現を夢に溶き流し(一)
「それでねえ、もう三日にもなるんですよ。若い娘が一人でうろうろして危なっかしいったら。そのうち悪いやつに引っかかるんじゃないかと、気が気じゃなくって……」
すらりとした手に碗を収めて語るのは、店の中で浮き立って見えるほど華やかな女性だった。思案顔の彼女の向かいに座したロクハは、自らも茶を口にしながらうなずいた。
「冥狐さんのところは、他所からもたくさん来るものね」
「そうそう。ゴロツキからロクデナシまで、あらゆる駄目人間が集まるんですのよ。盛り場があるとこれだから困りますわ」
冥狐はしっとりと顔をかしげ、眉をひそめた。真珠の耳飾りとゆるく波打つ輝く髪とが一緒になって揺れる。凝った形に結い上げた部分には、先ほど贈られたばかりのかんざしが完璧な角度で添えてあった。
「困るって、その駄目人間から金を巻き上げているのは誰だというんだ」
厨房から出てきたリリンがぶっきら棒に言い放つと、冥狐は大げさに目を丸くした。
「姉さま、この子いつになったらあたくしに優しくして下さるんでしょう」
「これで案外気に入ってるのよ、冥狐さんのこと。ね、リリン」
とロクハが笑う。弟はどこ吹く風で、楽しげな二人に小皿を供した。きれいに切り分けた棹物菓子が本日のお茶請けだ。
「気に入っているさ、お前が持ってくる菓子の方を。それでその変な娘がどうしたんだ」
「変な…… まあ変わった様子だったんで、つい昨日声を掛けてみたんですのよ。あなた何してるのって」
彼女は優雅に碗を傾けてから話し出した。
日が落ちて空が青に沈むころ、乃鞠の町は目を覚ます。大通りの両脇に並ぶ花行灯に火が入り、一日の労働を終えてきた男たちを鮮やかに照らす。
癒しを求める浮ついた足取りに、酒場や料理屋の呼び込みの声。湯場の煙突から立ち上る煙には、辻楽師の奏でる流行り歌が絡む。この辺りでは一番の歓楽街である反魂通りは、そういったもので成り立っていた。
その娘は、唐突に話しかけてきた艶やかな女を不審げに見返した。
「な、何でもありません」
精一杯隠そうとしていたが、言葉の訛りは明らかだ。頭からつま先まで飾り気はほとんど見られない。料理女でさえ小ぎれいなこの町では、彼女の素朴な佇まいはまったく異質なものだった。
「あの、私お酒はやらないです。お客だったら他で引いてください」
実直に拒絶され、冥狐は困ったという風に微笑んでみせた。
「あたくし酌取りじゃないんですのよ。あなた近ごろよく見かけるもので、ちょっと気になって……」
そう話しかけられている間にも、娘の視線は冥狐の周りに走っていた。何やら見定めてはまた次へ、飛び石渡りでせわしなく。
冥狐はようやく合点がいって、思わず手を打った。
「ああ、人探しなのね!」
「えっ!」
どうしてわかったの、と書いて貼ったような顔をした娘に、冥狐は手招きしながら言った。
「そういう事なら力になれるやもしれません。あたくし、横町で占いをしておりますの。さあさ、お出でになって」
「でも、見料って高いですよね。とてもそんな……」
不安げな面持ちの中にも心惹かれる気配。冥狐の嗅覚が逃すはずはなかった。彼女は子どもっぽく胸を張って言った。
「我が占柳庵は、世にも稀なる出来高制の占い処。お役に立てた時のみ、後払いでお気持ちを頂いております」
ただし気に入った客に限る、と注釈が入る。たいていは適当な酔客相手に煽っておだてて金を積ませているのだが、それはそれ。占い師は切れ長の目を糸のようにして笑った。
「ものは試し、でございます。何か当たれば儲け物と思って」
冥狐ひとりでやっている店だと説明すると、娘は恐る恐る着いてきた。そして本当に一人分の幅しかない戸口に立った時に、ようやく彼女を信用したらしかった。
戸を閉め切ると、路地裏まで響いていた喧騒はほとんど消えた。うなぎの寝床顔負けに細長い店は、行灯一つでじゅうぶんに明かりが行き届いてしまう。
「では始めましょうか」
薄物の仕切り布を引き、冥狐は気軽な調子で声をかけた。たくさんの札を座敷の上に混ぜ広げ、一つにまとめて手早く切る。重ねた札を扇のかたちにひと撫ですると、少しの乱れもない半円が描かれた。
「まずは一枚。お探しの方を思いながら選んでくださいな」
彼女の札さばきに見とれていた娘は慌てて片手を伸ばした。つぶらな瞳の中に、にわかに切実な色が浮かんだのを、この場の主は黙って見つめていた。
よく日に焼けた健康そのものの手指は、たっぷり迷いながらもついに札を選んだ。
「それで結果は、どこにいるかわかったの?」
ロクハが身を乗り出して尋ねた。
「そう、ならよかったんですがねえ。引く札引く札どれもちぐはぐで、ほとんど読めやしなかったんですよ」
お手上げとばかりに肩をすくめた彼女を横目にしたリリンは、
「誘っておいてそれは廃業ものじゃないか」
と呟いた。ロクハが「もう」と弟の頭をつつく。
「唯一わかったのは尋ね人がかなり遠くにいるってことで。あたくしの言い方がまずかったのか、あの人死んじゃったって泣き出してしまって、もう大慌てですよ」
姉弟はその光景を思い浮かべた。
「あ、あらあら」
「やっぱり廃業した方が……」
「本当、看板下ろそうかと思いましたよ。何とかなだめて、地理の上での居場所が遠いんだって説いたんですけどね、次はこんなこと言うんです。それはおかしい、無事であるならこの町の近くにいるはずだって」
茶杯を卓に置き、ロクハがむむと考え込んだ。
「そこは確信があるのね。その娘さん、どういう事情がおありなの?」
「それが、朝早くから働きに出るからって時間がなくなっちゃって、詳しくは後日ってことにしたんです。それならお二人にも一緒に聞いてもらおうと思って、お願いに上がったんですのよ」
冥狐が胸の前で手を合わせると、館の主は二つ返事で快諾した。
「人探しなら、なおさら急がないとね。いつでもお迎えするわ」
「さすが姉さま、頼りになります! 善は急げで明日参りますわ、道を開けておいてくださいね」
満面の笑みになった冥狐に、リリンがふと尋ねた。
「その娘、どうやって連れ出すつもりだ。馴染みの店だから長居できるとでも言うのか」
「いえいえまさか」
と、冥狐が手をひらひらさせる。
「あたくしより腕のいい占い師を紹介するって言い、ました。結果が出るまで時間はかかるけどよく当たるからって。とっても自然な誘い方、でしょう?」
彼女は悦に入って身体を揺らし始めた。それを聞いたロクハも、隣の弟に向かって声を躍らせる。
「わあ、どっちが占い師する? いっそ二人でやろうか、でもリリンの方が似合うかなあ。ねえってば!」
頭を抱えた少年の肩を、姉が無邪気に揺さぶった。




