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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第十二話
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竜を断つ者・後編(一)

 生まれたところは緑に囲まれていたけれど、山ではなかったように思う。

 よく水の音が聞こえてきたので大河の支流の近くだったのかもしれない。両親や大人たちのおぼろげな姿、小さな平屋、ゆるやかな起伏の野原を走り回って遊んだ。それから……

 黄緑色の閃光を境に、私の記憶は牙骨丘(がこつきゅう)へ飛ぶ。

「お(かあ)は? おとうは、おうちはどこ?」

 泣き出しそうな私を抱き上げてのろのろと歩く、見知らぬ人。彼は疲れた様子で立ち止まっては、

「家はこの先に。もうじきです」

と静かに説く。同じようなやり取りを続けていると、彼が急にうしろを振り返る。夕暮れなのか早朝か、うす暗い木々の向こうから小さな影が駆けてくるのが見えた。

「リン!」

 私が叫ぶのと同時に、彼が「まさか……!」と額を押さえる。その足もとへリリンがよろよろと辿りつき、袴の中ほどをぎゅっと握ってこう言った。

「ねえた」

 お姉ちゃん、とまだうまく言えなかった。言葉の遅れは弟を少し臆病に、人見知りにさせていたと思う。それでも連れて行かれる私をひとりで追いかけてきた。

「ねえた!」

 リリンはいよいよ激しく相手の足を揺さぶり始める。途中で転んだのだろうか、腕も顔も土で汚れきっていた。

「リン、だめっ」

と手を伸ばすと、私を運んでいた人…… あとで“イスイ”と名乗った彼は、腰を抜かしたように山道にへたり込んだ。

「ああ、なんという…… 二人も奪うつもりは」

 放心するイスイの前で「もう一緒だよ」と抱きしめると、弟は火がついたように泣き出した。

「だいじょぶだから。泣かないで」

 何度も口にした言葉は自分にも向けられていた。けれど、その言葉をいちばん必要としていたのはイスイだったんだと、今ならわかる。

 放心していた彼はふたたび歩き出した。そうするしかなかったのだ。泣き疲れて眠るリリンを抱き、すっかり静かになった私の手を引いて、長い坂を上りきったところに大きな平屋が待っていた。

「今日よりここを家とするのです。その時が来るまで」

 呟いた彼に笑みはなかった。

 痩せこけた横顔を見上げたとき、恐怖より先に立つ不思議な気持ちがあった。それを哀れみと呼ぶのだと知ったころには、イスイは私たちのもとを永遠に去ってしまっていた。

 記憶に残る声は、いずれも悲しみに満ちている。

「私は他に道を見つけられなかった…… どうか(ゆる)してください」

 短い日々の中でイスイは幾度も詫びた。

 幼すぎた私はその涙の意味を理解できず、つられて泣くか戸惑うかで答えることしかできなかった。少しだけでも伝えられたらどんなによかっただろう。

 私は何ものも恨まず、すべてを受けいれると。


 博物荘(はくぶつしょう)の中は薄暗く、ひんやりとしていた。

「勝手なまねはするなよ、いいな」

 管理員に念を押され、東青(とうぜい)は厳粛な面持ちでうなずいた。律曹(りつそう)王子から父の(ろん)親王へ話が通った結果、限られた時間ながら閲覧が許されたのだった。

「東青、研究をがんばるんだぞ。また牙骨丘で会おう」

 隠された事情を知らない王子は、城の庭で待っていた彼に無邪気な声をかけた。東青はひざまずき「はい、必ず!」と深く頭を下げた。

 にこやかに見守っていた老人がそっと進み出る。

「さあ参りましょう。王子もお勉強が残っておりますぞ」

「算学きらい! じい、代わりにやってよ」

と目付け役につれられて行く律曹を見送って、東青は気持ちを新たに博物荘へ引き返したのだった。

 彼はひっそりとした本堂を見渡す。頑丈な棚には数え切れないほどの史料が保管されている。王朝が積みかさねてきた時間をさかのぼったはてに、目指すものはあった。

「この段だ、“国のことはじめ”」

 袖をまくった管理員が卓の上へ品々を下ろす。東青は長大な巻物の一巻を広げてもらった。

 国を苦しめた二頭の竜。その姿が大河以外のところから(おこ)ったという可能性を、彼は求めていた。説話を作った者たちはどこかで触れてはいなかっただろうか?

 今ふたたび降り立とうとしている、翼ある竜の存在に。

 一方、南の山へ飛んだ早矢(はや)はあの小さな塚の前にいた。

 天を突くような木々に囲まれた塚は、急ごしらえの柵で守られている。彼は遠慮なく乗り越え、背をかがめて石の組まれた入り口をくぐった。

 広がりはないのでじゅうぶんな光が届く。ほこらの戸には保存のために錠のついた鎖が回されていたが、

「ちっとごめんよ」

と数本の鉄鉤(てつかぎ)でなんなく開けてしまった。

 朽ちた木像と、下に散らばる石造りの爪。それが竜の手を模していることを早矢はひと目で理解した。爪のひとつに彫られた古い文を苦労して読み上げる。

「失われた、留爪丘(るそうきゅう)と、山上の民、に捧ぐ……」

 捧げたのは誰だやな。名を書けよ名を。

 文句を言いながら髪をかきむしったとき、ふと思い当たった。書かなかったのではなく、書けなかったのではないか。茶屋の姉弟のように……?

 ふたりと知り合ったころ、こんな会話をした。

「字がない? そりゃ不便だ、好き勝手決めたらよかろうに」

 しかしロクハは首を振った。

「古い約束でね、真名字を持っちゃいけないの」

「おやおや、そんじゃあ持ち物もごっちゃになるだろ」

「大丈夫、これ!」

と、ロクハが自分の箸のはじを示す。斜めに削り落とした部分に小さな葉っぱの絵が描いてあった。こっちがリリン、と持ってきた箸には、ひょうたんを逆さにしたような絵がついている。どうやら茶さじを描いたらしい。なるほど、ひとまずの見分けはつけられる。

「ははあ、おたくは茶屋だもんなあ」

 そのときは感心して笑ったが、南岳に立った今、早矢の顔は厳しかった。

 同じように、真名字を持てないやつが留爪丘にいたのか。

 ……そいつが塚を作ったとしたら、消失を逃れたやつが一人はいたってことになるじゃないか!

 彼は慌ててほこらに向き直った。

 しかし、隅からすみまで調べても変わったところはない。へとへとになって外に出ると、一匹の(むじな)が彼を見上げていた。

 どうせすがるなら(わら)より狢の方がしっかりしていそうだ。早矢は、よう、と手を挙げる。

「これ、誰が作ったか知らないか。うん知らない? 知ってそうな、長生きのやつはいないかね。なあ頼むよ、(おおとり)が頭を下げるなんて又とないぜ」

 大真面目の(あやかし)を前に、狢は細長い顔をかしげていたが、急にくるっと背を向け歩き出した。しばらくついていくと別の狢がちょろりと加わった。

「あれ、お前も。そっちもかい」

 急な坂を上るうちに狢はどんどん増えていく。結局数十匹のかたまりに導かれ、鳥男は一本の老木に辿りついた。

 巨木といっていい、立派な杉だ。これほどの木は鳳の(さと)でも牙骨丘でも見たことがない。ねじまがり組み合った太い幹、大きく広がった重たげな枝葉。そこを通ってくる陽は、静寂をたたえるあまり冷たささえ感じられた。

 なるほど、こいつは長生きに違いない。

 期待を胸に木肌へと額を寄せた。心を鎮めて目を閉じる。どうどう響く脈動のような音がこの老木の声なのだろうか。

 彼は長い間ひとつも動かなかった。気を一点に集め、なんとか意味を拾おうとした。

 ……だめか。

 身体を離そうとした一瞬、耳に届く音が形を成した。

「夢見、渡り、 ……遺言(いごん)が、塚と」

 ゆめみわたり? 思わず両手を幹に添え、一心に音をたどる。

「遥かな時を、戻り。故郷、無く」

 そいつは誰だ、どこに帰ろうとした!?

「ドラク、ペルティカ…… 私、一族、消え……」

 耐えられたのはここまでだった。

 呼吸を忘れていた早矢がハッと息を吸い、そのまま根もとに崩れ落ちる。たったあれだけの会話に全身の力が吸い取られたようだ。あえぎながら口を開く。

「あ、危ね……」

 あと一秒でも欲張ったら、(とり)ガラになるところだった。

 大きく荒い息のまま、畏怖を込めて老木を見上げる。あふれ返っていたはずの狢は、一匹のこらずいなくなっていた。

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