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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第十二話
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竜を断つ者・後編(六)

 小さきものよ

 何ゆえ留爪丘を知るか


「夢見渡りの碑のもとに」

 闇の中で、彼は不器用に答えた。

 答えを受けた証か、轟く風と共に視界が閉ざされた。言うべきことはまだあるともがくうちに手足が重く、動かなくなる。

 音のない世界を漂った彼は、深海につもる塵のように静かに下降していった。

 時間の感覚を失ってなにかの底に行き着く。ここが終わりの場所だろうか。

 ……さん、兄さん。

「兄さん、しっかりしな!」

「よし、目が開いた。人を呼んでくるっ」

 耳もとでざくざくと音が鳴る。雪を踏む音だ、と東青はうつろに考えた。

「眠っちゃだめだ。怪我はないか? すぐふもとに下ろすからな!」

 分厚い手袋をした手が頬を叩く。うっすらと開けた目に、灰色の空と山男の顔が映りはじめた。身体中が強張り、凍えている。口を開こうとするがあまりの寒さに歯が鳴っただけだった。

「牙骨丘だよ、わかるか。もう大丈夫だぞ」

 男が身体を起こしてくれ、上着をかけてくる。震えながら見渡した竜の丘は、一面が見事な雪景色だった。たがそこに茶藝館の姿は見えない。

 間に合わなかったのか。なにもかも失われたのか……?

 木戸に乗せられて山を下りる途中で、東青の意識はもういちど闇に落ちた。

 そこからはおぼろげな記憶しかない。高熱に浮かされて切れ切れの夢を泳ぎ、目を開けるたびに様々な顔がのぞいていたが、探し求めた人はついに現れなかった。

 ……現れるはずがない。彼女は目の前で光に溶けてしまったじゃないか。

 私は救えなかった。

「望みはあるよ、東青君」

 漠先生? しかし確かに見たのです、あの人の最後を。

「牙骨丘は消失を逃れ、今もここにある。留爪丘とは別の運命を辿ったのだ。さあ、しっかり休むといい」

 休む。休んで起き上がって、それから次は?

「探しに……」

 東青は弱々しく呻いて眠りに落ちた。汗の浮いた額を、枕元に付き添った漠老人が拭ってやった。

 消息を絶っていた教え子が牙骨丘で見つかったとの知らせを受けたとき、老人は彼が竜に出会ったことを悟った。すでに年の明けた一月、山麓(さんろく)町へ飛んできた彼はほぼ一年ぶりに東青と対面することができたのだった。

 やつれ果てた様相に驚きもしたが、なによりうわごとを繰り返す姿が痛ましかった。竜との邂逅(かいこう)は思うようにいかなかったのだろう。眠りにつきながらも後悔のにじむ苦しげな顔をしていた。

 だが、と漠老人は小さく声をかける。

「まだまだ、これからだとも……」


「心配させやがって、こいつめ!」

 泣き笑いになった伊堂(いどう)は、東青を見るやいなやその頭を揉みくちゃにした。

「お前が雪に埋まってるうちに俺の娘はとっくに育ってるぞ、お前なんかよりずっと元気だ! 祝えよっ」

「お、おめでとう。名前はどうし…… うわあ」

と目を回した東青を、漠先生の妻が「あらまあ、お手柔らかに」と笑って支えた。

 先生の暮らす町は東青の実家より牙骨丘から近かったので、静養のためすっかり世話になっていたのだ。すでに一月半、両親も見舞いとお礼のため何度か訪れていた。

「早くうちに顔を出せよ。寿里(じゅり)も、夏泉(かせん)と待ってるから」

 伊堂が晴ればれとした笑顔を向ける。東青が失踪していた半年以上もの間、彼は先生と一緒にほうぼう捜してくれたそうだ。

 それだけ待ち望んだ再会だったが、彼は詳しいことを聞き出そうとはしなかった。かつての伊堂であれば「ぜんぶ説明するまで帰らない!」と言いはったかもしれない。家族を持った友人はずいぶんたくましく、辛抱強くなっていた。

 あと少しすれば体力が戻り、山の寒さもゆるむ。ずっと薄い膜が張ったようだった感覚はようやく醒めてきていた。

「行くかね?」

 東青の目に意志が戻ったことに気づいた漠先生が、穏やかに尋ねる。彼は確かな声で答えた。

「はい。牙骨丘へ」

 四月、春の盛り。

 あの日から一年がめぐろうとする季節、東青はふたたびその地へ足を踏み入れた。

 見上げる竜の丘は若葉に染まっている。早く山に入りたかったが、まずは運び込まれた彼を受け入れてくれた宿屋へ顔を出した。気のいい主人は喜んで出迎えた。

「東青さん!? いやあ、見違えましたなあ!」

「その節は、大変お世話になりました。みなさんのおかげでこの通りに……」

 深々と頭を下げる彼に、主人が明るく声をかける。

「本当によかったですよ、はじめは薬師先生もお手上げでしたから。改めて調査にいらしたんですか?」

「はい、またしばらく泊めていただきます。もう絶対に埋まりません」

と照れながら言うと主人は朗らかな笑い声を上げ、彼を部屋へ案内した。東青はその背中に何気なく尋ねる。

「このところで変わったことはありましたか?」

 そうそう、山に人が住むようになったんですよ。仲のいい姉弟でね、ふたりで茶店を開いて……

 そんな答えを期待していたが、主人は首をかしげた。

「さあ、これといって聞きませんねえ。静かなもんですよ」

 彼の言葉どおり、春の山中はのどかに陽を受けるのみだった。

 色とりどりの野の花、緑を芽吹かせる若木。やわらかな風に蝶が舞い、空には鳥の羽音が……

 東青はハッとして顔を上げた。早矢か、乙矢?

「……違ったか」

 ありふれた山鳥を見送ってため息をつく。玄も冥狐も、あの日に道で別れたきり姿を見せていなかった。

 力を持つ妖とて、あの異変を耐えるのは容易ではなかっただろう。彼らは大丈夫だったのだろうか。ふり返ったなら誰かが迎えてくれやしないだろうか。

 しかし、野山には東青の影が落ちるのみだった。

 数日かけて心当たりの場所を歩き回ったが、様変わりした山でなにも見つけることができない。助かった身にもかかわらず、彼はひとり置き去りにされた気分になった。

 あの光に、一緒に溶けてしまえばよかったのかもしれない。

 そう思って木陰にしゃがみこみ、ふかふかとした土を撫でた。小さな甲虫が指のそばを歩いていく。じっと見ていると、虫はパッと羽を開いて飛び立っていった。目で追った先に明るい青空が広がる。そして頭の上には、葉を揺らす(こずえ)が。

 ふと気がつく。

 これは、茱萸(ぐみ)の木だ。彼が彼女の相談に応えて植えられた、思い出の木……

 彼は飛び起きてあたりを見回した。種々の草が茂りきって景色が変わっていたが、すぐそばに金柑の木まであるではないか。いよいよ鼓動が速くなる。ここはあの中庭だ!

「ロクハさん!」

 急いで草むらに分け入った東青は、大きな声で呼びかけた。

「聞こえますか。そこにいるのですか! ロクハさん、リリン君……!」

 雲が流れ、一条の光が鮮烈に差し込んだ。くらんだ目を細めたとき、光の中からなにかが形を持って歩み出た。

 東青の動きが止まる。

 数間先に立っていたのは、ひとりの女性だった。

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