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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第十二話
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竜を断つ者・後編(五)

 あらゆる光を集め飲み込む闇。そのただ中で開かれた両の(まなこ)は、透明な黄緑の色に輝いていた。

 牙骨丘へ来るときに見たのと同じ。ロクハは手を強く握り合わせて天を見上げる。

 竜は巨大だった。目に入るかぎりの空をおおってしまうほどの翼。ゆっくりと頭を下げるにしたがって強烈な風が巻き起こり、容赦なく地表を襲った。少女の身体が大きく揺らぐ。

 そこへ、一角の獣が静かに寄り添った。

()、今ひとたびそのものと相対し、古き争いの(ぬし)と語らん」

 争い?

 思いも寄らない話を聞き、ロクハは驚いて一角を見つめる。しかし言葉を継いだのは影の竜だった。地鳴りのような声が空気を震わせた。

「地の白星(はくせい)か。その命、とうについえたと推したが……」

「否。汝が爪に裂かれども、吾死せず。長き眠りに傷を癒し、天の緑星(ろくせい)落つを待ちぬ」

 勇ましい答えにあい、竜の瞳がさらなる光を放った。

「ドラクペルティカの借りを返そうと申すか」

「留爪丘の!?」

 ロクハが思わず上げた声は天に届き、竜は少女へと顔を向ける。一角が立ち上がる旋風から彼女をかばった。白い身体はひんやりとして生命を感じさせないが、確かな意志が宿っていた。

「我が魂の欠片よ。なぜその名を知る」

 真っ向から視線を交わすと、その尋常でない大きさが改めて迫ってくる。あまりの圧力にロクハは恐怖すら忘れ、一生懸命に声を張り上げた。

「私はここで茶屋を開き、お客人を迎えていました。そこで色々の縁が重なって、伝え聞くことができたのです」

 黄緑色の眼がすうっと狭まった。まさしくこの牙骨丘が起き上がったような顔、姿だ。

留爪丘(ドラクペルティカ)は、我が時の流れから削り取ったはず…… なにをした、地の白星」

と、竜が一角に問う。

 白い獣は「吾にあらず」と冷たく答えた。

「その名は野生の血脈に。汝の爪よりこぼれし、小さきものにこそ伝わらん」

 ふたりを交互に見ていたロクハだが、意を決して懇願した。

「どうか教えてください。留爪丘でなにが起こったのですか? 私の前に欠片を守っていた方が、そこにいたのでしょうか」

 影の竜はしばらくのあいだ考えていた。ロクハはどきどきしながら待つ。大いなる存在にとって彼女の願いなど取るに足らないものだ。一瞬で払いのけられ、この身を奪われてもおかしくない。

 しかし、竜は重々しく口を開いた。その声音に少しの苦みを含んで。

「留爪丘では、数多くの(もり)が欠片を共有し、力を得ていた」

「それは…… あなたが与えたのですね」

 少女が問いかけると、過去を見据えた竜はゆっくりとまばたきをし、光と影があたりをさまよった。

「ことの始まりは、なお遠い。かつて、人と妖が等しかった時代がある」

「人と、妖が?」

 つい見上げると、一角はロクハと視線を合わせるように顔を向けてきた。自身の源流が、この獣や玄たちと同じところから来ていたとは。

「我は(ねぐら)として二つの山を造り、川を治め、地を(なら)した……」

 己の影のようなドラクグリーフと、険しく雄大なドラクペルティカ。大河の流れを聞き素朴な生命たちを庇護する。穏やかな時間をもはや数えることもしなかった。

 しかし決別の時が来る。

 小さき者たちはみずからの手で国を作らんとした。支配者はそれを許さず、戦いが始まる。

 竜は皮肉を込めて言い放った。

「お前はあの時も筆頭に立っていたな。白星の燃ゆに衰えなしとみえる」

 牙骨丘で奇襲にあった竜の魂は砕かれ、いくつかの欠片が留爪丘へ落ち、そのまま隠された。反乱者たちも多大な代償を払ったが、竜をしりぞけ初めて自由と権利を手にしたのだった。

「それが、今の世の成り立ち……」

 ロクハが呟くと、一角が静かに答えた。

「吾、新たなる世の到来を欲し、汝らに()せり」

「そして選び(たが)えたのだ。人間どもはどうなった? 妖とも道を分かった末、この地を…… 我が築いた安寧を汚し、争いつづけたではないか!」

 深い傷を負った竜は、数百年のちに目覚め舞い戻る。先の戦いを伝え聞く留爪丘の民たちは大きく揺らいだ。

「魂の欠片を返すべきだ。みなを失いたくはない」

「しかし、我らが竜にひざまずけば人の世が終わる。これまで築き上げたものを、太古の犠牲を無に帰すというのか!」

 ふたたび闘うことを選んだ彼らは、一角に助力を乞い激しく抵抗したという。だが竜は魂を取り戻し、その爪が歴史からえぐり取った。留爪丘とそこにいた者の存在を……

 (ほころ)びはないはずだった。

 しかし最後の一瞬、彼らは持てる力を振り絞り、仲間の一人を時のはざまに送り出していたのだ。たったひとつ残っていた小さな欠片を託して。

 イスイ。やっぱり留爪丘から来たんだ、とロクハは彼の面影を浮かべる。戦いを逃れ身を削り、欠片に耐えうる新しい守を…… 私を見つけた。

「けして抗ってはいけない」

 幾度も説かれた約束は、孤独な旅のはてに悟った答えだったのだろう。

 いつの日か、竜は必ずやってくる。どれだけ犠牲を払おうと大いなる力を討つことはできない。争いこそがあやまちであり、はじめから従うほかに道はなかったのだ、と。

「愚かなことだ。この翼の下にあれば平穏でいられたものを……」

 噛みしめるような言葉は素直な響きを持っていた。ロクハは、竜が抱いていた確かな愛情に触れた気がした。

 しかし、追想をはねつけるような冷気が襲ってきた。

「遠き日は戻らぬ。もはや過去など必要ない」

 咆哮(ほうこう)が世界を揺るがす。一角に包まれながらロクハは身をすくめた。小さな身体に雷鳴のごとき声が注がれる。

「さあ、今こそ我らは欠くものなき存在になる。そして新たな世を()べるのだ!」

 すさまじい圧力にぎゅっと目を閉じたとき、

(きず)なき玉のこの世に在らず!」

と、一角の凛々しい声が空を割って響いた。氷の目が清らな光をたたえて影を見上げていた。

「天の緑星、小さきものを見よ。今こそつながれし思いに触れよ!」

「この()に及んで邪魔立てか!」

 轟く一声とともに刺すような風が吹きつける。大きな力の流れがぶつかり合った。

 すがりついていた妖の身体が少しずつ(ちり)と化していくことに気づき、ロクハは悲鳴を上げた。一角が苦悶の声とともに首を反らせる。その姿をとどめようと少女が両手を伸ばすが、霧を抱くがごとく感触が失われた。

「雪ちゃん!」

 風に散ってゆく姿は、呼ばれた名のとおり(けが)れない雪のようだった。

「ああ……」

 少女の腕が虚しく空を抱く。白い輝きは消え去り、荒れ狂っていた風がぴたりと止んだ。

 薄闇が一転し、あたりは閃光に照らされる。翼をはためかせた竜が天命を下した。

「我が最後の欠片よ。時のへだたりを越えこの身に(かえ)るがよい!」

 ロクハは避けなかった。迫りくるものをとらえようと必死に目を開き天を見上げる。そして、大きな波が届いた瞬間。

「待て……!」

 新たな声が光を裂いた。


「ちくしょう、どうなってやがるんだ!」

と、玄が闇に包まれた道の先をにらむ。隙間を探していた早矢が上空から戻ってきた。

「だめだ、どこも閉じてる。リリンは?」

「まだ見えないが、これじゃあ下りるにも下りれないかもしれねえ…… どうするか」

 彼は青ざめた顔を傍らに向けた。乙矢に介抱された冥狐は、獣の姿でなんとか立ち上がっていた。

「冥狐、気力は残ってるか。お前たちも」

 問われた三人は玄の目を見て強くうなずいた。彼は、よし、と呟いて大亀の姿へ戻る。そして小岩のような甲羅から仲間をふり返った。

「俺が盾になる。当たって砕けるかもしれんが、力を貸してくれ」

 返事の代わりに鳥へと変わった乙矢が、「あたし目になる! なんか飛んできたら言うからねっ」とまっさきに背中へ飛び乗った。彼女はもう待っていられなかった。見守ろうと誓いはしたが、こんな状況を前にして誰が律儀に引けるものか。

「頼むぜ、乙矢。しんがりは早矢で、冥狐は俺の後ろにつけ。大丈夫か?」

「ええ。少しでも側にいられるなら、たとえ消えても……」

 そう呟いた化け狐を鳥がつっつく。

「なにも消えやしないさ。花丸保証だやね、この俺が」

 いい加減なこと、とかすかに笑った冥狐だが、小さな声で「ありがと」と返した。

「みんないいか。行くぞ!」

 玄の勇ましいかけ声とともに、妖たちは一丸となり深い闇へ向かっていった。

 そのとき、ロクハは光の渦の中にいた。

 懐かしい光、竜の御魂(みたま)の色。

 顔にかざした指先が透ける。身体の境目がなくなって、溶け出していく。しかし、なかば竜と同化しながらも彼女は確かな感覚を保っていた。

 あれは……?

 張りめぐらせた壁がどこかで激しく揺れているのがわかった。誰かが破ろうと、ここにやって来ようとしている。

 私はあの人たちを知っている、そのはずなのに。

「もはや、必要のないこと」

 それは今や彼女自身の声でもあった。生まれたときと同じ真っ白な気持ちで、彼女は尋ねる。

「でも、最後に名前を呼びたい。どうして忘れてしまったのかしら、とても大事なのに……」

「忘却は過程に過ぎない。恐れるな。我を埋める欠片として心をゆだね、不変の安寧に眠るがよい」

 その言葉は深く優しかった。遠く離されていた一部を迎え入れようと、慈しみにも似た響きを持っていた。このまま従えば、私はなににも煩わされない満ち足りた存在になれるだろう。

 けれど。

 飲み込まれる直前のたった一瞬、私を両側から支えてくれた。もう会えないと思っていた大切な人たちのぬくもり……

 なくしてしまうの?

「待って」

 彼女は必死に叫んだ。

「魂も身体も、全部あげる。だから、心も受けとって。私の代わりにあなたが持っていて!」

 瞳があれば涙が流れ、両手があれば祈りに組まれただろう。しかし彼女はすでに形を失っていた。それでも精一杯の声を上げる。

「たったひとつでもいい。消してしまわないで、お願い……!」

 彼女は奪われるより早く与えていた。

 天と(おぼ)しき方向へすべてを差し出したと同時に、訪れた光がなにもかも包み込んだ。

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