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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第十二話
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竜を断つ者・後編(四)

 莫大な滝の中をくぐるようだった。

 四方八方から気流で揉みくちゃにされ呼吸すらままならない。ぎゅっと目をつぶった東青は、ひたすら両手に力を込めていた。この尾を離したら本当の終わりだ!

 ぶわっと押しよせた流れに息が止まったとき、身体にかかっていた重圧が一気に霧散した。

 やっと抜けた……

 安心した刹那(せつな)。一角が勢いよく尾を振るい、彼をごみのように叩き落とした。

「わっ、ああああっ!」

 てっぺんから木を見るのは生まれて初めてだった。避けることなどできず、バキバキバキッと枝を折りながら突っ込んでゆく。しかし運よく途中で引っかかり、地面への激突は避けられた。

「う、い……」

 痛い。

 が、まだ動ける。彼は口に混ざった葉っぱをぺっと吐き出し、なんとか根元に下り立った。はらはらと落ちる葉が止まぬうちに歩き出す。すでに一角の姿はない、急がなくては……

 己になにができるのか分からないまま、彼は走った。

 壁の内側は静まり返り、外の異変が嘘のようだった。見上げた空の一部が黒く染まっていることを除いて。

 あそこから竜が来るのか?

 上空を睨んだ視線を戻したとき、東青は思わず声を上げた。

「あれは!」

 遠い道の先、木に寄り添って少年が立っているのが見える。

 足もとに包みを落とし、ぼんやりと空を眺めている。いつもきっちりまとめていた髪はほつれかかっていた。

「おおいっ」

 力ない後ろ姿に何度も呼びかけるが相手はぴくりとも動かない。不安に襲われながらも辿りつき、肩に手をかけふり向かせた。

「リリン君……!」

 東青の目が見開かれる。

 少年は声もなく泣いていた。そこにあったはずの強い瞳の色は、もう涙に溶け出してしまっていた。


 朝から妙に静かな日だった。

 青空に薄い雲が流れる穏やかな午後、リリンは平屋の前を掃除していた。雪が少ないと暮らしやすい、と鼻歌をうたい上機嫌だった彼だが、ふと顔を上げて凍りついた。

 空に生まれた、一点の不自然な染み。

 見間違いではないかとまばたきをするが、そうしている間にもどんどん広がっていく。震えながら家に飛び込むと、廊下からロクハがやってきたところだった。その手に、まとめておいた彼の荷物を持っている。山を下りる日のための荷物。

「姉さん。嫌だ」

 取り乱す弟を前にして、ロクハは冷静だった。静かに歩み寄ってリリンを抱きしめる。

「リリンちゃん。本当に長いあいだ巻き込んじゃったけれど…… 私たち、とっても楽しかったね」

 優しく告げられたリリンは辛そうに顔を歪めた。譲れない一線を引くように、姉の声は凛々しい色を帯びる。

「一緒にいてもらうのは、ここまで。もう自分の道を歩いていいんだよ。いろんな人に会っていろんな場所に行って、幸せになるの! 急がなきゃっ」

 彼女は弟の手を引いて走り出た。黒い空はますます辺りを侵食しつつある。なるべく見ないようにしながら道の手前まで進み、リリンに荷を背負わせてやった。

 最後に向かい合ってから、水晶の飾り(くし)を外して弟の手に握らせる。いつかリリンが選んでくれた、私のお気に入り。

 泣かないの、と頬をぬぐってやり、元気よく背中を叩いた。

「さあ、行って!」

 晴れやかな声に押し出されるようにリリンは駆け出した。山を離れ安全な場所へ。自分が助かることが姉の一番の望みだとわかっていたから。

 しかし、道のなかばで足が止まった。どうしても進めなかった。そのまま引き返すこともできずにいるところに、思いもよらない人物が現れたのだった。

「大丈夫か、リリン君」

 何度も揺さぶられた彼はようやく状況を悟り、目の前の東青を呆然と見返した。

「しっかりするんだ。まだ間に合うだろう!?」

「でも…… 僕には、なにも」

「できる! 行けばきっと分かる、やるべきことが」

 この男はちっとも変わっていない、とリリンはぼんやり思った。どこまでも楽観的で能天気で、底抜けのお人よし……

 だが、いつの間にか意志をつらぬく(はげ)しさを得ていた。

 姉さんと出会ったから。

「冥狐さんは私が切り札だと言ったけれど、君がそろえばもっと強い手になるよ。一緒に行こう」

 これまでになく真剣なまなざしを受けたリリンは、涙目をまたたかせた。

「……抗うと、この世を巻き込むことになるかもしれないぞ」

「喧嘩を売りにいくわけじゃない。話し合いさ!」

 東青は、答えを聞く前にリリンの背を押して走り出した。


 立ちこめる冷気を吹き払うように、一角の獣は地に下り立った。家の前で待っていたロクハは丁重に頭を下げる。

「竜の魂よ、今こそ刻を告げん」

 一角の言葉に、少女は「はい」とはっきり答えた。

「あなたが見届けてくださるのですね」

 大きな妖は黙って黒い空を見上げた。澄んだ氷色の目は、彼女が知っていた子どものものと同じ。あの子はこんなに大きかったんだな、と純白の身体をしげしげ眺める。

「……(ゆき)ちゃん」

 こっそり呼びかけてみても反応はない。ちょっと寂しい思いでロクハは微笑んだ。

 風に舞い上がる髪の感覚。冷たく冴えた空気に揺れる木々の音。最後に許された時間を全身で感じながら、彼女はふと気がついた。両手を重ねた下に慣れ親しんだ手触りがある。

 前掛け、つけてきちゃった。

 つい舌を出しそうになったとき、あたりが急激に暗くなった。

 ロクハは息を飲んで天を仰ぐ。ばりばりっと激しい稲光が走ったかと思うと黒い空の中心が割れ、色すら持たぬ闇が湧き()でた。

「あれが……」

 私の運命。

 圧倒されたロクハに応えるように、裂け目から生まれた影が強大な翼を広げた。

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