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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第十二話
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竜を断つ者・後編(三)

 どうやって戻ってきたのか、東青は思い出すことができなかった。

 うっすら覚えているのは、山道を先に立つリリンの後ろ姿と、彼の小さな声。

「お前が力を尽くしたのはわかる。僕は感謝する」

 さようなら、東青。

 そう言われて我に返り、背を向けた少年を追いかけようとしたときには、もう自分の住む家の近くに立っていたのだった。

 半年ぶりに帰った懐かしいはずの町。しかし、のどかな春の景色に立つ彼の心は真冬の牙骨丘に(こご)ったままだった。

 その日、竜の山のふもとに暮らす者は皆どことなく落ちつかない気持ちでいた。小さな寺の上僧も、弟子と並び立って山上をにらんでいた。

「さては、山鳴りでもするかな」

「そのようですねえ」

と交わされた会話のとおり、人は大いなる変化の訪れを知らぬうちに感じ取るものである。動物も植物も同じく……

 妖の目は、そのどれよりも鋭い。

 南で力を使い果たしかけた早矢はやっと帰路についていたが、冷たい予感につらぬかれて大きく舞い上がった。

 穏やかな空は一見いつもと変わらない。しかし、高みを進もうとする鳥たちが惑うように進路を変えるのがわかった。

 流れがおかしい。

 彼は重い翼を打って東へと急ぐ。どうかこの予感が外れているようにと祈りながら。

 だが、やがて見えてきた牙骨丘の上空こそが不気味な渦の源だと悟り、思わず息を飲んだ。

 一羽の山鳥が流れに逆らって飛んでくる。

「兄者! いま知らせに行こうと…… わっ!?」

 渦に翼をとられよろめいた乙矢(おとや)を、早矢は「しっかりしな!」と支えてやった。

「みんな無事か。店はどうなってる」

「お、お店、入れないの! どうしよう」

 いつだって前向きなはずの妹が混乱し、怯えきっている。それは早矢をも不安にさせたが、彼は恐怖を断ち切るように首を振った。

「よしわかった。玄と冥狐はどうした?」

「玄さん、坂の下。一緒に行ったんだけどそっから進めなくて…… 冥狐がまだなんだけど呼びにいく?」

 兄と会って落ちついたらしく、乙矢は徐々に自分を取り戻しはじめた。

「今は玄のところに集まろうや、急ぐぞ!」

 地表に近づくにつれてどうどうという轟音が聞こえてきた。獣たちの気配もすっかり消えた異様な空気の中、山道に玄が待っていた。

「早矢、来たか!」

と、ひげのだるま面が少しだけ緩む。人の姿で下り立った早矢が駆け寄っていく。

「おう深波(しんば)! 進めないってのはどういうわけだい」

「押し返されちまうんだ、こうやって……」

 道の先に手を伸ばそうとした玄だが、見えない壁に触れたかのようにぴったり止まってしまう。青ざめた乙矢が兄の袖を引いた。

「空も同じ。ぐるっと回ったんだけど、どこからも入れなかったよ」

 牙骨丘の一部が、巨大な円柱をかぶせたかのように閉じているのだ。おそらく茶藝館を中心として……

 ロクハとリリンを思い、三人は顔を強張らせた。

 そのとき、玄がもう一つの異変を感じ取って鋭く振り返った。彼につられた鳥兄妹も後ろを見る。なにか別種の、大いなる力がそこにある。

 玄は目を見開いた。

「こいつは……!?」

 そのものは、たったいま空気から浮かび出たかのようにして音もなく立っていた。

 白い輝きをまとう大きな妖。美しい(ひづめ)を持っているが、牙ののぞく顔は獣に近い。長い毛におおわれる額から一本の角を生やし、氷に似た瞳で高い天を見つめていた。

 そして、いびつに重なり合う声で(おごそ)かに告げた。

宿命(さだめ)(とき)、来れり」


 今の自分は色々なものが欠けているのだ、と彼女は言った。

「たとえば、名前です。以前、(ばく)先生に紹介状を書いていただきましたね」

とロクハが微笑む。そう言われて、東青はそのときの問答を思い出した。

「リリン君、真名字はどう書くんだろう。リは理由の理かな」

と聞いた彼に、少年はこう返した。

「お前に教えられるか。牙骨でも丘でもなんでもいい、適当な名を使え」

「ぎ、偽名ってことかい? 紹介するのにそれは……」

 東青は困惑し、慌てたロクハが「私たち、少し事情がありまして」と間に入ってうやむやになっていたのだ。

 魂の欠片をさずかったとき、ロクハは親からもらった真名字を引き換えにした。字を当てぬ名前も、弟に育ちを追い越された身体も、山を離れられない存在であることも。すべては、その時まで不完全であるためのもの。

 竜を迎える瞬間にこそ彼女の存在は満ちねばならないから。

「リリンまで真名字を捨てる必要はなかったのですけれど、それだけでも私に合わせようと…… あの子には本当に苦労をかけてきました」

 本人は、それを苦労とは呼ばないだろうと東青は思った。ロクハが真摯(しんし)な顔を上げた。

「東青様。ぶしつけなお願いですが、弟が無事だったなら、その後のことを頼んでもよろしいでしょうか」

「勿論です。しかし…… 私にできることは、もうそれだけですか? 他に残ってはいませんか」

 あなたを救える可能性が。

 情けない顔をさらけ出しているだろうが、気にしている場合ではなかった。わずかでも望みがあるならどんな危険だって……

 だが、ロクハは穏やかに首を振った。

「これが私の最後の願いです」

 その言葉は東青に(まゆ)をかけたようだった。町に帰った彼は、もう長いこと居室の真ん中に座り込んでいた。

 彼の中のあらゆる流れが止まった。

 くり返し思い出すのは、はじまりの五月だった。土を探しに訪れた竜の山。どこか懐かしい色をした扉から、ぱっと顔をのぞかせた可憐な少女。不思議な縁は途切れず、歳月のゆくうちに彼も様々なことを見聞きしたものだ。

 そして、別れの席で供されたお茶は、新緑の中で初めて口にしたものと同じ香りをしていた。終わりと始まり。ふたつの時間が重なって円環は閉じる……

 そう、閉じるだろう。このままなにもしなければ。

 麻痺しきっていた心にロクハの声がよみがえった。心から贈られた短い言葉。

 最後に会えて、よかった。

「……だめだ」

 東青は呟いた。ハッと目覚めたように立ち上がる。もういちど漠先生のところへ行くんだ。まだ終わっていない、終わらせない!

 彼は勢いよく陽のあたる路地に踏み出した。そのとたん、

(せい)さんっ」

と大きな声がかかった。驚いてふり返ると、道の彼方から金色の狐が駆けてくるではないか。

「冥狐さん!」

 辿りついた狐は両の前脚で彼を叩いた。

「どこほっつき歩いてたんです、さんざ捜しましたのよ! 八束守(やつかしゅ)までも走らせて!」

「し、首都に手がかりがないかと。さっき牙骨丘から…… なにか起きたんですか!?」

 冥狐は、答える前に身をひるがえした。

「ついてきて下さい、あたくしを信じて!」

 牙骨丘を取り巻く渦は速度を増し、立ち上がる風と音はさらに激しくなる。

 その下で一角の獣と向かい合った玄たちは、言葉を失い身を固くしていた。

 ロクハは、一角を持つ“子ども”に会ったと言っていた。これがその正体…… のうちの一つだと、三人はすぐに理解した。今の姿は彼らに見える形を取ったにすぎないのだろう。

 玄は、乾いた唇を懸命にひきはがした。

「この先に、通してくれ」

 震える声に力を添えるごとく早矢と乙矢がうなずいた。輝く毛をなびかせる一角は、長い首の先からちっぽけな妖たちを見下ろした。

「もはや(なれ)に成せるはあらず。()ね」

 すうっと狭まった透明な瞳。三人の身体を悪寒が走り抜ける。一角の言葉は、命令を超えた必然そのもののように思えた。

 こいつはこの場をつかさどる条理。したがう外はないのか……

 玄が顔を歪めた、そのときだった。

 一角の背後、坂の下から金色の塊がものすごい勢いで駆け上がってくる。

「め、冥狐っ!」

 金縛りから解けた乙矢が叫んだ。玄と早矢もわれに返って仲間を迎える。

「やっと来やがったか!」

「遅刻だぞ占柳庵(せんりゅうあん)…… おや?」

と首を突き出した早矢は、狐のはるか後方を走る人影に気づき笑顔になった。

(せい)の字だ! おい、青の字が来たぞっ」

 一角の巨体の脇を「ごめんあそばせっ」と通り抜けた冥狐が、三人の前でようやく脚を止めた。

「あたくしの占い、焼きが、回っていなければ」

 荒い息の下で東青をふり返る。

「彼が切り札に。最後のさいごで相が変わりましたわ……」

 力を出し切ってへたり込んだ化け狐を、乙矢が慌てて抱きかかえた。

「大丈夫、信じるよ! ねっ、そうでしょ!」

 男たちが「当たり前だ!」と声をそろえる。やっと近づいてきた東青に向かって、早矢が大きく呼びかけた。

「おおい、南の塚、わかったぞ! 夢見渡りの遺言で建ったとさ、消えた山の最後の一人、ユメミワタリ!」

「夢見、わたり……?」

と、東青は走りながらもそれを聞きとめる。

 しかし、それまで黙っていた一角の身体が急に動き出した。なにもないはずの宙を踏みしめて大きな身体がふわりと浮き上がる。四肢がぐいっと曲げられるのを察した玄は、東青へと叫んだ。

「東青、そいつにつかまれ!」

 彼が理解するのと一角が跳躍するのはほぼ同時だった。本能がつき動かした手がたなびく尾に届く。

 そのまま飛び上がった一角は、見えない壁の向こうへ悠然と消えていった。

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