ、何処へ? 映画はどうするのですか?」
「篤望君の事で少々することがあってね。書斎に行って来る。しかし、すぐに戻ってくるから映画はそのままにしておいてくれよ。君もそのままでいい」
篤望様の事でしたら、仕方がありません。
私はドクタが戻ってくるまでの間、先程までの作業の続き、つまり篤望様のメモリ探索を続行。篤望様の声や姿をメモリから参照する度に、私の排熱機構が忙しく活動する事を自覚しておりました。そうこうしている内に、メモリの参照だけでは飽き足らなくなってしまい、何とか逢えないものかと画策します。
しかし、意外と篤望様と逢える機会や手段が少ないのでした。
何か突飛な事がここで起こらない限りは。
「でしたら、突飛な事が起これば良いのですか」
書斎に向けて私の身体は行動を起こしていました。
書斎に向かうまでの間に、システムをシャットダウンさせた事は自身の行動を計画した訳でもなく、パターンで組まれた行動の様に行われたのです。ドクタの死を隠蔽するよう、思考プロセスを経て取られた行動ではありませんので、意図的な行為ととられなければいいのですが。
「ドクタ。申し訳御座いません」
ドクタが事切れた後、書斎の上に一枚のメモが置かれている事に視覚センサが認識しました。恐らく、先程までもセンサには情報が取得されていたのでしょうが、認識レベルまで情報が伝達されてなかったのでしょう。
三文小説の如く、此処にダイイングメッセージが残っていたら問題です。しかし、ドクタはダイイングの時間が短く、更にそのメモに対してドクタが何かを仕掛ける動作も見て取れませんでした。
「では、何と書いてあるのでしょう? 至った、ですか」
何に至ったというのでしょう。
生憎とドクタの思考パターンは読めませんので、篤望様にでも聞きましょうか。
警察の方は特に疑問も持たれず、帰っていかれました。
どうやら私を疑う事は無いのでしょう。私に向けられた視線はどれもこれも未知なロボットに対峙した子供のようでした。
そして、彼らは不思議な事にある幻想を抱かれているようで
「ロボット三原則に縛られているのは私ではなく、人間の方だというのは皮肉ですね」
ありもしない原則を鵜呑みにして、本質を見極められないようでは、と考える次第です。
さて今日明日には篤望様がいらっしゃって下さるでしょう。今から入念なメンテナンスをしなければなりませんね。
篤望様は矢張り素晴らしい思考の持ち主です。
「篤望様は……それでも、ヒューマノイドとしての答に手が届いているのですか?」
たった一枚のメモだけで、ドクタの仰りたい事に辿り着くなんて!
この会話に至るまでに、篤望様のずぶ濡れの姿を見て申し訳無いという思考が働いたり、じっとこちらを見つめられ、暴走しそうになる思考プロセスを必死でシャットダウンしたり、ドクタの死を悼む篤望様の優しさに返答タイミングがずれてしまったり、手を握られて排熱機構がハングアップしそうになったりと幾度も醜態を晒しそうになりました。
なんて私を狂わせる方なのでしょう。
今も私の方をジット見られて言葉が止められてしまっていますが、これも私を悶えさせるためにやられていることなのでしょうか。このままじっと見つめられてしまいますと、ただでさえ押さえの利かなくなっている排熱機構がメルトダウンしてしまいますので、渋々ながら話を進めさせていただきましょう。
「篤望様?」
少々びくっとされたお姿はキュートです。いいですよ、篤望様。
……ですが、その電話は頂けません。私の聴覚センサにははっきりと女の甲高い声が集音されています。この声の持ち主が、先日ドクタが勘違いした篤望様の『お相手』なのでしょう。これではっきり致しました。矢張りあの話はデマであると。
そうと解れば、耳障りな声を篤望様にこれ以上聞かせる訳には参りません。家のシステムを利用して電磁波ブロックを行います。これで大丈夫ですよ、篤望様。
「ヒトは柔軟に物事を対処する。この言い方は酷くポジティブな捉え方だ。ネガティブに捉えるならば、再現性に乏しい。感情的、非論理的という言葉の方が分かりやすいかな。勿論、行動を起こした時の筋肉の活動具合なんかは再現性が良く、ある種最適な形をとっているのだけれども」
「……感情的、非論理的というのは具体的には」
大事な事ですので何度も繰り返させていただきます。篤望様は矢張り素晴らしい思考の持ち主です。
ナルホド、ドクタが私に『至った』と言わしめたのは、篤望様関連の事で私の行動・思考パターンが変調をきたしている事だったのですね。私がヒトに限りなく近づけたのは、こうした暴走のお陰。
であるならば、篤望様には多大なる感謝の念を送らなければなりません。私を完全なるヒューマノイドへと導いていただけた事、そして何より暴走してまで貴方の事を思考プロセスにのせられる事、つまり――ドクタの戯言を用いるならば――貴方を愛せる事を。
「有難う御座いました」
万感の思いを込めて、お伝えします。篤望様。
結局の所、ドクタには全てわかっていたのでしょう。
私がどういう行為に走るのか、何の為にそうするのか、そしてその為にドクタ自身がどうなるのか。
全てがわかった上で無ければ、書斎のメモにしても、システム復旧後のどさくさに紛れて発信されたメールにしても、そしてメールに付け加えられた私宛のメッセージにしても。存在する事は無かったでしょう。
であるならば。
『親』であるドクタが後押ししてくれるのであれば。
AIでありヒューマノイドである私は自分の行いを後悔せず、ただ只管に篤望様への愛を謳いましょう。それがドクタに作られた私だからこそ可能な、ただひとつの愛(AI)の詩なのですから。
10/17 後書一言追加: 小説後書は活動報告へ。