1.死の淵
私は天国も地獄も信じてはいないが、あの世は信じている。
というのも、それに近い場所へ行った経験があるのだ。
それは私の価値観を変えるほど大きく、そして夢の中のように不思議な記憶として、今も残っている。
最初に感じたのは、爆薬の匂い。
肉が焼ける匂い。
嗅ぎなれた戦場の匂いだ。
「ここは、、、」
ぼーっとして、思考がまとまらない。
そう、たしか、
俺は爆発に巻き込まれて、、
「、、、っ!!」
自分の体を見回す。
ケガもなく、痛む場所もない。
だが覚えている。
熱で皮膚が焼ける痛み。
破片が体に食い込む感触。
そして、ばらばらに吹き飛ぶ自分の体、その光景を。
あれは確かに「死」だった。
「俺は、、、生きているのか?」
状況が呑み込めない。
しかしここが危険地帯であることは確かなようだ。
叫び声と火薬のはじける音が、ここが危険地帯だと知らせている。
「とにかく今はここをはなれないと」
這うようにして、瓦礫の陰に隠れる。
周囲うかがうが、土煙で視界が悪い。
何人もの人間が争っているのはわかるが、砂ぼこりに影が映るだけだ。
警戒しつつ愛用の銃を取り出そうとするが、どこにもみあたらない。
「ちっ、これはむやみに動かないほうがいいな」
だんだん思考がまとまってくる。
にわかには信じられないが、どうやら俺は生き残ったようだ。
そうすると、自分は戦場のど真ん中にいることになるが、どうやら様子がおかしい。
「銃声が少なすぎる。そしてこの断続的な爆発はなんだ? 戦車や空爆とも違う。もっと小規模な」
作戦は成功した。
爆発工作は成功し、敵拠点は吹き飛んだ。
それは確かなはずだ。
俺はその爆発に巻き込まれて、、、
「っつ!!」
再びあの映像がフラッシュバックし、思わず顔をしかめる。
「いや、だが俺は、、、。くそっ、どうなってるんだ!」
もしや夢を見ていたのか。
それともこれが夢なのか。
思考を巡らしていると、土ぼこりの中にスッと大きな影が現れた。
(戦車!)
とっさに土を巻き上げて身を隠す。
この視界の悪さだ。
身を潜めていれば見つかることはない。
「いったいどこの軍隊、、、」
その先の言葉は出てこなかった。
埃に移されたシルエットは、戦車のそれとはかけ離れていたからだ。
「これ、は」
唖然としてシルエットを見つめる。
それは4メートルはあるかという、巨大な人の形をしていた。
腕も足も二本ずつ。
人と同じように、二足歩行で歩いている。
ひと際目を引くのは、背中に生えた翼のような何かと、鈍く光る単眼の目だ。
よく見ると、頭の上にも何か浮いてるように見える。
これが何かはわからない。
しかし直観が、これまでにないほどの危険信号を出していた。
「くそ!」
息をころして通り過ぎるのを待つ。
あれに見つかれば殺される。
それだけがはっきりと理解できた。
「あんな兵器、見たことも聞いたこともない。そもそもあれは兵器なのか」
自分の知っている世界のものとは、異質に感じる。
まるでフィクションの中から、そのまま出てきたようだ。
だんだんと視界が晴れてくる。
そのころには巨人の影も遠くなっていた。
やっと顔を上げ見えてきた景色は、しかし巨人よりも異様なものだった。
「、、、冗談だろ」
空が赤黒い。
夕焼けでも朝焼け度もない。
胸やけを起こしそうな、気味の悪い赤が、空一面に広がっている。
硝煙の匂いの後に残った、嗅ぎなれた腐臭。
そして、信じられないほど巨大な、柱のような何か。
一直線に伸びるそれは、まるで頂上が見えない。
赤黒い空を、突き抜けるようにそびえたっている。
「なるほど、な」
理解した。
いや、本当はわかっていたのだ。
だが、とても信じられなかった。
ここは夢ではない。
しかし現実でもない。
「俺はあの時、確かに死んだんだ」
爆発の瞬間に感じた「死」の感覚は、間違いではなかったのだ。
「ここは、『あの世』か」
1話 地獄の淵
「何よ、これ、、、」
理解できない。
目の前で起こっているこれは現実なのか。
人がいる。
大勢の人が、銃を、刃物をもって。
それが
羽の生えた巨人に殺されている。
あるものは潰され。
あるものは引きちぎられ。
ただひたすらに惨殺される地獄。
私はそこにいる。
なぜ。
どうして。
いつから。
なにもわからない。
「ひっ!」
ぬっと、出てきた影に覆われる。
震えながら頭上を見ると、そこには巨大な単眼が不気味に光っていた。
殺される。
逃げようとしても恐怖ですくんで動けない。
ゆっくりと巨人の手が迫る。
「だ、だれか、、」
もうだめだと目をつむろうとしたとき、巨人の頭部で突如爆発が起きた。
「うっ!」
数メートルは離れた場所まで、地面を転がされる。
何が起こったのか。
頭を上げると、体勢を崩した巨人と、それに立ち向かう人影がみえた。
それはとても奇妙な姿だった。
真紅のロングコートと黒のインナー。
厚い茶色のベルトには二丁の拳銃が掛かっている。
何より目を引くのが、白い髑髏をかたどったフルフェイスマスク。
コートのパーカーも羽織っているので、顔は少しも見えないが、髑髏が敵意を象徴しているようだ。
「っ!」
目があった、ような気がした。
一瞬にも満たない時間だったが髑髏の奥の光が、こちらに向けられた気がした。
怖かった。
ただひたすらに怖かった。
あの巨人よりも。
「あ、ああああああ!!」
悲鳴とも叫び声ともつかない声を上げて、一心に逃げだした。
知らなかった。
自分に向けられたものでなくても、明確な殺意が、こんなにも怖いものとは。
巨人を見たとき動けなかったのが嘘のように、ただ走り続けた。
混乱で抑えられていた感情があふれ出してくる。
なぜこんなことに。
いやだ、死にたくない。
死にたくない。
たすけて。
だれか、だれか
「だれか、たすけて!!」
どれだけ走ったのだろう。
もう走れない。
膝をついて座り込む。
ずいぶん長く走ったような気がするし、ほんのすこしだった気もする。
しかしどうやら、地獄を抜けることはできなかったようだ。
鈍い地響きが近づいてくる。
目の前には巨人が立っていた
「もう、いや、、」
逃げる気力も体力も尽きた。
数秒後い迫る死を待つことしかできない。
ゆっくりと巨人の拳が持ち上げられる。
あれにつぶされたなら、痛みを感じることなく死ねるだろう。
この悪夢から解放されるなら、それもいいかもしれない。
拳が落ちてくる。
迫る確実な死。
しかしその瞬間、物影から一人の男が飛び込んできた。
「きゃっ!」
飛び込んできた何かに体当たりをされ、地面を転がる。
直後、後方で地響きが鳴り響いた。
見ると、巨人の拳が地面にクレーターを作っていた。
「何考えてんだ、死にたいのか!」
引きずられるようにして走る。
振り返ると巨人が追ってきているのが見える。
それを見て、再び恐怖が湧き出てくる。
「こっちだ!」
男は慣れた様子で瓦礫の隙間を縫っていく。
私という足手まといを抱えているのに、巨人との差は縮まらない。
「この中だ!」
男は瓦礫の隙間を指さす。
中は暗くてよく見えないが、かなり深いようだ。
滑り込むようにして、穴の中に入ると、少し間をおいて巨人が穴にぶつかる衝撃があった。
しかし巨人の大きさでは、入ってはこれないようだ。
「ここならひとまずは安全だ。奴らは入ってこれない」
男は話しながら奥へと歩いていく。
「あ、あなたは何者なの? ここは? あの化け物は?」
「やっぱり、あんたも知らないのか。残念だが俺も知らない。つい数時間前に目が覚めたばかりだ」
少し開けた場所に出る。
上から光が漏れているようで明るい。
いままではっきりと見えなかった男の顔が見える。
やや褐色の肌と黒髪、そして灰色の目。
言葉が通していたので日本人だと思っていたが、違うようだ。
身長はそれほど高くないが、鍛えているようでガタイはいい。
灰色のゴツゴツとした服から察するに、軍人かそれに近い人間だろう。
「あんた名前は?」
男が適当な岩に腰を落として問いかけてくる。
「時崎、時崎ミズノ」
「俺はウィル。短い付き合いだろうが、よろしくな、ミズノ」