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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第十一話
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竜を断つ者・前編(五)

 伊堂と寿里に送り出された東青は、それから十日ほどかかって首都に辿りついた。

 馬車を乗りつぎ徒歩を交え、時には野宿を強いられて。冬に始まった旅はいつの間にか二本の大河を渡る長大なものになりつつあったが、彼は必死なあまり疲れも忘れていた。

「やあお兄さん、ずいぶん遠くから来なさったね。都の春を楽しんでいきな!」

 市場へ足を踏み入れた東青に、大道芸の独楽(こま)回しが陽気な声をかける。

 道幅は途方もなく広く、数え切れないほどの店が並び、そのどこにも人がひしめいていた。あちこちに植えられた巴旦杏(はたんきょう)の木が薄紅の花びらを散らす、華やかで暖かい光景。

 なにもかもが幻のように思えた。そして白日夢をめくった暗い底に、竜が目を光らせている……

「いいか、めいっぱい学者ぶるんだぞ。都の役人にはったりを効かせてやれ」

という伊堂の助言にしたがい、宿へ入った彼は身支度を整える。伸びきった髪をまとめると、鏡の中の男は削げた頬に切実な目をして見返してきた。

 哀れな姿だった。

 だが、少しでも同情を誘えるなら都合がいいじゃないか。気を取り直した彼は、寿里がくれた紹介状を持って国立研究院へと急いだ。

 人の波をくぐりぬけ、馬車に()かれかけては怒声を浴び、やっと着いた門の奥に広大な敷地が広がっている。石造りの箱のような建物が連なるこの場所では、まつりごとの一端を担う調査や研究が日々進められているのだ。

 ずっと先には皇家の城もそびえ立っているが、威厳ある景色にも東青は臆さなかった。

「失礼いたします。取次ぎをお願いしたいのですが」

と、武装した守衛をつかまえて紹介状を示す。初老の門番は、東青の説明を聞いているのかいないのか、鉄かぶとの下で表情もなく彼を見つめていた。

「……そこで待て」

 それだけ呟いたかと思うと、文を奪って建物への道を引き返していく。不安になった東青は鉄柵にかじりついた。

「文官の由謙(ゆうけん)様あてです、よろしくお伝え下さい!」

「おい邪魔だ! 離れていろ」

 残った守衛が彼を横柄に追いやる。東青は仕方なく大通りの向こうへ渡り、適当な塀にもたれかかった。

 そうしてそのまま、長く待たされることになった。

 いっぱいの荷を背負った運び人や、役人が乗っているらしい豪華な馬車。使いに走る屋敷の使用人…… 暖かな日差しの下、都の日常が目の前を通りすぎていく。

 竜を追いかけている者などどこにもいない。ただ一人、己を除いては。

 これまでにない疎外感を覚えた東青に、旅の疲れがどっとのしかかってきた。

 やがて、高かった陽は傾きはじめ、空のふちにうす青い夕闇の気配が漂った。波のような疲労に目を閉じていた東青は、重い門が開く音にハッと飛び起きた。濃紺の官服をまとう男が早足で歩み寄ってくる。

「待たせてすまない、東青君だね。ことづては迅速にと言ってあるのだが、こういう機関はなにかと慎重すぎて困る」

と片手を差し出す。寿里の先輩である由謙は、快活な好人物だった。頭を下げる東青をとどめ、もう一通の文を取り出してみせる。

「これは……?」

「官立学院の分校から、研究院の主任あてに届いていたんだ。講師の代理で博物荘に赴く者がいるので、どうか便宜をはかってやってくれとね」

 差出人は分校長師の(ちょう)先生と、漠先生の連名になっていた。東青は胸が熱くなった。漠先生は、皇宮博物荘に向かうとの連絡を受けてすぐに手を回してくれたのだろう。

「寿里君の文には急ぎだとあった。さっそく博物荘にかけあおうじゃないか」

「よろしくお願いいたします!」

東青は両手で由謙の手を握った。


「あんたが深波(しんば)(こう)かい。伝言があるんだ、“牙骨丘の子を頼む”ってね」

 あるとき、気ままに暮らしていた玄のもとに一匹の海蛇が近づいてきた。青と緑に揺れる波の中、今よりずっと若かった玄は首をかしげてみせた。

 牙骨丘というと、東のはてにある竜の山ではないか。名前だけは知っているが、西の大海に生きる彼には縁もゆかりもない。

「なんだそりゃ、誰から預かったってんだよ」

「井筒の川沿いの(やぶ)の蛇。そいつも誰かのお使いみたいだったけど、詳しいことは知らないぜ? 確かに伝えたな、あばよっ!」

と、彼は平たい尾を振りふり泳ぎ去ってしまった。

「おーい、蛇に知り合いなんか……」

 ひとり虚しく呟いた玄だったが、子という言葉を聞いては放っておけない。どっかの小亀が山に迷い込んだのかもしれん、とはるばる大河を遡ることにした。

 初めて牙骨丘を見上げた瞬間を忘れることはできない。

 ちょうど夏の初めごろで、山の緑は一年でもっとも深い色をしていた。奥まった陰すらも黒には沈まず、謎めいた深緑に見える。底知れぬ秘密を抱く竜の(むくろ)は海からの訪問者を怯えさせた。

 戸惑いながらも山道に入ったところ、一匹の青大将が待っていた。道の真ん中で鎌首をもたげ確かに彼を見ている。

「お前が俺を呼んだのか?」

 玄が問いかけると、青大将はするすると坂を上りはじめた。どうやらこの蛇も道案内をおおせつかっただけのようだ。彼は大人しく従い歩くあいだも牙骨丘にみなぎる奇妙な力を感じ取っていた。

 そして、その先にあった古い平屋で幼い子どもに迎えられたとき、予感は確信へと変わった。

 ここにはあまりにも大きな力が働いている。激しい渦の中からこの子を救うことは、俺ごときには到底できないだろう。

「おきゃくさん? 水のお客さんなの?」

 可愛らしく声を上げ、あどけない女の子が玄へと駆け寄ってきた。長くそろえた髪が風に揺れ、夏の光に輝いている。その年ごろにしては渋い紺色の単衣に、涼しげな青の帯をしっかり締めていた。

「ああ、でっかい水の中から来たぜ」

 玄がしゃがみ込んで目を合わせると、その子はなんとも嬉しそうに笑ってこう言った。

「ようこそいらっしゃい、お店へどうぞ!」

「お店? お嬢ちゃんがやってるのかい」

 女の子は、優しく尋ねた彼へ「ごっこ」と舌足らずに答えた。

「リンちゃんとやってるの。きょうはお茶屋さん」

 半開きの扉に目をやれば、もっと小さな…… せいぜい五つくらいの男の子がびくつきながらのぞいている。女の子に手を引かれた玄が近づいていくと、リンちゃんは動物のように素早く引っこんでしまった。

 平屋の中は思いがけず広々として心地がよかった。すみに据えられた卓には三人分の椅子があるが、姉弟のほかに姿は見えない。

「あれ、お店のなまえ。“しで”が書いてくれたんだよ」

 女の子が誇らしげに指した先に、大木から切り取ったらしき見事な年輪の浮かぶ看板が立てかけてあった。

 牙骨丘茶藝館。

 黒々とした(すみ)で記された名前は、ふたりの子どもには不釣り合いなほど(いか)めしいものだった。

「おせきへどうぞ!」

と手を引っぱられつつ、玄は「こりゃ達筆だな。しでさんってのはどんな人だい?」と問うた。女の子が大きな瞳で彼を見上げる。

「しではね、銀色あたまのお婆ちゃん。お出かけするから、水のお客さんを呼んだから、しつれいしちゃだめよって」

 玄はハッと気がついた。伝言をつなぎ、彼を導いた蛇たち……

 いつだったか、立派な白蛇が河口に流れ着いたことがあった。戦いに敗れたのかぼろぼろになった姿を哀れに思った彼は、亡骸(なきがら)を弔ってやった。

 それがどこかで縁となったのだろう。しでとやらは、おそらく蛇の眷属(けんぞく)をつかさどる妖のものなのだ。

 近くに強い気配はない。ひょっとすると、衰えた彼女は最後の力を使って彼を呼んだのかもしれなかった。見返りを求めぬ善の心が変わっていないことを信じて。

「お菓子もあるですよ。リンちゃん、もってきて!」

 厨房らしき方へ走っていく女の子を見つめ、玄はなんとも言えない表情をしていた。

 伝言は“牙骨丘の子を頼む”だった。救え、と言われたのではない。

 つまり見ず知らずの俺にここで子守をしろってのか。こんなに海から遠く、潮の香りすら届かない山奥で?

 しかし、と彼は胸のうちで呟く。

 こうなった以上、見てみぬ振りはできないじゃねえか。少なくともこの姉弟が二人で暮らしていけるようになるまでは見守らなくてはなるまい。

 まったく俺ときたらとんでもないお人好しだ。あんた当たり中の大当たりを引いたぜ、しでさんよ……

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