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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第十二話
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竜を断つ者・後編(七)

 白くたおやかな頬の線。腰までもある髪はつややかな輝きを帯び、夜の河のようだ。若草に映える純白の上衣に深緑の()。華奢な手を胸の前に組んで、彼をひたと見つめていた。

 初めて会うはずだ。しかしその大きな瞳は、まぎれもなく探し求めていた少女のものだった。

「あなたは……」

と、東青の声が震える。

「……六葉(ろくは)、です」

 花びらのような唇がひらいた。しかし、その言葉もまなざしも、なにかを恐れている。それに気づいた東青はどうにか心を鎮めてそっと語りかけた。

「無事だったのですね」

「はい」

 彼女はふたたび与えられた世界にまだ馴染んでいないようだった。東青は、まばたきのうちに相手が消えてしまわないかと心臓を波打たせた。

「リリン君と、みなさんは」

 彼の問いに六葉は、「利稟(りりん)は、あちらに」と首をかしげた。片側にとめられた水晶の櫛が陽光をはじく。その輝きの向こう。彼女の後ろの木陰に腕組みをした少年がたたずんでいた。

「一緒だったんだね…… よかった、本当に」

と、東青の顔に微笑みが浮かぶ。変わらぬ姿の少年は、彼を見返して「まあ、そういうことだ」と肩をすくめた。そっけない態度すらも懐かしい。

 あいつらは、と利稟が頭をめぐらせた。

「じきに会える…… と、思う。見え方は少し変わったかもしれないけれど、確かに感じるから」

 消えてはいない、それが重要だ。澄んだ調子でそう言ってから、利稟は「姉さん」とうながした。六葉が一歩前へ出る。

「東青様」

 少しだけ幼さの見え隠れする声。東青のまぶたにロクハの姿が浮かぶ。

「あなたとみんなのお陰で、私は戻ることができました。竜は、私を…… みずからの欠片をこの地に残したのです」

 すべてを差し出して、一度は混ざり合った。

 しかしその中で竜に尋ねた。

「これが私の大切なもの。あなたは? 戦いの後であなたはなにを見て、どんな思いを抱いてここまでやって来たの」

 教えて、私の心が消える前に。

「失われるものに与えようと、意味を成さぬ」

 ううん、そんなことない。私はあなたを知りたい。ひとつになる相手のことを、たった一瞬でもこの心にとどめたい。

 長いあいだ答えはなかったが、やがて「不可思議な欠片よ」と呟きが響いた。

「よかろう、分け合おう。お前の記憶と我の過去を。互いが望むようなものではあるまいが、これも最後のたわむれ……」

 その言葉を合図に閃光が走った。

 遠く平和だった時代と、終焉(しゅうえん)のとき。守ったものに負わされた傷の痛み。怒りにまかせ留爪丘を消し、その後で感じた深い虚しさ。

 そして大地を離れ、身体を休めたはるかな(そら)。星の光を数えながら悠久の表層に触れた日々。

 その翼には片時も離れずに孤独が寄り添っていた。

「私は、それに手を伸べようと……」

 そう言って東青を見つめる六葉の瞳に、天の光が揺れたようだった。

「覚えているのはそこまでです。空白のあと、利稟をともなってここへ辿りつきました。東青様が、呼んでくださったから」

「それでは…… 竜は去ったのですね。宿命は変えられたんだ、あなたはもう何にも縛られない!」

 東青が抑えきれない喜びをあらわにするが、六葉はうつむいてしまう。か細い声でこう告げた。

「私は、これまでとは違っています」

 その変化こそが六葉を怯えさせていた。

 力ではなく記憶を受け、あるべき姿で地上に返された今、彼女は特異な経験を語るひとりの人間にすぎない。誰に言われるより自分で分かっていた。

 これが本当の私?

 噛みあわない感覚。戸惑い、焦燥、不安。

 確かなものはひとつもなく、彼女自身がかつての己を求めている。東青が出会い、時をともにした、人と竜のはざまに揺らぐ不完全な少女……

 永遠に失われたロクハを。

 しかし、東青は力いっぱい答えた。

「私の心は変わりません!」

 あふれる思いを乗せた答えが草原に響き渡る。顔を上げた六葉の頬を涙がすべり落ちた。彼は足を進める。少し駆け、手を伸ばせばすぐに届く。ずっと探していた愛しい人に。

 強く抱きしめられながら六葉は至福の波に目を閉じる。東青は、彼女の耳もとでまっすぐに告げた。

「生きてください。共に」

「はい……!」

 そう答えた声には確かに少女の面影があった。だが、もうそれを追うことはない。手を取り合って道をゆこうと誓ったのは、いま腕に抱いた六葉にほかならないのだから。

 得たものと失くしたもの。過去と、未知。すべてを内包して彼女はうつろい続ける。彼と同じように、この大地の上の小さな存在として。

 見守っていた利稟が呟く。

「先に言っておこう。意地でも義兄(にい)さんとは呼ばない」

 ふたりは近づいていた顔を見合わせると、恥ずかしそうに笑った。

 日ざしに包まれる三人のもとへ懐かしく賑やかな声が届いたようだった。よかった、幸せに…… また、少し後でな。きっと顔を出すから……

 優しい言葉をさらって、大きな風が駆け抜ける。

 陽光がきらめかせる木と花と草、沢をゆく清水。そしてそこに生きる小さなものたち。

 彼らの思いを夢に見ながら、竜の丘はいつまでもまどろみの中にある。



挿絵(By みてみん)



 広げた翼が宙を打った。

 無限の闇の先に星々がきらめく。竜は、少しだけ欠けた己の魂をなぞった。奪ってしまってもよかった。しかし自身の記憶がそれを止めた。

 最後の夢見渡りは遺言を残した。争いを悔いたその言葉も、彼自身も、とてもちっぽけなものだったはずだ。

 だが、聞き届けた者は彼を信じて碑を建てた。それから長きを経て、記された名を知った者が最後の場所に現れたではないか。宿命を打ち倒すためではなく、ただ一人の少女を救わんとして。

 思いはつながったのだ。

 強大なはずの自身さえ完全ではなかった。そしてかの地は、最初の戦いが始まった瞬間から我が手を離れていた。

 導き出される答えはひとつ。新たな旅立ちだ。星をも越え、果ての先へ。

 あの少女は、と竜は考える。我が記憶を、物語を伝えてゆくはずだ。我もまた何者かに出会い語るときが来るだろう。

 その日まで乙女から受けとった欠片たちを永久(とこしえ)の旅の供としよう。

 とても小さく、たしかに温かい。愛した大地で育った奇妙でかけがえのないものを抱き、いま竜は進みはじめる……

 心のうちに、ひとつめの物語を紐解きながら。



                 (竜の丘の茶藝館  完)

「竜の丘の茶藝館」は完結いたしました。

この作品の中に少しでも心に残るものがあったら嬉しいです。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!



長い話になりましたが、読んでもらっているということが力となって書き終えられました。

連載中に目を留めて下さった方々へ、ここに重ねてお礼を申し上げます。



また新たな作品でお目にかかれるよう頑張ります。

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