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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第十一話
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竜を断つ者・前編(六)

 皇宮博物荘は、城の陰に這うようにして広がっていた。先に馬車を下りた由謙が、

「ひとまず話をつけてこよう。少し待っていてくれ」

と門へ急ぐ。日没までわずかに時間がある。東青は、初めて間近にする帝の居城を不思議な気持ちでふり仰いだ。

 美しく巨大な石垣と白亜の外壁は見る者を圧倒する。そして、そり返る朱色の瓦屋根をふちどるのは、大河の化身としての竜の姿だった。国に広く伝わる、当たり前の竜のかたち。

 だが、まだ終わっていない。勝負はこれからなんだ。

 東青は期待を込めて物言わぬ竜を見上げた。

 博物荘の入り口は、壮麗な城とは反対に質実そのものだった。二通の文を手にした由謙が落ちついた様子で守衛と話し合っている。これなら許可をもらえそうだ、と東青の手に力が入ったとき、建物の奥から一人の役人が足早に現れた。

「これは、(ざく)長官!」

と、守衛が慌てて礼をする。彼の顔にも由謙の顔にも、嫌な緊張が走ったようだった。

 紫の官服をまとった恰幅のいい老人は、むっつりと口を結び、眉間に深々としわを刻んでいた。東青の心には一気に暗雲が押しよせた。


 長い間、くり返し見ている夢がある。

 僕は細い山道を駆け下りている。息はすでに苦しいけれど走らなくてはいけない。両脇は木々に閉ざされているし後ろに戻ることもできない。

 僕は手をつないでいる。温かい手を引いて走る。

 姉さんの手だ。

 そう気づいた瞬間に道の先が明るくなり、ふもとの町が見えてくる。最後まで走りきった僕は、山を下りたことを悟って喜びにふり返る。

「姉さん、着いたよ!」

 そこには山道だけが伸びていて、誰の姿もない。手を持ち上げるとなにかを握っていたような形だけが残されている。

 終わりまでいつも同じだ。呆然としていると周りの草木がねじれ、黒く枯れはじめる。ここへきて僕はようやく目を覚ます。

 そして、この夢で起きてしまうともう眠れない。

 今がまさにそうだった。リリンは深夜の冷気を承知で布団の上に起き直った。立てた膝の上で頬杖をつくと、ほどいている髪が顔にかぶさってくる。(こう)々とした月明かりが障子に透けていた。

 夢のもとになった日を忘れることはない。リリンが八つのときだった。彼は姉に課せられたさだめに反発して、実際に牙骨丘を出ようとしたのだ。

 ロクハ自身は、山を下りてはならないという古い言いつけを固く守り続けていた。だが弟は、姉が心の奥底で外の世界に焦がれ、運命に絶望していることに気づいていた。

 そんな姿をそばで見ているだけの日々には、もう耐えられなかった。

「だめだよ、戻ろうっ」

 弟に手を引かれながらロクハは何度も言った。彼は聞こえないふりをして進み続けた。言いつけなんて虚仮(こけ)おどしだ、この僕が下りられるんだから。そうみずからに言い聞かせながら。

 ふもとへ一直線につながる長い坂。これさえ下れば、という時にそれは起きた。ロクハが急に足を止め、手を放されたリリンはつんのめった。

 道の真ん中で、彼女は真っ青な顔をしていた。両手をかばうように胸の前で組んでいる。尋常でない様子にリリンは息を飲んだ。

「お姉ちゃん……」

 どうしたの、と聞く前にロクハが呟いた。

「だめ。消えちゃう」

「きえる?」

 弟の言葉に応えるように震える手が挙がる。そして確かに彼が見守るその前で、伸ばされた指先がうっすらと透き通り始めたのだ。一線を越えるな、というはっきりした警告をふたりはまざまざと見せられた。

 自分の浅はかな考えを悔やみつつ、駆け戻ったリリンは姉を抱きしめた。牙骨丘…… いや、竜の宿命は彼女を手放さない、なにがあっても。

 闇に慣れた目が居室の輪郭をとらえだす。小さな書棚に角灯、いくつかの行李(こうり)。そのうち一つの上に、ようやくまとめ終わった荷物が置いてあった。

 仕度は大変だったな、と彼は息をつく。

 こんなことになったのも東青のせいである。わざわざ畑まで行って留爪丘の古名らしきものを伝えてやった際、あの土男は、

「留爪丘は竜によって失われた可能性がある。もしも同じ役割を持つなら、牙骨丘も消失するかもしれない」

などと言い出した。リリンは迷ったが、ロクハにもそれを教えることにした。

 話を聞き終えた姉の第一声は、

「それじゃあ、準備しよう!」

というものだった。

 山ごと消えるというのなら、山を下りれば助かるはず。はっきりわからない弟の行く末を案じ続けていた彼女は、急に元気になったようだった。対するリリンはこれっぽっちも気が進まない。

「最後まで一緒にって言った」

「だめ、こればっかりはだめ! 今までたくさん聞いてもらったけど、これが本当の一生のお願いだからねっ」

 姉さんの怖い顔は久しぶりだ、と彼はすごすご部屋へ向かう。うしろをついてきたロクハが、

「この辺はまだ寒いから、あったかくして行くんだよ。本は重くなるからほどほどにね。千穂(ちほ)ちゃんが描いてくれた似顔絵は持っていってほしいなあ……」

と意気揚々にしゃべるほど、リリンの口はへの字に曲がっていった。それから数日かけ、おもにロクハが走り回った末に荷づくりは完了したのだった。

「あとはお茶碗とお箸ね。それからこれも、いくつあっても困らないから!」

 自信たっぷりに渡された数枚の袱紗(ふくさ)は、どれも片すみに小さな刺繍(ししゅう)がしてあった。単純な葉っぱの絵は、姉の持ち物につけていたささやかな印…… ふたりの日常に溶け込んだ大切な印だった。

 持っていっても、悲しいだけじゃないか。

 その言葉をぐっと飲み、リリンは大人しく袱紗を受けとった。


「東青君、こちらへ」

 博物荘の主任へ丁重に挨拶をしてから、由謙が手招きをした。だが、その表情は少し強張っていた。

「柞長官、この方は官立学院から紹介を……」

 穏やかにとりなそうとした由謙を、老人は片手で()ねつけた。

「今は開放期ではないぞ。本校からの推薦ならまだしも、田舎の分校風情がなんのつもりだ」

 傲慢(ごうまん)(さげす)みの言葉。冷たく切り捨てられた東青の胸に怒りと悔しさが湧き上がる。しかし、なんとか抑えて頭を下げた。

「国つくりの史料をこの目にしたく、一縷(いちる)の望みにすがって参りました。どうか少しだけでも……」

 長官は「ふん」と鼻を鳴らして青年を睨んだ。

「まともな頭があるのなら、正規の手続きを取って来ることだな」

「しかし次の公開は三月(みつき)後です。国院の方にも、急ぎの調査だという嘆願が……」

 由謙が説得しようとするが、老人は耳を貸さずに引き返しはじめる。

「お待ち下さいっ」

 とっさに動いた東青が柞長官を夢中で引き止めた。驚いた守衛たちが素早く止めに入る。

「貴様、無礼だぞ!」

「どうかお願いいたします、人の命がかかっているんです!」

 切迫した叫びに、誰もが東青を見た。しかし長官はすぐに「この男をつまみ出せ」と声を張り上げる。由謙が仲裁する間もなく、四方から飛んできた守衛が東青を引き剥がす。両腕をとられて引きずられ、

「さあ出て行け!」

と激しく突き飛ばされた。「東青君!」と手を伸ばした由謙も押しとどめられてしまう。石畳で身体を打った東青が思わず目を閉じたときだった。

「みな、下がれ!」

 甲高くも威厳にあふれた号令が響き渡る。その場は一瞬で静まりかえった。

 なにが起きたんだ?

 打ちつけた肩は火花が弾けたように痛んだが、東青は(こら)えながら身を起こした。石畳の先の路地に馬車がとまっている。全員が見守る中、高貴な身なりの男の子が胸を張って下りてきた。その小さな頭に冠を頂いて。

 東青は呆然として呟いた。

「……律曹(りつそう)王子?」

 偶然に出会った日から半年足らず。少し背が伸び、より少年らしい顔つきになっているが、確かに彼だ。王子は、口を開けたまま座り込む青年をじっと見つめ、びっくりした笑顔になった。

「僕の次の客だ! ねえそうだろう、牙骨丘で、ロクハのお店で会ったじゃないか!」

 その名前を聞いて、張りつめていた東青の心は一気に緩んだ。ロクハのお茶は美味しかったろう、とはしゃぐ王子に向かって何度もうなずいてみせる。

「王子、近づいてはいけません。この者は大変な狼藉(ろうぜき)を……」

 泡を食った柞長官が守衛をかき分けてくるが、律曹はまったく意に介さない。

「こんなところで何してるの、お前も首都に住んでいたの?」

「い、いえ。私は博物荘へ……」

 まばたきをして答えた東青に、律曹は「あそこ? (ほこり)だらけでつまらないけどなあ」と笑って手を差し出した。

「入りたいなら、おいで。父上に頼んであげる!」



                    後編へ続く(第十一話 了)


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

第十二話は完結編となります。

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